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文字通り”時代をかけめぐる作品”~「時をかける少女」

さて、”角川娘”として薬師丸ひろ子と並び立つのが原田知世。
そのデビュー作にして、日本芸能史・サブカル界に大きな影響を与えた作品がこちら。「時をかける少女」。映画は1983年に公開、その後何作か映像化されて2006年のアニメ映画も話題になった。これももう17年前か。
なお、原作の小説は1965年に連載開始とのことなので、もう半世紀以上も前になる。

もはや「時をかける少女」はアイドル女優の登竜門のようになっているが、その嚆矢とも言うべき作品が1983年の原田知世主演の映画と言えよう。
確かに今見ると古臭さは否めない。自然な演技というより「お芝居」という感じ。一昔前の教育テレビの寸劇のような印象を受ける。
この作品では主に、タイムリープという特異な能力を持ってしまった主人公・芳山和子の不安と克己という内面にクローズアップされている。それを原田知世の訥々とした演技だけでなく、撮影やカット割りのある種のぎこちなさも併せて、思春期の少女が抱く心の動きを表現しているかのようだ。だから、年齢も立場も超えて多くの鑑賞者に共感を与えられてきているのだろう。

一方2006年のアニメ映画の方は、通底するトーンがまるで違う。とてもオープンで乾いていて、未来志向な印象だ。
主人公・紺野真琴はタイムリープ能力自体はさほど苦悩することなく受け入れ、それを弄びさえする。ここが大きな違いの要因であり、そこに葛藤は見られない。むしろそれにより、周囲の友人たちが巻き込まれる事件との関わりで大きく感情を揺さぶられる様にスポットがあてられていく。

原作の小説はというと、やはり時代的にも1983年版に近い。ただ、中編小説(短編に近い)ということもあり、映画を観たあとに読むとあくまでその骨格部分だけという印象を受ける。

こうしてみると、原作の骨格部分を維持しながらその時代の空気をまとわせながらアレンジされてきている、そんな作品なのだと知らされる。まさに「時代を駆け廻ってきた作品」なのだ。
個人的には1983年版の方が好きだが、2006年の方も新たな解釈でさらに多くのファン層を獲得したという点で画期的であり、おかげで「時をかける少女」をさらに生きながらえさせたという功績は大きいと思う。

でもやはり真琴の言動はあまり共感できないなあ、と思う中年の独り言も呟いてみる。。

最後に日本映画史に残る1983年版のエンドロールを紹介して終わりにする。


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