マガジンのカバー画像

徒然草とともに

187
徒然草をひもといて中世、京の都と、変らぬ人の心を 味わい楽しんでみませんか。
運営しているクリエイター

2022年10月の記事一覧

日記:10月29日☀土曜日随想、徒然草とともに

   9月末から、書き継いできた随想、徒然草とともに、が、はや(31)回を重ねました。その…

高沢英子
1年前
2

日記:10月28日🌿金曜日随想🔥徒然草とともに(31)

 窓の外に薄雲のひろがっている空を眺めながら、そう言えば、法師の草紙を繰り返し読むにつけ…

高沢英子
1年前
4

日記:10月27日木曜日☀随想、徒然草とともに(30)

 兼好法師の生涯は、かれの 唯一の作品といえる徒然草が、後世に、これほどひろく読みつがれ…

高沢英子
1年前
3

日記:10月25日火曜日薄曇り🥀随想徒然草とともに(29)

 今日は、第190段”妻(め)というものこそ、をのこの持つまじきものなれ”説を拝聴ではなく…

高沢英子
1年前
3

日記:10月24日月曜日曇、随想徒然草とともに(28)

 朝から雲が垂れこめ、あわいから少し顔を出していた日の光🌄も、今は隠され、雲の層も厚みを…

高沢英子
1年前
2

10月23日日曜日☀随想、徒然草とともに(27)

 ひきつづき第238段のについて、11世紀の白河院の随身で、騎馬の名手として世に知られた近友…

高沢英子
1年前
3

日記:10月22日、土曜日、随想徒然草とともに(26)

 午前7時、曇り空、静かな土曜日の朝である。  徒然草を読むにつけ、兼好法師というひとは、世捨て人とはいえ、あの動乱の世に、市井の片隅で名もなくひっそり暮らしていたわけではなく、よしなしごとなどと惚けてはいるけれども、時代を見据える眼は確かで、時代背景をともに想像しながらでないと、草紙の意味をきちんと捉えるのも難しい、とわかってきた。鎌倉時代から室町時代にかけての、大変動期の京の都で、下級ながら教養ある宮廷人として半生を過し、出家遁世ののちは、自由な法師の身で、人の世の浮き沈

日記:10月21日金曜日☀随想、徒然草とともに(25)

 カーテンをあけると、秋晴れの空がひろがっていた。久ぶりの一面蒼一色!旧暦ならおそらく9…

高沢英子
1年前
4

日記:10月20日木曜日☀、随想、徒然草とともに(24)

 草紙の第238段について、22番、23番で、やや、脱線してしまったが また本題の法師自賛の項…

高沢英子
1年前
1

日記:10月19日水曜日👌随想、徒然草とともに(23)

 小学校唱歌で、今も忘れられない歌が幾つかあるが、ひろく知られ、今でもしばしば歌われるこ…

高沢英子
1年前
3

日記:10月17日、月曜日、随想徒然草とともに(21)

相変わらずの曇り空、七百数十年昔の鎌倉の秋空は、そして京の秋空は、どうだったかしら?歴史…

高沢英子
1年前
3

日記:10月16日日曜随想、徒然草とともに(20)

徒然草を通読して、忌憚なくいうと、これは、中世版雑学雑談叢書と言えるかもしれない、と思っ…

高沢英子
1年前
2

日記:10月15日土曜日、随想徒然草とともに(19)

兼好法師が出家遁世したのは、いつ頃だったのか、没年は?など、その生涯については現在確かな…

高沢英子
1年前
2

日記:⁠10月14日、金曜日、随想、徒然草とともに(18)

17号で、徒然草の思想性や感性が、近代人にさえ共感を覚えさせるものであることを、言いたく、いろいろ書いてみたが、根本的には、それが中国古代の文書に触発されていることに始まっている訳なので、宇宙に生命体がうま れた太古の昔から、人類にはある種の霊性がそなわっていたのではないか、とも思われる。 こうして、閑居して自由人の身となった兼好法師は、卓抜な頭脳で、ひとの営みを見詰め、あるときは、深く掘り下げ、あるときは、身のまわりのよしなしごとにひそむ真実を、さりげなく書き残した。