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[読書メモ]「少年キム」とキップリング

 「少年キム」はラドヤード・キップリングの作品だ。

 イギリスの植民地支配下のインドで世知に長けた孤児キムがその才能を認められ、立派なスパイになっていき、グレートゲームの中活躍する。
 並行して、行き方も世間のことも何にも知らないのに、「矢の川」を見つけるとだけ固く決めている向こう見ずでピュアなラマ(とんでもないってことになる。)と行動を共にするうちに、自分の中で何かが変わる。
 最後はキムはスパイからすっぱり足を洗ってラマについてくことにする。
それまでの仲間に足を洗うのが許されるのは、あんぐり口があくほどラマがピュアだからだ。計算してないってとこ。

 三蔵法師と孫悟空みたいだと思った。
 孫悟空ってすごい力を持ってるから、お経なんか雲に乗ってピュって持ってこれるのに、「殺生はいかん」とかあれこれうるさい玄奘三蔵と旅するんだよね。あれこれ手伝いながら。
 たしか「あいつら危ない。」って忠告しても「人を信用しなさい。」とか怒ってくるんだよなぁ。大変。
 たくさんの部族や宗教が出てくるのも、リアル玄奘三蔵の旅とそっくりだ。

 「少年キム」はただのスパイ小説としても十分面白いんだけど、ラマとのストーリーと絡み合わせているのはどうしてかなって考えた。感動したしね。

 ラドヤード・キップリング自体がフリーメーソンに入会していたことも関係あるだろうなと思った。
インド育ちで、インドの文化や地理や風習や植物動物にもとっても詳しいんだ。能力的には他国の情報や動勢を報告できる優秀なスパイだよね。

 母国であるイギリスのために働いて認められたいって気持ちもあるし、同時にイギリスで椅子の上でふんぞりかえってるやつにインドの良さがわかってたまるかって気持ちもあったんだと思う。

 自分達イギリス人(統治時代なので)のやってることと、生まれて住んでるインドを大切に思う気持ちとを矛盾せずに昇華させようとしたのが
有名な詩「白人の責務」ではないだろうか?
 帝国主義を助長させたとして悪名高いけど、助長小道具に使ったのは政治であって、あの詩が生まれた理由はキップリング個人の精神が崩壊しないためなんじゃないかな。

(横道それるけどそうすると、八紘一宇だとかの言葉もはじめのはじめはどうだったんだろ?後からスローガン的に作ったのかな?)

 スパイをやめてラマと共に歩むのを選ぶキム少年。
 それが象徴するのは自分の成功とかエキサイティングのために才能を使うのではなく、他の人のために自分の才能を使うってこと。
 キム少年のラストはキップリングの願望だと思うな。

 もちろんキップリングは降りることをゆるされないけど。

 まぁ私は普通だから、キップリングみたいな賢い人のことはわからないけれどもなんとなくそんな気がする。

 ちなみにボーイスカウトでは「キム少年」は創始のころから同じく彼の作品「ジャングル・ブック」と並んでおなじみの作品ということだ。スカウトとは斥候という意味だって。これだって創始者のベーデン=パウエルが従軍経験を、未来を担う倫理観のある子ども達の育成に活かしたってことじゃないだろうか。
(技術と心構え両方教えるってことに意味がある。平家物語に出てくる禿は怖いけどボーイスカウトは怖くない。)

 建前も本音の時だってあるよな。

 時代の空気や、その瞬間の自分の立場で表現するベストって違うんだろうな。

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