【+1000Follower】Twitterアカウント設立背景と想い <第1章>
※本稿文字数:4993文字
①+1000Follower 概要
本稿は、被験者の筆者が2020年1月24日に1000人を突破し、その後日行った下記のアンケートにおいて得られた
という約76%の需要に対し、「0人から1000人まで」を前提に構築したSNS戦略マーケティングの手法をお伝えするものとなります。
対象となる方、購読を推奨する方は以下の条件のいずれかに当てはまる方です。
①時間的制約がある方:本業(種別を問わない)が忙しすぎるがセルフブランディングを強化したい
②インプットに充てたい方:マーケティング、企画職に就きたいが戦略的思考で何が必要か分からない
③SNS上で権威性が必要な方:マイクロインフルエンサーになりたい
全体構成及び価格帯としては下記となります。
内容は自己分析、SNS市場分析、Twitterアカウントルール策定、実践と振り返り(実績込)の順で紹介します。
戦略手法の中でどなたでも使える基本の「キ」を選んでいますが、プロの手法と実績を持ち込んでいるため、いずれも中身はガチです。
「Twitterのフォロワーを増やすだけなのに
ここまでしなきゃいかんかね(´・ω・`)」という方へ、
結論、しなきゃならんことは無いです。
内容の中で実質必要な部分だけ盗んで頂ければ大丈夫ですし、ただ1000人増やすだけなら方法は色々あります(フォロバ100%を継続、18禁垢作成等)。
ただ、私がやりたかったことはそこにはありません。
普段の仕事が忙しくても「フォロワー数 - フォロー数 = 権威性」を確実に実現することが目的です。
そうなると既存の方法はとれません。なぜならば、
・1日30ツイート→1か月900ツイート。実働時間含めるとそんなに発信できない。無理。
・フォロバ100%→フォロワー変動を確認するタスクが不定期に発生する。継続性低。
・SNS企画!→ふぁぼりつのやるやられるをやはり確認しなければならない。継続性低。
社会人はそこまで暇ではありません。とすれば、ルールとターゲット層と仕組みを作ってしまって、手間をかけずにやってしまいたいです。
市場分析と自己分析を掛け合わせ、手法を足して出来上がった戦略的思考を実装し、セルフブランディングを以て自身の市場価値を上げること。
理想形は、
1日5ツイート前後、フォロバ・企画無し、時間的圧迫を受けない
です。これをそのまま体現した、自分の好きなもの(サッカー)発信のアカウントが私の垢です。
②なんでそんなことやりだした?
重い話になります。
都内某大手の会社で勤め人をしている私は、2年前、初年度に配属された戦略系マーケティングから急遽法人営業に異動。繁忙期に入ってきた私に教育できるほど手が空いている人員はおらず、この後1年近くほぼ自力で売を上げていくことになります。
マーケティング時代に培った手法と知識で市場分析をし、アカウントを独自で限定し、攻め方を変えながら実行に移した結果、営業2年目(入社3年目)に突入した時点で、同時期の同期の目標売上額が平均5,000万のところ、実績で1億5000万を記録しました。
ここは自慢です。戦略と実行が完全に噛み合った成果は、着実に出ていました。
しかし、入社2年目手前で希望も出していない営業に配属された私は、実行段階で宝くじ売り場でしか見たことがない高額な数字と、経験したこともない規模の案件と数を次第に回せなくなっていきました。
残業は増え、朝2時に帰り着いて朝5時に家を出る日常を送っていました。
次第に普段ではあり得ないミスを連発するようになり、客先で怒鳴られ、元請けにどやされ、それをカバーし、また訪問し…このサイクルに巻き込まれながら業務整理もままならなくなります。
そして、「何のために今これをやっているんだろう」と、体感200%頑張って、リターンの実感が10もないことに気付き始めます。
「最初から自力でやってきた。」
誰にも頼らず、誰にも頼れず、出来ないことも出来ることも全て自分のせいだと思い込んだ時点で袋小路。詰みです。頻繁に体調を崩し始めました。
