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【コラム・エッセイ】僕と折句

クジラうえリクエストした水族館
マダイが歌うスローバラード

 これが折句だと主張するといささか暗号めいている。

クジラうえ
リクエストした
水族館
マダイが歌う
スローバラード

 このように表記すればわかりやすくなったと思われる。
 これは「クリスマス」の折句である。
 折句はあるキーワードを秘めて頭文字をつなげるものということだ。一般的には、縦読みと言えば伝わりやすいのではないか。

 このクリスマスの折句は、僕が折句と出会ってごく最初の頃に作ったものだ。当時、身近にいた人に見せたところ、誉めてもらって創作意欲が上がったことを覚えている。もっともその人は作品そのものについて言ったのではなく、創作の姿勢についてだった気もする。言ってみれば「素敵な趣味ですね」と同じくらいのニュアンスだったのかもしれない。とは言え、何度かそのようなポジティブな反応をいただけたことは、創作活動を続ける原動力としては、重要だったかもしれない。


 つくるということはそれ自体が楽しい。もう1つの楽しみは、届けることだ。ただ作るだけでなく、それを自分以外のところへ届ける。そこに行くと楽しみはまた何倍にも広がるのかもしれない。毎日のように折句とつきあっていた時もあり、気づくと千を超える歌ができた。その中で、誰かに届けたと実感できたのは、指折り数えるくらいだった。


 お題としては「クリスマス」は少し厄介なものだった。まず「リ」が面倒で、最初の頃は特にカタカナに走る傾向が強かった。そして「ス」が2つもある。だが、これは考え方によっては利点にもなり、同種のフレーズを用いてリフレインさせることもできるのではないか。


 折句を作り始めた頃は、特に意味もない歌を多く作っていた。むしろ、無意味なものにこだわりがあったとも言える。ある時、歌の経験者に「意味がなきゃ駄目じゃないか」みたいなことを言われ、その影響もあってだんだんと意味のある歌も作るようになった。自分としては、あるようなないようなくらいの感じが一番好きだと思う。完全なナンセンスという短歌は、最近ではほとんで生まれない。偶然、そういうものを思いつくと「これだ!」と何かを取り戻したようにうれしくなったりする。

 遊びであることは長く続けていくコツかもしれない。

「上手くしなければ……、上達しなければ……」

 向上心はあるといいが、持ちすぎると余裕がなくなってしまう。


 短歌は31音という器が決まっている。自由詩と比べると遙かに不自由な詩だ。折句となるとその上に頭文字までも決まってしまう。それでは不自由が増し窮屈ではないかと思われるかもしれない。ところがそれがそうでもない。決まっているということは、逆に言えば手がかりがあるということだ。
 自由なテーマで作文を書いてくださいと言われて困ったという経験はないだろうか。

「何食べたい?」
「何でもいいよ」
「中華でいい?」
「えー、また中華?」
「寿司にする?」
「えー、寿司ー?」
 と言われて困ったという経験はないだろうか。
 何でもいいというのは、そう楽ではないのだ。


 縛りと遊びには深い関係があるようだ。
 魅力的なメルヘンには、だいたい何らかの縛りがかかっている。おやつは500円以内。オシム監督の練習では、ビブスの色によって選択するプレーが細かく決まっているらしい。そもそも人生だって、縛りだらけで限りがある。限られた中で何かをする。(何ができるか)それがすべての遊びに共通する仕組みかもしれない。

「詩というものは、テーマと志を持って作るべきだ!」
 それも1つの考え方ではあるだろう。
 だが、「遊び」から生まれた素晴らしい作品は世に多く存在する。
 自由である方がよいものができるとは限らないのだ。
 特殊な条件だからこそ生まれ得た世界があり、素の自分を超えて飛び出して行くものがある。
(幸福は条件を選ぶとは決まっていない)


 折句が最も生まれた場所は布団の中だった。好んで生まれたのではなく、多くは苦しみの中に生まれたのだった。眠れないことはとても苦しい。わかる人にはわかるが、わからない人にはまるでわからない。眠れなかった経験がない人に、眠れない時の苦しさを説明するのは、とても難しいのだ。(ロボットに死や命を説くことが難しいように)

 眠れない時間といのは、布団の中で考える時間が余っている。何も考えないことは難しく、難しいことを考えることも難しい。テーマとか、プロットとか、そんな難しいことはとても考えられない。そんな時に救世主のように現れたのが折句だった。夢と意識の境界でもがきながら、折句の頭文字をイメージしては言葉をこね回していた。1つの歌に触れた瞬間、不思議なことに少し気が安らぐ。1つの許し/救いを得たような気がするのだった。
 近頃はそれほど深刻な状態からは距離を置いている。安眠に近づくほど、歌は自分から離れていってしまう。うれしくも寂しいものである。



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