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長谷川不可視「トリップ・オア・トリート」後編

「ダン!」
 そのまま扉はバタン、と閉まってしまった。劣化の具合を差し引いても不自然に重厚な音だった。それっきり何の物音も聞こえてこない。
 数分後、ドナベールは勇気を振り絞ってドアの前に立つ。長身のドナベールよりも更に細長いドア。ドアに触れるだけで生気を吸い取られるようだ。
「……はぁー」
 開けたくは無い。だが超常的な何かを信じているわけでも無い。この恐怖から察するに中にいるのはひどくても多分人殺しか何か、その程度。相手が人ならば怖くは無い。ドナベールは自らにそう言い聞かせた。
 ドアを開ける。ここまで重いドアを子供が開けられたのか? ダンは力んでるような仕草を見せなかった、この重量なのに? 余計な考えがいろいろと浮かぶ。
 礼拝堂は静寂に満ちていた。天井が崩落したのか、教会の座席に月光が差す。薄暗いことに変わりはないが、かえってそのおかげで光の帯のように見える。赤い絨毯のその向こう、講壇にてカボチャ頭のダンは俯いていた。
「ダン、何やってる、戻るぞ。もう気になっていることは無——」
 嘘をつく。気になっていることしか無い。辺りに子供達がいないことも、閉めてないのにドアが閉まっていることも、そして何より話しかけたダンの背中に何かうごめいていることも……何も。
「……ドナベールッ……う?」
 ダンのようなダンでは無い何か。しゃっくりの混じったその声にドナベールは思わず後ずさる、と足に何かぶつかった。それは魔女の格好をした子供だった。心ここにあらず、無いものを見る目。俗に言う「キマッている」目。その背後、ミイラ、ゾンビ、ドラキュラ……沢山の無いものを見る視線が、ドナベールの引きつった顔その一点に集約されている。
「ぁなたがドナベール?」
 ダンだったものから、音が発せられる。カボチャ頭のせいで表情は見えないが、それはダンではない。逃げなければ、逃げたい? 逃げられるのか、いや不可能だ。
「えぇ、逃げるのはぁ……多分無理ですねぇ囲まれてますしぃ……ヒッ」
 考えを口に出される、読まれている?
「ハッピーシェアリィ~ングトリップオアトリートォ! 申し遅れましたッぁあ、僕は名も無きものゥ。便宜上南瓜の怪物とでもしておきましょうかあ不本意ですが」
 ダンからダンじゃ無い、妙に狂ったテンションの高い声が発せられる。
「……怪物? 馬鹿らしい、そんなものが実在するとでも? ダン、いたずらが過ぎるぞ」
「残念なぁがらッ、この方はもういません……悲しいねぇ。その証拠に、ほら」
 かぼちゃ頭のギザギザ口の部分から、ぺっと何かが吐き出された。
 ダンの頭部だった。
「ひっ!」
「おわかりですか? もう、この方は僕になっちゃったんですぅ」
 何だ、何? これは一体何? ドナベールの出来る抵抗と言ったら、必死で目の前の超常的事象を『怪物』と認めないことだけだ。認めたら最後、恐怖で立ち上がれそうにない。自分が崩れる気がした。
「……少々時間をォッ、うん、上げましょう。さぁ子供達、お疲れ様でした。幸せの時間だよぉあぁ、ドナベール。ドアはどう頑張っても開きませんからその場にいてくださいねぇ」
 その瞬間、背後にいた子供達が歓声を上げながら一斉に南瓜の怪物の元へと群がる。まるでヒヨドリの密集体のようだ。ドナベールが見えていないのか容赦なくぶつかってきて、ドナベールは堪らず姿勢を崩してしまった。子供達は互いを蹴飛ばし押しのけ合いながら我先に怪物にお菓子を献上しようとする。
「こらこら他人を傷つけることはァいけませんねぇ。そんな子には……幸せをあげませんよォ?」
 途端喧噪は沈静化し、怪物の隣にはお菓子の山が築き上げられていく。それと引き換えに、子供達一人一人に怪物は薄ピンクの錠剤を渡した。途端よだれを垂らしながら狂乱する子供。うー、うーとうなり声を上げながら赤い絨毯の上に寝そべり錠剤を口にする。
「……それは、何?」
「よぉくぞぉ聞いてくれました! これは稀代の天才たるこのぼぉーくが開発した幸せ物質てんこ盛りのトリップトリートさぁ依存性は無いよぉ!」
「……依存性は無い? 見たところ麻薬にしか見えないんだけど?」
 ドナベールはもうこの状況が常軌を逸しすぎて逆に冷静になってしまった。子供たちの口にするそれ、『幸福』は明らかに麻薬だ。
「麻薬ではありませんよォ失礼ッなぁあんな下劣のものと同列の扱いは傷つきますよォ。このトリート自体にはぁ中毒性はノンノンッ! 中毒性があるのはその人間由来の『幸福』自体ィそればっかりは僕の手には負えないのさあ厄介厄介、あー残念だ」
 怪物はピンッと人差し指を立てた。
「幸福に中毒があるぅそれが貴方の疑問でしょう。でもねぇ幸福には確かに中毒が存在するんですよォ。何故か分かります? 何故なら幸福自体、実は世界には存在していないんですぅ何故なら幸福は人間が作ったまやかしだからねぇ」
「幸福がまやかし? ハッ、馬鹿なことを。幸せは現に実在する。美味しいものを食べたり大切な人の傍にいたり、そういう時に幸せは現れる。お前は怪物だから幸せを感じ得ないのだろうな」
 ドナベールが嘲笑うように反論する。すると怪物は背中から触手を伸ばしドナベールの首を絞め空中にあげる。ドナベールは苦しさのあまり足をジタバタさせるが、触手を振りほどけそうに無い。
「チッ低脳がァ……いいですか世界はデフォルトで乾いている灰色の無味の世界なんですよォそこに幸せも救いも情けもなぁいィ……そんな世に生きる猿共が進化の過程、つまりィ頭の中のじゅるじゅるが膨張した結果生み出された人類のくそったれな世界に対する抵抗の象徴であり虚像がァ……『幸福』ゥ分かりますか? 幸せの形は人それぞれなんて言いますけどねぇそもそも形なんてあるわけ無いんですゥだってそもそも現実に存在しないんだからァ」
「くぁ……はぅ」
「無いからこそ何もかもが許されるそれが幸福ゥですが形が無いからこそ解釈が異なり様々なところで軋轢が起きるぅ争いが起きるぅ幸せによって人が死んでしまうぅ! 貴方も分かるでしょう? 貴方にとっての幸福は信念を貫くこと、貴方の殺した人々にとっては神を信じることが幸福、ほら幸せの形が違うから人が死ぬ……ヒッぁあ、それはひどく悲しい。ですからぁ、私はせめて未来ある彼らにとって可視化できる幸せを与えたかったァ」
 ふと、怪物は気づく。ドナベールの抵抗が止んでいることに。怪物はしまった、と頭を抱えるとドナベールをそっと下ろした。
「私としたことが熱くなってしまいましたァ……貴方は見えないものを憎むお方、だから分かり合えると思ったのですが……残念です」
 怪物はそっとドナベールの髪を撫でた。


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