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アニメ映画『すずめの戸締まり』見てきました

新海誠監督の新作『すずめの戸締まり』見てきました。
一言で言うと、しんどい映画。
2011年の東日本大震災を扱っているというのは既に監督自身がいろいろな場所でしゃべっているが、その内容がエンタメとして昇華しきれていない。個々のエピソードのツギハギで、ディテールだけはこだわって描写しているから、震災当時のストレスが蘇ってきてしまう。観ていてしんどい。
(以前の『君の名は。』や『天気の子』ではあった)劇中のクスっといった笑いもなく、見終わった後も映画館がシーンとしてお通夜状態だったことが印象的だった。

最近はやりのロケ地巡り(聖地巡礼)も、ロードムービー的なので、あ、ここ印象的だなと思った場所があってもそれが出てくるのが一瞬。「ここからここへ移動している時の新幹線の車窓から見えた一瞬の景色がここ」というために、わざわざお金と時間をかけて全部巡るのもしんどい。既に全国を飛び回っている人もいるようだけど、私はそこまでの情熱はないかな。
最初に書いたように観ること自体がすごくしんどいので、検証のために二度三度観る気にもならず、「答え合わせ」もできないし。

「答え合わせ」していないけど、ここから出てきたよねの場所

あと、しんどいのが、民俗学の術語を使いながらそれを独自研究して勝手に意味付けしているのもしんどい。「後ろ戸」からして、借り物の言葉に勝手に意味付けをしているし。
気が付くと、いちいち脳内で「それ違う」って打ち消しながら観ていた。
この独自研究がまとまり切れていなくて作品に一番影響を与えてしまったのが、ダイジンの神格性で、果たしてダイジンは人々の敵なのか味方なのか、最後までよくわからなかった。それは監督も自覚的で、それ故にあえて劇中に「神様は気まぐれ」という言葉入れて観客を納得させようとしたのだろうけれども、気まぐれとすることで余計にストーリーの恣意性が強調されて(気まぐれなら、そこにストーリーの規律性は成立しなくなり、監督の好きないようにできてしまう)、逆につまらなくなってしまった。
伝統的な日本人の神道観では、神様は荒ぶるもの、それゆえ鎮めなければならないもの。そして、荒ぶる神の力が大きければ大きいほど(鎮まった時に)人々を守る力も大きいとして、人々の畏敬と信仰を集めてきた。この荒魂(あらたま)と和魂(にぎたま)の性質を持つので、人々に脅威ともなるけど守護にもなるという考え方。でも、『すずめの戸締まり』ではそういう神道観とは異なるようだ。それでいて、もっともらしく神道の祝詞のような言葉を使っている。こういうのがしんどい。

新海誠監督がいろいろ思索していろいろ設定をするのは自由だけれども、今回は、その設定の謎を解いてみたいとか、謎解きにわくわくするとか、そういうエンターテインメントがないんだな。

そういえば、雨が降るシーンも、『エヴァンゲリオン』で使徒殲滅後に使徒が肉塊になって崩壊して雨が降る(そして虹がかかる)と同じ描写だなと思いながら観ていた。これもしんどい。

『エヴァンゲリオン』で使徒殲滅後に雨が降るのは、新劇場版からのようだ。

総じてしんどいし、未熟なんだけど、新海誠監督が好きなようにやったらこうなったという感じはする。川村元気がスタッフに入っていて、あれ?どうしたの?というぐらい。その意味では「新海誠監督の集大成」というのはその通りかもしれない。
ティザーのビジュアルを見た瞬間『星を追う子ども』と同じ雰囲気を感じたけど、それは映画本編を見終わった後も、その直感通りだったなと思う。

その他は
acureが早々に劇中に商品が登場しますとアピールしていたので、えっ?これまで新海誠監督の作品にずっと協賛し続けてきて、前作の『天気の子』ではついにアルコール飲料まで登場させたサントリーはどうなるの?と思っていたけど、今作『すずめの戸締まり』でもちゃんとサントリーの商品も出ていた。
同じ商品分野で競合は出さないというのが不文律だと思っていたのだけれども、サントリーとacure、同じ飲料水分野で両方出したのは大人の事情かな。

伊藤沙莉ママのスナック行ってみたい。NHKで、伊藤沙莉ママのスナックに新海誠監督が飲みに来るっていう設定で、『すずめの戸締まり』の裏話を話すっていう特番やらないかな。別にNHKでなくてもいいけど、NHKって以前『天気の子』の時に特番やってたな。

写真は、ダイジンのモデル(独自研究)
こいつを引っこ抜くといろいろややこしいことになるので、引っこ抜くの禁止

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