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徒然草とともに

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徒然草をひもといて中世、京の都と、変らぬ人の心を 味わい楽しんでみませんか。
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徒然草をひもといて 5章40 主従の交わり

平(たいら)の宣時朝臣、老いの後、昔語りに・・という書き出しで、註に、北条時頼の逸話とあ…

高沢英子
2か月前
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徒然草をひもといて 5章㊶

 先日,215段で、宣時朝臣の老いの語りが、ほっこりしていい感じだったので、コメント紹介して…

高沢英子
10か月前
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徒然草をひもといて 5章㊴211段よろづのことは頼むべからず。・・・

 ここでいうよろずの事、とは、生きていく上で、ひとが、頼みにすること全般を指しているのは…

高沢英子
10か月前
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徒然草をひもといて 5章㊳206段

 203,204,205段と、古いしきたりや、取り決めが、時のながれと共に、忘れられたり、簡略化さ…

高沢英子
11か月前
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徒然草をひもといて 5章㊲

 196段から201段までは、日本ばかりでなく中国伝来の故事来歴、宮廷や寺社での儀式の取り決め…

高沢英子
11か月前
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徒然草をひもといて 5章㊱

 前号㉟で、久我家の貴人が、木造りの仏像を、下着姿のまま田圃の水で洗い清めていた、という…

高沢英子
11か月前
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徒然草をひもといて 5章㉟195段

195段、当時洛南にあった、高位の貴族久我家の荘園でのできごと、当主の元従一位内大臣は、1240年生まれ、1288年に退職し1308年世を去られた、と伝えられているから、法師とはちょうど一世代ずれている。実際に目撃した話ではなく、ある人の語りという形式である。  繩手通りに面した田のなかで、下着に裾の広い袴を着た姿で,木造の地蔵を田の水に押し浸し、ていねいに洗っておられた方がいた、そこえ、公卿の用人たち2,3人が狩衣姿で駆けてきて「ああ、ここにおいでになった」と叫んで、連れ

徒然草をひもといて5章(33)191段続 さしてことなるなき夜……

 陰影礼讃の続きは、さほど事もない普段の夜、みやこの、宮廷あたりに、さりげなく出入りする…

高沢英子
1年前
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徒然草をひもといて 5章(32]191段「夜には入りて……」

 物のはえなし」という人、とつづく。そして兼好法師はそういう人を「いとくちをし」とこきお…

高沢英子
1年前
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徒然草をひもといて 5章㉛190段     妻(め)というものこそ、・・・・

高沢英子
1年前
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徒然草をひもといて 5章㉚189段今日はこのことをなさんと思えども…

 誰しも経験していることと思うけれども、わが法師も同じ,”あらぬいそぎ、まず出できて、ま…

高沢英子
1年前
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徒然草をひもといて 5章㉘188段最終

 188段、いよいよ最終回、約4ページに及ぶ訓戒は、いちおう社会的な立身出世談議と云えないこ…

高沢英子
1年前
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徒然草をひもといて 5章㉘188段続

 人は生きていくうえで、抱いた夢を実現し、事を成し遂げるには、いかなる心がけ必要かを諄々…

高沢英子
1年前
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徒然草をひもといて 5章㉗188段ある者子を法師になして・・・

 ある親が、子どもを法師にしたのはいいが、”学問して因果律のことも知り、説経などをして世を渡るたつきとせよ”と教えさとした。  子はその教えの通り説経師になろうと、まず馬の稽古をした、というのも、車も馬も持たない身で、導師として呼ばれ馬を迎えによこされたとき、下手な乗り方をして落馬したらみっともない、また、仏事のあと、酒などすすめられても、無下に能のないのも施主は興ざめであろうと、近ごろ流行している早歌というものを習った。  こうして、この二つの技と芸がようやくできるようにな