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彼女が嫌い

 白い吐息は、美しい。凍える手をポケットにしまい、立ち寄ったカフェには、まだお客はいなかった。

 コーヒーを口にする。ブラックコーヒーが飲めるようになったのはいつからか。いつの間にか、嫌いな物も苦手な物も受け入れる。そんな自分になっていた。

 手に取った雑誌には、「嫌いな相手は、自分と同じ本性だから」という記事が載っていた。ふと、目に留まる。
 
 私は、我慢しているのに、あの彼女は自由気ままにふるまっている。薄々気が付いていた。私は、彼女のようになりたいのだ。欲しいものをほしいと言い、取られないように無邪気に誘導する。そんな彼女に私はなりたいのだ。

 些細なことだった。お茶の時間にお菓子を選ぶとき、「これ、美味しそうだね」っという彼女がいた。「なら、それを選んでいいよ」と、いつもならじゃんけんで決めるお菓子を譲った私に、彼女は不満気な表情を浮かべた。空気を読んだ私は、選んだお菓子を手に「それじゃないの?」と聞き返すと「これが食べたい」と私の選んだお菓子を指さした。あぁ、彼女は無意識に、自分が欲しいものではないものを周りに良いものだっと言って誘導している。それに気が付いた時、なんだかすべてが腑に落ちた。
 
 今までのことを思い出す。1回や2回じゃない。彼女は、みんなでお菓子を選ぶ時、必ず最初に、「えーこれ、美味しそうだね」と食べたくないものを指さすのだ。じゃんけんで決める時も、最初に負ける時の準備をして、嫌いな食べ物を周りに選ばせるように誘導している。したたかな女だ。 

 私は彼女が嫌いだ。何も知らない顔をして無邪気なふりをする。そんな彼女が、私は大嫌いだ。
 
「今の彼氏、私の友達が好きな人だったのよね」と言ったことがある。今思えば、「あの時、付き合わなければよかった」と笑っていた彼女は、きっとその彼氏もお菓子を選ぶ時のように、上手く誘導して手に入れたのだろう。その友達に同情する。友達の好きな人と付き合うなんて、私には理解できない。我慢をする人間の上に、彼女のようなわがままな人間が自由に暮らせている。潔癖症な私は、そういうことが許せない。だから、きっと一人なのだ。 

 飲み会の場では、相手よりも友情を優先してきた。周りの空気を読む私は、恋愛において、いつも一歩出遅れる。欲しいものをほしいと言ったものだけが、幸せを手にしている。手にしたものを育てようともせず、簡単に手放すくせに、そんな女を周りは可愛いという。

 けれど、そういう風にわがままに生きる人間と本質は、変わらない。この記事は、そう言っている。こんなに我慢をして、何もかも犠牲して、私は自分の人生を歩んでいない。それは事実だ。
 
 欲深い人間は嫌いだ。私はそんな自分を抑えて、いつも道徳的であろうとする。苦いコーヒーも、白い吐息も、きっと美しくなんてない。そのことに、心の奥底では気が付いている。

 最近、彼女の見下したような瞳が透けて見える時、人間の本性のようなものを感じてゾッとする。「可哀そうな人」、彼女はきっと私をそういう目でみている。そんな視線に気が付かず、鈍感に生きれたらどれだけいいだろうか。鈍感に生きれない私は、いつも孤独を抱えて生きるしかない。

 私は彼女が嫌い。
 私は彼女が嫌いだ。

 目にした記事の続きはこうだ。
ー嫌いな人間の真似をすることが、自分を解放することだ。
 
 厚かましい浅はかな人間と、私も同じ穴のむじな。彼女の真似をする自分を、私は心のどこかで望んでいるということなのだろうか。苦いコーヒーを口にする。

 一つだけ言えることがある。そんな場所からは離れることだ。
 私は一人でも強く生きている。それでいい。それだけで、多分、充分だ。

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