女性ジョッキーが主人公の小説を書いていて…… その1
『小説家になろう』と『カクヨム』のサイトで女性ジョッキーが主人公の小説を書いていて、たいへんありがたいことにたくさんの方にアクセスしていただいている。
『 アイドルジョッキーは1番人気!!でGⅠレースを勝てるのか!? 』
(小説家になろう)
https://ncode.syosetu.com/n0770fb/
(カクヨム)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886290103
この小説は、注目だけはされるけど成績がそれに伴っていかない新人女性ジョッキーが悩んでいるなか、1頭のスーパーホースと出会って大レースに挑戦していくという内容。ぼくは、この主人公をどれくらい活躍させていこうか悩みながら、これを書き進めている。小説として、信ぴょう性と面白みとの両面に左右の袖を引っ張られながら。
コロナ渦の報道のなかで、ときおり「小説」という言葉が出てきて気になった。それも悪い使われ方で。このコロナの大きな混乱が、小説を超えているというのだ。
テレビの報道番組のなかで、「小説家も書いていないほどの惨事」「小説家も想像しえなかったような事態」などというような言い方をするキャスターが複数いた。ぼくはそれを観るたびに、その的外れな物言いに首をかしげた。
小説家は、当然のことだが話を作る人だ。予言者や予想家ではない。現実を超越した物事はたくさん書いているけど、できるだけ現実味を感じられるようにしようという意識が働く。だけどあのキャスターたちは、小説家というのはウソを書く人たちという意識があるのだろう。こんな事態も予測して書いておきなさいよ、という意味合いでああいった発言につながるのではないか。将来の危機に対する予言や予想をしていないという、怒りや揶揄の言葉は評論家や政治家に向けてほしい。小説家は、「こう書いたら面白く読んでもらえるだろう」ということを基準に書いているだけだ。
その、面白く読んでもらえるラインがどこかということを、いつも悩みながら書いている。こんなに派手に活躍したら現実味がないと手直しして、こうまで現実に合わせちゃうと話として地味になりすぎちゃうと再び変えて。
小説は間もなく、3歳クラシックレースの3冠目、菊花賞になる。一応スジは終わりまで作ってあるのだけど、途中途中、細かく悩む。派手にするか、地味にとどめるか。盛り上げるか、落ち着かせるか。書き手にとって、苦しい楽しさだ。
ときに疲れると2、3日更新が滞ってしまうこともあるけど、好きな題材なのでしぜんに復活する。多くのPV数も、強く更新を進めてくれている。文の冒頭でも書いたのですが、アクセスしてくれている方々には本当に感謝しています。
いただいたサポートは、今後書く小説の取材費や資料購入に充てたいと思います。もちろん、それだけ、というわけにはなかなかいきませんが……^_^;