日記:10月27日木曜日☀随想、徒然草とともに(30)

 兼好法師の生涯は、かれの
唯一の作品といえる徒然草が、後世に、これほどひろく読みつがれているにもかかわらず、いまだに、霧に包まれたまま、確かなことは殆ど分からないらしい。
 常に古今東西和漢の書に親しむ大変な読書家で、歌人でもあったというが、宮廷での身分はさほどではなく、上をめざしてむなしく歳月を浪費するよりは、と、比叡山、修学院、横川などの僧坊で修行を積み、出家遁世の身となったようだ、
 理性的で、処世のみちを調えることも忘れず、いささかの蓄えをもとに、東山の地に庵を結び、近郊に田一町を買い求めて、おそらくその地租で暮らしを立てることにしたのであろう。売買契約の文書だけが、今に残っている唯一の手掛かりだという。   
 自分自身のことも、身辺些事も、例の238段の自讚七箇条と243段の父との問答以外殆ど
ど語らず、ただただ、つれづの日々、誰憚ることなく、腹膨るるよしなしごとを、書きつけて余生を送り、人生の愉しみとしたのであった。
 そして、それが今も手垢にまみれず、新鮮な感触を呼び覚まし、笑いを誘い、身を正して自戒させ、男女の仲の機秘に触れ、真にセンスある暮らしの規範を語り次いで、古さを感じさせない。128段では、罪のない生き物を苦しめる畜生惨害の類、慈悲の心なからんは、人倫にあらず、と声をあらげる。
 社会規範に縛られず、真の人間として、みずからの感覚を信じ、貫いて生きた奇人の言の葉は、時代を超え、今も朽ち無い楽しみや,学びをさえ与え続けていると信じ、頁を繰りつづけて行こうと思う


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