「自己管理ができていないなんてあり得ない」「ちょっと疲れただけだ。周りはこんなもんじゃない」と繰り返し自分に言い聞かせ、無理矢理出勤。今考えれば保つ筈がありません。
究極の状況になったのが、2019年3月26日。
その日、昼から客先へ行ったところまでしか殆ど覚えていません。
目の焦点は定まらず、右眼と左眼が別のところを見ている感覚。真っ直ぐ歩いていても人にぶつかります。
顔を上げるどころか、前にすら向きません。向く気力もないのです。
次の記憶は、知らないビルの16階、屋外階段の梁の上。絶壁。眼下に見える景色、点のような人、ミニカーのような車、模型のような橋と道路、街路樹。
飛び降りようとしたことに気がついた直後も、驚きはしませんでした。「あぁ、そういうことか」ぐらいで、心は死を受け入れていました。
恐怖も疑問も、一切感じませんでした。
考えることを放棄していました。
でも、身体は一歩も前に進みません。
たった一歩、自分の靴一つ分前に片足を出し、空中に重心をかければ、おそらく即死できたでしょう。
意識が判然としないまま、頭によぎるものを少しずつ手繰り寄せようとしました。
最初によぎったのは、親でも友達でもなく、
今の妻の顔でした。
ここで初めて、唐突に、しかしはっきりと自分の中で声がします。
「…なぜ死のうとしてる?」
意識が唐突に、はっきり鮮明になり、急な吐き気、目眩、貧血に襲われました。
直後、梁から離れ、ふらつきながら廊下にたどり着き、おそらく登ってきたのであろう16階分の非常階段を重力に任せて駆け降ります。
体の動きに任せてなんとか駅まで歩き、なんとか電車に乗って、住んでいた社宅ではなく当時はまだ彼女だった妻が住む借り上げのアパートに駆け込みました。2019年3月26日17時15分のことです。
③半年の空白
「俺、さっき死のうとしてた」
動転しながら掛けた私の電話を受け、仕事から飛んで帰ってきた彼女は、自分の仕事を二の次にして私の会社へ代わりに連絡して、対応してくれました。
会社からは、当時夢の話までよく相談していた部長が家の近くまで飛んで来て、全て話を聞いていただきました。その段階で、私が持っていた仕事はその後2ヶ月かけて全て他の人に割り振られて消化されました。
「本当に、本当に、申し訳なかった。」と、部長とは、その後隔週、月1回と、家の近くまで一人でいらしていただき、ゆっくりこの後のことを含め、話をしていくことになります。
「仕事のことは何も心配せずに、今は体調優先で休め。」
心療内科の診断を受け、カウンセリングをし、結果として2019年10月までの半年間、休職することになります。
最初1ヶ月は休むというより、死んだように眠り続けました。
夜10時に寝て朝7時に起き、朝食を含めて3時間動いたら活動限界。朝10時に寝て夜7時に起き、夕飯を含めて3時間動いたら夜10時。この繰り返しです。
何も考えたくない上に、体が休息を求めている状態なので、どうしようもありません。
2ヶ月目前半になると、生活リズムが安定。後半には、「ちょっと外出てみるか…」と考えられるくらいには前向きになります。
買い物したり、家事してみたり、本を読んだり、映画を見たり…仕事から離れるためにやりたいことをやってみるという状態です。
このあたりから、気を許せる人であれば直接会えるようになってきます。
そして3ヶ月目、2019年7月。ようやく現実的なところを考えるようになります。
「・・・俺こっからどうしよう。」
死のうとした、ということは全て終わらせようとしたということです。
今まで身内が亡くなったり、何らかの形で「死」を近くに感じると、「あぁ、人間なんて事ないタイミングで、死ぬときゃ死ぬんだなあ」と思うようになったのですが、今回はレベルが違いました。
「人間なんて、じゃない。俺もや。
俺も死ぬときゃ死ぬんだ。」
いつか思いもよらないことで死ぬ、という想像の中に、身体的な病気や事故は入っていましたが、「自ら思わず死を選ぶ」という発想はありませんでした。
一度、本当に死のうとした実感が、ここにきて湧いてきます。そして、逆にこの後、どう生きたらいいのか、分からなくなりました。
