憧れは要注意!

作家を目指している方だと、「こういう作家さんみたいな小説を書きたい」という願望を持っている人は多いんじゃないですかね。

どんなジャンルでも初期動機として憧れの人を目指すことが多いんですが、それって実は結構危険なんです。

昔芸人さんの間でこんな病気が蔓延しました。

『ダウンタウン病』という病名です。

ダウンタウンさんの人気と影響力が凄すぎて、ダウンタウンさんの真似をしてしまう芸人さんが続出したんです。

現在四十代位で活躍する芸人さんは、松本さんに憧れてぼそぼそとした口調で、ずばっと切れ味の良いボケを言おうとする人ばかりでした。

今では信じられない話なんですが、くりぃむしちゅーの有田さんやアンタッチャブルの山崎さんもダウンタウン病に罹患しました。

お二人とも松本さんのような振る舞いをされていたんですがちっとも売れません。そこである時点で、「これは本来の自分ではない」と気づき、今のような芸風になったそうです。

作家でも芸人でも歌手でも、憧れのスターみたいになりたいとそのジャンルを志すのはいいんです。

でもそのスターそのものになろうとしてもたいてい失敗します。なぜならそれは自分の本質ではないからです。

ちょと男女関係に似ているんですよね。男も女も好きになる人って、自分にないものを持っている人じゃないですか。

だからそのないものを持っている人に自分がなろうとしてもうまくいくわけないです。

有田さんや山崎さんは最初それがわからず、自分が松本さんになろうとしちゃったんですよね。

でもそのジャンルの人に憧れるってことは、そのジャンルの才能自体はあるってことなんです。

例えばサッカーのメッシ選手はとんでもない怪物じゃないですか。僕はサッカーが好きでメッシもすごい選手だとは思いますが、「メッシみたいになろう」とは思ったことは一度もありません。

なぜなら自分には、サッカーでプロの選手になれるような才能はないと最初から理解しているから。

でもここで「メッシみたいになりたい」とサッカー選手を志す人って、サッカーの才能を持っているってことなんですよ。絶対に無理だと思っていたら、はなから目指すわけがないんですから。

だから憧れというのは、才能の大枠は捉えているんです。

でもサッカーの才能はあったとしても、メッシみたいな攻撃的な選手ではなく、DFやボランチなどの守備的な才能かもしれません。

憧れが怖いのは、「おまえは守備の才能があるからDFになった方がいいぞ」と誰かが忠告をしても、「いや、僕はメッシみたいになりたいんだ。DFなんか絶対に嫌だ」とかたくなに否定してしまうことなんです。

憧れは才能の大枠は捉えているんですが、その枠の中の自分の特質と憧れの人の特質はずれていることが多いんです。

僕は星新一に憧れて作家を志しましたが、星新一みたいなショートショートを書けるとは考えていませんでした。

僕が得意なのは王道のストーリーラインです。つまり憧れている星新一とはぜんぜん作風が異なるんです。

なぜそれが最初からわかっていたかというと、筒井康隆先生の逸話を知っていたからなんですよね。

初期の筒井作品というのはハチャメチャでドタバタの、ナンセンスSF小説というものです。常識や良識を破壊し、どれだけむちゃくちゃにできるかというタイプの小説です。

筒井康隆人気が凄かったときの小説の新人賞って、筒井康隆の亜流作品ばかりが殺到していたそうです。

誰もが筒井康隆みたいになりたいと筒井風小説を書き綴ったんですね。

当然、そんなものが新人賞に受かるわけがありません。この話を聞いて、作家志望者の方でドキリとした人もいるんじゃないですかね。

だから憧れというのは、指標にもなりえるが邪魔にもなりえるものなんです。

作家志望者の方で「〇〇さんみたいな小説が書きたい。だからプロの作家になりたい」と思っている方はもうその時点で作家の才能はあるんです。

でもその憧れの人の作風が、自分の長所とは違うケースがほとんどです。執筆の際はぜひその点に注意してみてください。

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