日記:10月21日金曜日☀随想、徒然草とともに(25)

  1.  カーテンをあけると、秋晴れの空がひろがっていた。久ぶりの一面蒼一色!旧暦ならおそらく9月末で、神無月とは言えないだろう、などと思いながら、たしかめるのも面倒で、しばらく見とれていた。

  2.  今日は法師自賛の三番目、京の東山にある常在光院の釣鐘の碑銘にかんする話である。京都東山にその名を残す名刹、今も知恩院のお庭にあるらしい。ただ釣鐘もあるかどうか。その鐘の銘文についての談義で、偉い儒者が銘文を書き、能書の朝臣が清書した。そこで、鋳型に写そうとして、鋳造監督の入道がわたしに見せたのだが「花の外に夕べを送れば声百里に聞こゆ」とあった。実は銘文は四字句をつらねた漢文で偶数句、脚韻を踏むので陽唐の韻、百里は違うんじゃないか。と問いただした。漢文の規則はサッパリの私にはわからないが、これを聴いた入道は、”あなたにお見せしてよかった!わたしの手柄にしよう”と言って、筆者のもとに知らせたところ、”間違えていました。数行とお直しください”との返事、しかし、鐘の音、数行に聞こゆ、もなんだか変だ。おぼつかなし、遠く聞こえる、という表現のつもりだったのかな?などと付記している。漢詩、漢文の取り決めは当時でも、なかなか難しかったとみえ、法師はたしかにかなりの知的実力者だったことがわかる自賛ではあると、いささかしんどい思いながら、共感した。

  3. しかし、考えて見ると、現代では、世界的に範圍がひろがり、それぞれ異なる外来語の規則を呑み込むのは容易ではない。欧米語で、英語だけでも大変なのに、ドイツ語、仏蘭西語、イタリヤ語、スペイン語、などなど。英語ですら、複数のSを忘れ、変な顔をされたり、という時代、兼好法師なら、何語の詩句を愛誦しただろう?法師の顰め面を想像してみると、面白い。


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