他人のことばを反芻してゆっくり咀嚼した話。

先日、歌活動をしている女の子が、動画配信内でその日の自分のメイクについて気づきを話していた。

「今日、いつもとリップの塗り方を変えてみたら、唇の形が違うふうに見える!」
と驚きと楽しさ溢れる表情でにっこりしていた。

ん、言われてみれば、ちょっと雰囲気違うかも?と思えてくる。…ような気がする。

すかさず、画面越しの彼女は
「わかんないよね!ただ、こう塗ったらこう見えるのかっていうことがわかっただけ。ただの自己満」

「気のせいだよ」みたいなコメントがくるのを恐れたのか、発見に嬉しさをにじませつつ、「なんでもないことなのです」と牽制した。

そんなほっこりする一場面。

ところで私は、女であるが、そこまで自分に手を焼くことが得意ではない。そんな私にとって、メイクは「それなり」になるためだけの手段でしかない。
たまぁに、何かに困ったりした際、調べてみたりメイク動画をみたりするくらいである。

なので、彼女をみても「かわゆい(*´ー`)」とは思っても、「わかるぅ〜!」とはならなかった。けれど、何となく頭のかたすみに残っていた。


日は変わり、ある日のこと。
あの時の彼女の感覚はこういうことだったのでは…!と振り返る瞬間が訪れた。

絵を描いている時にその瞬間はきた。

水彩絵の具でパンの絵を描いている時。
最近Instagramで水彩描画の動画を投稿している海外のアカウントをチェックし、その筆の動き、水加減を観察していた。

動画を脳裏で再生しながら、動画主の筆致をなぞるように私も試しに筆を動かしてみた。
するといつもとは違った画面が作られた。

この瞬間彼女の
「こう塗ったらこう見えるのかっていうことがわかっただけ!」という言葉が降ってきた。
「これか……」
するっと、腑に落ちた。

他人や本の中の誰かのことばが不意に自分に落ちてくる時、
少しだけその人を疑似体験できた気になれる。
彼女は「自己満」と謙遜していたが、それは自己満足の域を超えて、「学び」になっていると私は思う。

方法を変えなければ、その発見にはたどり着かないわけだから、彼女は新たな方法をモノにして選択肢を増やすことに成功したのだ。…と私は考える。


あの時のあれはこういうことだったのか!と時間差で理解する時、いつも江戸川コナンくんの事件の手がかりがわかった瞬間の「バチバチ!」の稲妻シーンがよぎって、ちょっとたのしいのもまた、面白い…笑

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ろばぱか
高等遊民になりたい………。