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神さまなエネルギーだった

先日、沖縄の三つ巴について検索していて出会った3つの着物ですが。

カタカムナの本読み進めたら「古事記で天照大御神、月読命、建速須佐之男命を三貴子とかいてミハシラノウズノミコ」の記述が出てきて、この着物が神様を表現していたのではないか?とピンときた。

岩戸開きで木綿と麻を垂らしていたらしいけど、この着物も木綿(太陽☜襟が紫のカラフルな三つ巴の方と月☜白地にいろんな大きさの三つ巴の方?)と麻(青い着物が地球かな?)でできている。

それぞれの着物が「太陽」「月」「地球」で。
それぞれの着物が渦をまいていて。
立体な天体で考察した時に、三つ巴を描きながら発展していくところまで。
琉球王朝の時代にあたりまえに解釈されていたのだろうか?
願いを込めた衣をまとうことで、神的エネルギーとの統合状態をキープできるように意識していたのかな?

モノとモノは物理的に波動があって。
互いに振動して影響をわかちあっているのだから。
無意識状態でも影響をうけるのだから。
意識的に着用していたのであれば?

ところで。
神的エネルギーこそ。
諸刃の剣で。
メビウスの輪に対してどう使うか?
眼が醒める∞ ☞ 8かどうか?
そこのところが問われているQ ☞ 9のかな。

それと、日本の古事記に出てくる神さまではあるけれど。
もしも三つ巴と関係があるのが「太陽」と「月」と「地球」であるならば、
神聖幾何学模様や生命の樹の考察とも重なる部分が出てくる?

生命の樹を立体にして太陽と月と地球の渦のイメージを模索してみたら???

とここまで記して、カタカムナの本読み進めたらやっぱり出てきた生命の樹(笑)

今気がついたこと。
カタカムナの1次元から10次元をあらわしている
ヒフミヨイ ムナヤコトの記号だけ見ると。
スタート地点の「ヒ」の記号、地球の東半球だと仮定したら。
ヒで日の出。
フでずんずんあがって。
ミで正午。
ヨからは下がる西半球。
イで日の入り。

人の一生でいうところのぷりずん地球人時代が「ミ」を境に下ることによってぐるぐる回りながら下降していることに気がつけると「ヨ」「イ」の間にお掃除を開始することでランドリー地球人になって。

ハイヤーセルフと通信を開始したら6次元である「ム」の時代を探索できる?

1次元から5次元は右と左に分かれていることで、二元性のさまをあらわしているような?
普通なら正午な真んまん中な「ミ」は中立表現になりそうなのに、「ヒ」と「フ」と同じ形にすることで、3次元ぷりずん地球までがひとくくりなのだろう。
中心から近ければ近いほど重力?引力?の影響も大きそう。

あと。
半丸の、上部のみを使って移動していることで、顕在意識の探索を表現しているような?
半分の顕在意識を使っている最中でも、半分の潜在意識とはつながっているってこと?
あ。
下の領域はカルマって可能性もあるな。
清算していない4分の1レベルのカルマを背負っているから。
それがアンカー⚓になって安定しているようにも解釈できるな。
もしくは、それらの混合状態=秩序あるカオス状態…。

青丸渦の「ム」のスタート地点が、赤丸渦のヒより上の場所にあることで。
次元の違いをも表現していそう。

6次元な青丸「ム」からは。
天と線で繋がっている=ハイヤーセルフと二人三脚だからこそできる、潜在意識の世界への探索(or or &空飛ぶための全カルマ清算作業?)のを表現しているようにみえる。

ランドリー地球人時代に入ると、おのずと反省して掃除に打ち込む様子もなんとなく見て取れる…。

というのも。
下半分がカルマの量だと仮定して。
赤丸時代の倍になっている。
ぷりずん地球人状態で、全カルマ対応は求められることがない?ってこと?
そ~いえば、昔、神は乗り越えられる困難しか与えない、的なことを言っていたなあ・・・。


ハイヤーセルフと繋がっているからこその、「カルマ倍でも大丈夫」なのだろう。自分でまいた種だしね。それしかないと理解していたら何の問題もそもそもない。

青丸「ムナヤコト」を生きて掃除・洗濯身魂磨きに没頭できる体制が整う頃には物理的なカラダがボロボロになってる頃だから、その代わりに地球の重力と引力からは赤丸時代よりも一段階・離れることで身軽になってる?

神の采配・完璧すぎじゃない???

カルマ=自分でまいた種の収穫だから。
赤丸時代に刈り取りがなぜ必要なのか?体得理解が絶対条件。
まいた種は全部。
本当に全部自力で・・・刈り取りしないといけない。
で・あれば。
蒔くべき種は幸せの種にしますか?不幸の種にしますか?
の理解・選別・選択眼の研磨などなど。
合格しているからこその、青丸時代のお掃除・お洗濯…。

全てがうまくできている…。


ここで、急に思い出したので記すのだけれど。
「ム」
「ナ」
「ヤ」
と太陽が移動しているとして。
「コ」で太陽が2つになっていることに気がついた。

以前に、仏教で太陽が2つになるって話がでていたけれど。
何かしらの関連があるんかな?って。

・ ・ ・ 。

太陽解釈よりも『太陽の光な分け御霊の移動』って解釈した方がいいのかな?
分け御霊が分け御霊する???
細胞分裂的な???

でも。

「ト」で縦と横が統合されたら。
座標軸だけが残ってやっぱり全部消滅しているようにも見える。

全く同じ量で相反するものの波動が重なれば。
打ち消しあってゼロか?

きゅう(☜旧って漢字は1+8旧=9×2?球が2?だな)地球から新地球へ…。なの?それか。やっぱりエネルギー体のみになるんかも???

カタカムナ的にはつづきがあって。

生命の旅はエネルギー体になって続くことをこの渦は表現しているらしいのだけれど。(やっぱり消滅か。消滅すんのも普通のことなのか?)

人が、エネルギー体だけで存在する直前…。
統合を果たす直前には。
太陽が二つになる?

と、ここまで探索していると。
ハイヤーさんが『人類にとっての八咫鏡=🌎』と。

確かに!


いちばん大きい八咫鏡は地球人類の存在そのものの反映であるこの地球…。

もしも。では。
人類が「ガ」を真ん中に治めて穏便な納得づくの無効化で昇華して。
カ(ガ)ミの段を過ごすと…。

鏡がでてくるのかな???
私が鏡のようになった時には私の内に光が反射して???
とか、そうゆうこと???


地球の中心は溶けた鉄らしいしね…。
古事記の時代には鏡は鉄だった。
原初の頃の地球は溶けた鉄だけだったけれど。
現代では核の部分は鉄の塊に成長しているらしい。

何が出てくるんやろ???


きみが代は

千代に八千代に

細石の

巌となりて

苔の生むすまで……………。

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