見出し画像

大人の「食べ物の好き嫌い」に悩む必要なんてない。苦手は自分の個性である

「好き嫌いをなおしなさい。」

私には食べれないものがたくさんある。好きな食べ物もたくさんある。

小さいころからすこしだけ偏食気味だった私は、嫌いなものを克服するために一生懸命たべた。正直つらかった。気持ちが先だって嘔吐してしまったりもした。

「大人になったら舌が変わって食べられるようになる。」

そんな言葉を信じて私はいままで頑張った。でもそんな辛い意味がわからない頑張りなんかしなくてよかったってきがついた。

嫌いなものまですべて食べないと片づけれなかった給食時間。貝と見つめ合った20分は苦痛だった

私の嫌いなものは貝。うに。魚卵系。固いお肉。油がつよいもの。甘すぎるジャム。チョコレート。たくさんある。

12時15分。「キンコンカンコーン」チャイムが鳴ると同時に給食当番が白い給食服に着替えてみんなのごはんの準備をはじめる。

大きなお鍋からお椀にたくさん盛られる具材。毎日違う献立。あったかいスープ。苦手なパック牛乳は毎日運ばれてきた。

12時半。近くの人と4人で机をくっつけて班でたべる。日直の人が合唱の号令をかける

「いただきます。」

一斉にご飯を食べ始める。小学校の時はどんだけでもお腹が空いた。だから給食の時間が楽しみだった。そして給食の時間は大休憩。みんなその時間のために学校にきてるんじゃないかというくらい楽しみにしていた。

13時。再びチャイムがなる。一斉にみんなは校庭に向かって走り出す。私はまだ給食を目の前にして机に座ってる。苦手なお肉を見つめて。私の休憩時間はお肉とのにらめっこだった。

12時20分になったら、食べきれないものは残していい。っていうルールだった。その20分。私はなにもせずとりあえず時計とお肉を見つめ続けた。

その時間が億劫でしょうがなかった。その残飯を捨てるとき、先生の机がすぐ近くにあってご飯ををすててしまうという行為に罪悪感を感じた。

13時30分から掃除の時間がはじまる。その時間がだいすきだった。一生懸命自分のできることを真剣にがんばる。自分の嫌いな給食時間がおわった解放感に包まれて一生懸命雑巾がけをした。そんなぞうきんを洗うバケツが濁れば濁るほど達成感があった。

そんな小学校6年間の生活が染みついて、苦手なものを残している自分に嫌悪感しかいだかなかった。

好き嫌いをしてる私がわるいんだ。先入観できらいなわけじゃない。でもたべれないんだ。

私の嫌いな牡蠣飯がでたとき、「最低一個はがんばろう」と言われれ、飲み込んだ。そして牛乳をたくさん飲み込んだ。

でも、体がその瞬間吐き気を催した。それでも飲み込んだ。けどはきたい気持ちが強かったみたいで、その日食べたすべてのものを吐き出してしまった。その時先生が私にいった。

「嫌いだと思ってる先入観があるから食べれないんだよ。次は、嫌いと思わないように挑戦しようね。」

いたたまれない気持ちになった。私だって努力したのに、食べれないけど食べようとしたのに。体がしんどいって言ってるのに・・・

でも素直な私は、好き嫌いをしてる私がわるいんだ。とたくさん反省した。


「同じ釜の飯を食べる」という表現とおり、同じものを楽しんで食べられるというのは付き合いの深さと結びつける人もいる

大人になって人とごはんに行くとき、相手にびっくりされることはあるかも。だから、好き嫌いがなければないほど、ストレスが少なくて生きやすいのかなとも思う。

もし何かの会で決まっているご飯を食べるとき、自分の苦手なものばっかりだったら、大変だ。周りの人の中には、”育った家庭のしつけの悪さを感じてしまったり、本人の我儘さとか協調性のなさを感じてしまう”人もいるのかもしれない。そういった決まりきった場所で何を