「復職するか、戻っても同じことになりそうな・・・、転職で解決する話なのか。マネジメントする暇もない、同僚が助けてくれる隙も無い会社に入ってしまえば、同じことなのではないか。本当にゼロから、ゲームみたいに、関係もリセットして何もかも忘れてしまっていいものか。」
ネットで調べたり、人に直接聞いたり、自分で考えがまとまらないことはひたすら調べました。
それでも大半、ネットには『円満に転職するには!』と転職を勧められ、人には『信じる方向でいけばいいんじゃないか?今は考えるときじゃないだろう』とブレーキをかけてもらい・・・
「じゃあこの『どうしたらいいんだ』という
漠然としたモヤモヤはどうしたらいいのさ。」
別に誰かに文句が言いたいわけではなく、単純に気持ちがまとまらない気持ち悪さで、逆に考える時間が増えていきました。
そしてある日、仕事を考えることをやめました。
④「自分が幸せな状態」とは何か
仕事を考える代わりに、私自身について考えることにしました。
「そもそも自分は何をしているとき幸せか。」
幸せ、という状態が抽象的だったので、行動や表情、シーンなど、具体的なアクションを指数にして考えるようにしました。
どんな小さなことでもいい、誰に勝っているとか、夢かどうかとか、そんなことは考えなくていい。
自分だけの絶対評価のような感覚で、あくまで『私は』何が幸せなのか。
めっちゃ時間がかかりましたが、大きく2つ。「英語を使っているとき」「自分から何かを発信しているとき」
前者は、「現場も知ってて戦略も立てられて英語も使えてってお前・・・こっちに異動してこないか」という「オイ誘惑やめて」な引き抜きを頂いており、社内で何とか解決できそうではありました(現在その部署にいます)。
問題は後者です。会社にいてもできそうにもなかったことを、戻ってからでは同じことになるのではないか、と考え始めました。
幸い、限定的ではありましたが時間は唸るほどありました。
「下準備をしてやろう」
noteのアカウントを作り、リハビリがてら追い込むために記事を1日4つ作り、「書くこと」そのものがどれだけ大変かを実感しながら過ごしました。
その並行でやっていたのがSNSマーケです。
市場を徹底的に洗って、何をどう発信すればいいのか、復職後も続けるにはどうすればいいのか・・・
1度運用を間違えてフォロワー400人手前で垢BANされましたが2019年8月末より復活し、2020年1月に1000人を突破できました。
⑤「自分」を独り立ちさせる方法=セルフブランディング
命がなくなれば全て終わる、これ自体は極論ですが、会社が無くなったら、大学が無くなったら、既存の肩書が無意味なものに変わったら、「自分は一体何者か」。
この理屈でいけば現在「Twitterが無くなったら」問題が浮上しますが、私の頭の中とガリガリ書いたノートにノウハウがある限り、侵されても問題ありません。
別にそこまで命を懸けて始めなくてもいいんです。笑
ただ、このシリーズで実践編に突入し、自己分析中に新たな発見があってやりたいことが見つかったりする一助になれば何よりだなあと。
市場分析、SNSマーケと並んで「自分のことが分かるようになる」ことは戦略的思考のフレームワーク上も必要なことだと思います。
そういうワンパッケージをこのシリーズで紡いでいくことができれば幸甚です。
情報はTwitter(下記参照)とnoteで逐一流していきますが、当面先ずは『ALL in Limited』の完成を目指します。
両者フォロー頂く必要は必ずしもありません。片方でもアンテナが勝手に立つので楽だとは思います。
パラレルの記事は、この1章にリンクする形で末尾に追加していきます。
長文となり恐れ入ります。
引き続き購読いただいた方々須らく1000人増実現のご一助となれるよう努めてまいりますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
-RioSam
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