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人生の最後ぐらい人の役に立って死にたかった。今は、誰かの役に立つために生きてる

やなこと全部飲み干して、ただその場をやりすごす。その時間が長い不登校の時間だった。

これでよかったと言い切れない過去の記憶。誰にも本当のことは言ってない。その時はいろんな人から責められたりした。

平気じゃなかった。限界だった。そんな私の不登校の時間。でも死を考えたときでさえ、最後には人の役に立ちたかった。

これからも、人の役に立つ人間として生きていきたい。

未来も見えない。今の最悪な状況から抜け出せない。「もう死にたい。」

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高校生の時、不登校になった。自分の存在価値なんてないと思っていた。

私が高校に行かなくなったのは高校生1年の春。過眠症のようなものになったのがきっかけだった。最初は朝起きるのが猛烈にしんどい起立性調節障害と言われ思春期によくある病気だということだった。

起きたら学校に行って授業を受ける。学校に行ったり行かなかったりした。もちろん授業が抜けてばっかりで進学校だった私の高校の授業についていけなくなった。友達もいなかった。

それでもめげずに学校に行った。ぎりぎりの主席日数で2年に進級。でも1年生の成績は10段階評価で2ばっかり。そりゃテストもうけず、宿題もせず、ただ授業に数回出る学生だったからもちろんだ。

「こんなはずじゃなかったのに。。。」

でも、私は成績表が素直に受け入れられなかった。見るのが苦しかった。中学校の頃は5段階中5しかない。全国模試をうければ、どこかの教科のランキングに名前が載る。そんな私は高校の自分の成績の2を直視するのと自然と涙が出た。今までは唯一の勉強という承認欲求がいじめから逃れて生きていくために、やっと身に着けた考え方だったから。ある種、勉強ができるという優越感までもが私の生きる意味だった。


病気が治ったとしても、自分とは違う”あの人たち”が怖くて、学校には戻れない

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中学とは違う全くいじめられない環境がある高校で、不登校気味になりより勉強という承認欲求が満たされない。いままで中学校までけなしていた勉強ができないやつらと同族になってしまった気がして嫌でしょうがない。そしてそんな感情を持っている私を高校のクラスメイトはどこまで気にしているのか不安で仕方がない。

そんな現実への不安を直視できないまま、2年に進級はいいものの、一切学校に行きたくなくなった。強い嫌悪感を抱きすぎて、学校にいけなかった。

現実逃避をするようになった。その時の私は、学校に行ってないという事実と、私だけ勉強ができていないという環境をどうしても認めたくなかった。

だから寝た。その時の私は20時間でも余裕で寝た。ひどいときは2日続けてねることもできた。起こされない限り、食事やトイレ、お風呂をしなくても寝てた。それが私なりの現実逃避の仕方だった。

それでも少しずつ時間が経つ。時間のおかげでそんな自分の劣等感が収まってくる。だから、不登校生活をしている間、家ではご飯をつくったり、掃除をしたり家事を全般した。食べることや作ることが大好きだった。

「ありがとう。」

帰ってきたときに家族にいわれる言葉。それに自分だけの存在意義を見出して生きていた。


学校にいかない無気力な私に、初めてお父さんが怒鳴った

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「なんで学校いかんのんや。わしの育て方が悪かったんか。」

お父さんに怒鳴られた。

不登校としてだんだんと時間が経つ中、変わらない私の生活に普段の生活態度、普段、私のことを責めないお父さんが、全力の言葉でぶつかってきた。

学校に行っていないから生まれる劣等感。将来への漠然とした不安感。出来損ないになった罪悪感。不安の気持ちで押しつぶされ言葉がでない。なにも言うことができず、反抗もできず、ただ悲しみに明け暮れて大粒の涙がでるだけだった。

「もう目覚めることがありませんように。」

いつも私は現実の世界で起きたくないと願いつつ、私は毎日深い眠りについた。どうしてもこの現実という世界に生きる意味を見出せなくなっていた。

ハリ治療や整体も、カウンセリングもいった。電話カウンセリングも受けたし、話し合いの会も行った。気分をあげるために旅行に連れってくれもした。知り合いのおばさんのお家に泊まって家族と離れたりもした。精神科に入院も何週間かした。脳の精密検査も受けたとき、私の身体は人より睡魔がものすごい強い状態になっている。それしかわからなかった。


自分の臓器をだれかに提供したかった。最後くらい誰かの役に立って死にたいと思った

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「どうしたら私が自殺したときに、臓器提供できるんだろう。」

親からの目。鏡で見る自分の姿。将来が見えない現実。当時は趣味もなく、引きこもりの時間は家事をするかぼーっとネットサーフィンをする。そんな人生から逃げたかった。もうこの感情を持ち続けるのが限界だった。本当に嫌で死にたくなった。

「死ぬときだけは、これ以上だれにも迷惑をかけたくない。」

自殺の方法を考えたとき、さすがに今の家で死ぬには難しすぎると思った。電車に飛び込むか、端から落ちるか、ビルから飛び降りるか、包丁で自分を指すか、いろんな方法を考えた。

だから死ぬ準備をするために、どうやったら死ねるか、ネットで探しまくった。

「もう自分なんて必要ない。死にたい。ないも同然の命。せめて最後だけは人の役に立って死にたい。」

最後だけは誰にも迷惑をかけず、人の役に立って死にたい。だから臓器提供したかった。臓器提供しか考えつかなかった。

日本ではできず、そして世界でもやってるところはほとんどない。諦めた。自殺者が多いスポットに行っても、電車のホームに立っても、包丁を手にしても、怖くて怖くて、死ねなかった。

気持は最悪だった。死ぬ勇気でさえ持てない自分に絶望した。自分の力のなさに。もうどうしようないと思って二日間寝ずに涙を流し続けた。


「誰かの役に立ちたい。」って、本当は思って生きてる

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「人のために何かをしたい」心からそう思える人間。

思い返せば小さいころから人の役に立っている人が憧れだった。キラキラ見えていて本当になりたかった存在だった。

幼稚園の時は、おいしいケーキを作ってくれる人。
それは誕生日のショートケーキを食べる時間が幸せだったから。そんな時間をつくる人になりたかった。

小学校の時は、お嫁さん。だってお母さんみたいにお父さんを幸せにできる人になりたかったから。

2分の1成人式の時は、人を助けるお医者さん。おじいちゃんを助けてくれたから、家族を守ってくれるすごい素敵な人だと思ったから。

いじめられ過ぎて感情の方向性がおかしい、不登校の存在なんてだれももとめてない。そんな何者でもない私だった。人の役にたてると考えたことなんてなかった。でも、死を考えたときさえ人の役に立つ人間になりたかった。

だから、何者かになるために生きるしかなかった。

何者かになるために、自分のプライドを捨てるために1人で海外に行った。生きる希望をすこし見出した私のことを信じてくれて親が援助してくれた。

そうやって今に至る。今を生きてる。

おとなになればなるほど自分はエゴのために動くようになってた。でも本当の自分はそうじゃない。誰かのために立ちたいんだ。


P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。

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