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「うつ病」ときえたい気持ち。この人生はいつまでつづくの。

わたしは「うつ病」らしい。
きっとそうなんだろう。今更、どうにも否定のしようがない。
医療職のはしくれとして働いていた自分にも、多少の知識はあるから、
なんとなくだけど、わかる。

もしも、自分の周囲にいる誰かが、そのような状態だとして、
そんな診断がついていなかったとしても、何か辛い思いをしていると知った時、絶対に思わない、言わないこと。

でも、自分に置き換えると、なぜだか投げかける言葉は真逆になる。
「気のせい、怠け者」「努力が足りない、自覚が足りない」「しっかりしなきゃいけない」「気合いでなんとかするんだ」「自分が休めば誰かに迷惑をかける、そんなことあってはならない」…。
あげ始めたらキリがない。自分を攻撃する言葉は、とめどなく、いくらでも出てくる。
そんな思いを心に抱えつつ、自分を責め、自分なりの精一杯の努力をした。

その結果。
気づいた時には、「時すでに遅し」「満身創痍」。
ぼろぼろ。というより、ほんとうにいのちを失うところだった。
ようだ。

多くの方々のお力のおかげで、
いま、ここに、私は存在している。
「この人生はいつ終わるのだろう」という気持ちを常にかかえて。

うつ病を代表とする様々な精神疾患、またそれに限ることではないが、
色々な理由で、
「自ら命を断つ」人が毎日たくさんいる。
特に近年は若者や女性の自殺増加が問題視されている。

自分もそんな気持ちを持つヒトの一人。
きっとそんな気持ちを抱えながら生きているは数えきれないほどいると思う。
「未遂におわってしまった」などというと怒られてしまうかもしれないが、
当時、目を覚まして現実を知った時の自分の「落胆」。
そして「絶望」。
遂げることができなかった、かなわなかった。
(のちに閉鎖病棟へ強制送還されることとなったが、その件についてはまた別の機会にお話ししようと思う。)
そのかなわなかった思いは、しばらくの間、より一層、強く激しくなり、失敗に終わった悔しさからか、『完遂すること』がわけもなく大きな目標となり、余計に執着することとなってしまった。

だけど、誰にいうこともなかった。
親、主治医。誰にも言わなかった。
言ったら、どうなるか、だいたい予測がついたから。

気づけば、はじめの未遂から、ちょうど、本当にちょうど
4年という月日が経過していた。
(もうそんなに経ったのか、といま驚いている。)

その間、実に様々なことがあった。山あり谷あり、崖っぷちに立ったこともある。「気分の波」なんて言葉で簡単に片付けられない、実に様々なことがあった。

しかし。
その中で、強弱こそあるものの、決して消えることのない
きえたい
という、きもち。強い思い。願い。
強く思い続けながらも、そう簡単にできることでもなく、
正直に言えば、やっぱりちょっと「怖い」。
過去の経験があるからこそ、さまざまなリスクも知った。
そして、「命の大切さ」。これを軽視しているわけでは決してない。
また、こんな自分を大切に思ってくれていた、いる、ひとたちがいること。それを忘れているわけでもない。どうでもいいなんて思っていない。
だからこそ、生と死の狭間で、悩み苦しんでいるのかもしれない。

そして、本当に抑鬱状態が極限になると、
「消えたい」という気持ちをかすかに持ちつつも、
そのようなことを実行しようなどという意欲すら消えてしまう。
消えたいのに何もできず、ほぼ寝たきり、という「最悪の状態」だ。

じぶんはいま、いままさに、そんな気持ちを強く持ちながら
いつになったらこの人生はおわるのだろう
早くおわってほしい、早く解放されたい、ラクになりたい。
それだけを願い、ぽちぽちとタイピングをしている。

ほんとうは、そんな願いを持つことなく、
生きることができたら、きっといまよりは幸せなのかもしれないけれど。
そんなじぶんは、今はまるで想像がつかない。
そんな2024年6月の初めだ。

きょうはなんだかこんなことしか書くことができず、
申し訳ない気持ちです。
でも、これが今の自分の正直な気持ち。
できるだけふんわりとした言葉に変えて、表現したつもりですが
至らず、申し訳ございません。
また、よろしくおねがいします。🌱🧸

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