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先日,215段で、宣時朝臣の老いの語りが、ほっこりしていい感じだったので、コメント紹介して…
ここでいうよろずの事、とは、生きていく上で、ひとが、頼みにすること全般を指しているのは…
203,204,205段と、古いしきたりや、取り決めが、時のながれと共に、忘れられたり、簡略化さ…
196段から201段までは、日本ばかりでなく中国伝来の故事来歴、宮廷や寺社での儀式の取り決め…
前号㉟で、久我家の貴人が、木造りの仏像を、下着姿のまま田圃の水で洗い清めていた、という…
195段、当時洛南にあった、高位の貴族久我家の荘園でのできごと、当主の元従一位内大臣は、12…
陰影礼讃の続きは、さほど事もない普段の夜、みやこの、宮廷あたりに、さりげなく出入りする男女の風物詩、 まるで、目に見えるように、艶やかに描く法師の筆にはかなわないながら、ところどころ現代語に直しながら、描き写すと、夜もふけて、参内したひとが〃きよげなる〃こざっばりした身なりなのは、じつによい。若い人同士互いに関心をもって見ているばあい、時間は関係なく、とくに気を許してしまいそうなおりふしも、時と場合にかかわりなく、身だしなみには心配りは“あらまほし”であろう。 身分ある佳い
物のはえなし」という人、とつづく。そして兼好法師はそういう人を「いとくちをし」とこきお…
誰しも経験していることと思うけれども、わが法師も同じ,”あらぬいそぎ、まず出できて、ま…
188段、いよいよ最終回、約4ページに及ぶ訓戒は、いちおう社会的な立身出世談議と云えないこ…
人は生きていくうえで、抱いた夢を実現し、事を成し遂げるには、いかなる心がけ必要かを諄々…
ある親が、子どもを法師にしたのはいいが、”学問して因果律のことも知り、説経などをして世…
177段以降、昔の言い伝え、有職故実、また私の小学校時代「修身」という教科で習った北条時頼の母、松下禅尼の障子紙節約論など、少し飛んで、187段の訓戒をひもとくことに、”よろづの道の人”という書き出しで始まり"たとえ不堪(かん)なりとも”ここでいう「不堪」とは下手という意味だが、そんな人でも、先祖代々それを家業にしている家に生まれた人は、そういう家の生まれではない素人の上手な人物と並べて、必ずそれよりまさっている、とし、そのわけは、常にたゆまず謹んで軽々しくしないこと、と素人