自分が食べれないのはしょうがない。どうしようもない現実なだ。だからこそ相手のことを思って言葉をかけたり、他のお店の提案を自分からするという努力が必要なのだ。

「食べれないから今回はごめんんけど遠慮するね」

その一言の言い方が大事なのだ。

でも、嫌いなものを食べなければならない場面に出会ってしまったときは、頑張って飲み込むのだ。とりあえず飲み物を用意しておく。そして息を止めて口の中に含みそのまま飲み込む。鼻づまりの時は味がわからなくなるのとおなじように、鼻呼吸を止めると苦手なものの風味を感じずに済む。

子供のころは大人はみんななんでも食べれるもなんだと思っていた。でも、もっと大きな範囲でみてほしい、意外と食文化が違う人はたくさんいる。

私には日本で生活してこなかった友人がたくさんいる。彼らの中では、日本ではふつうである納豆が食べられないことはざらにあるし、逆に私たちはむこうの文化ではふつうであるブルーチーズやパクチーが食べれないことが日本人では多い。

だからそんなに気負わないでほしい。

好き嫌いがあることが食へのこだわりになって、自分のアピールポイントになった

私には嫌いなものもたくさんある。しかしそのおかげで好きなものも見えてきた。好き嫌いの差がはげしくなってきた。

私の好きなものは「淡白なお魚」。わかりやすいところでいくと鮎(あゆ)とか鰻(うなぎ)とか、鱧(はも)というお魚が私は一番好き。夏には一人で京都を訪れるほど、季節のお料理が好き。日本の出汁に出会えたこと、日本独自のうまみという文化に出会えたことを、日本に生まれたことをとても誇り高く思う。

大学生になってより自由なご飯を楽しめるようになった。なぜなら自分のアルバイトのお金を自分の生活に使えるようになったから。一年間で100万円。光熱費や生活費は自分持ちだから年間で自分の娯楽に使えるお金は大体20万程度。

その20万円を使って自分はご飯を極めるようになった。好き嫌いが激しいからゆえに自分のすきを極めるようになったからだ。

私のすきがはまったのが「和食」。

だから、お金をためて一人でも食べに行くようになったし、そのお話ができるお友達も増えた。だからこそ自分の味覚を否定しなくてもいいとおもえるようになった。

和食が好きなお友達もできたし、そのお友達と何がどうすきなのか話すこともおおくなった。好き嫌いがあったからこそ、いろんな視野が広がったし、それで苦しまなくていいとしった。そして次第にクラスメイトから「ごはんがすごく好きな人」って思われるようにまでもなった。

京都に行ったら一度でいいから食べてほしいここの鱧丼(はもどん)。たまらない🤤

大人になるとぐんと生きやすくなる。苦手が個性になる瞬間を大事にしたい

本当に身体が必要としている栄養素なら、わたしじゃなくて身体が自然と欲するようになる

極端な偏食じゃない限り人は生きていける。

多少食べられないものがあっても、今の世の中ならまず死ぬことはない。嫌いなものに代わる食品の1つや2つはあるはず、だからこそそれをまず探してみてほしい。

というか本当に食べれなかったら今ではサプリメントという方法もある。だから、食べれなくて本当に体のことが心の底から苦手意識があるなら自分に苦手なものをほかの方法で必要なものを補えばいい。

・パーソナルサプリメント

パーソナルワン(ファンケル)

FINC(フィンク)

サプリメントを飲めば栄養素にいろいろくわしくなる。だからこそ人にはない部分に詳しくなる。

苦手な意識はすこし違う角度から見たら、長所になりうる。個性になる。

あなたが自分の身体を知る努力は惜しまなければそれがきっと誰かに分かってもらえる時がくる。

これはごはんの好き嫌いじゃなくても、自分の特徴についても言えると思う。

私はそう願ってる。

P.S.
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。わたしの知っている情報をもとにこのnoteを書かせていただきました。
もしよければ、コメントとかにこの話を読んでどう思ったか、どう感じたかを教えていただけるとうれしいです。

#女子大生 #大学生 #かっこいい #好き嫌い #食べ物 #偏食 #自分がすき #自己愛 #感情 #日記 #コラム #エッセイ #わたし

この記事が参加している募集

サポートしていただいたお金は、今後の生活費や活動費として大事に使わせていただきます。一生懸命に感情を言葉にして行きたいと思っています。よろしくお願いします。