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歴史総合授業する意味、授業聞く意味

歴史総合という教科についての私なりの理解

歴史の授業と言えば、古代から始まる。そして一年間通じて近現代までにつながるけれど、どうしても、時間の都合で近現代がしり切れトンボになりがちである。今から約260年程前(2022-1760=で計算しました:笑)、18世紀以降、イギリス産業革命が始まってからの近現代の出来事こそ、現在の情勢に直結する事項が満載なのに、それを知らなかったら・・・、という事で、歴史総合という教科が2022年度から新カリキュラムとして始まった。グローバル化、という言葉が当たり前に使われるようになっている。そのグローバル化が始まったのは、コロンブスが大西洋を横断したことが大きな皮切りだった。

イギリス産業革命→三角貿易(いろんな意味での)→市民革命→国民国家形成→帝国主義
世界史のこの流れがある中で日本の歴史の推移
江戸幕府→開国→明治維新→日本の産業革命→日清戦争・日露戦争
ざっくりと骨組みだけ並べてみた。

今まで日本史は日本史だけ、世界史は世界史だけ、だったけれど、両方の絡みを知っておこうという趣旨もある。これから日本以外の国とどんどん関わっていく必要性が出てくる中で、相手国の歴史的背景を知っておくと言うことはとても重要である。ちょっとした理解不足があらぬ誤解を招くこともあり得る。そして、ちょっとした知識がお互いのコミュニケーションをさらに促進することもあり得る。今現時点での一つ一つの国の姿は、過去からの集積の結果としてそこにある。その知識や理解を持つことで、または興味や関心を持ってさらに知ろうとすることで、お互いがお互いにやさしくなれることにもつながるって思う。

試験教科として歴史を選択する場合、歴史総合+日本史探求または世界史探求、となるそうである。

英語など言語はコミュニケーションのツールではあるけれど、それを使うための人間としての心構えやある程度の知識はとても重要だなと感じる。日本を飛び出していろんな人たちと関わるときは特にそれは必要になってくると思う。国際人として世界中の人たちと理解し合うためには、ぜひぜひ習得してもらいたい知識だと思う。今なぜその国でその言語が話されているのか、なぜその地名はそうなっているのか、なぜその国その国の国民性と呼ばれるモノがあるのか。

情熱を持って、ちゃんと一人一人に未来に直結する大切な知識として届けられる授業をすることが、私のするべき事だと改めて認識する。

歴史総合の授業を聴く意味

日本国内だけじゃなく、世界が連動して、様々なことが起こっている。どこの国で起こっていることも、決して対岸の火事とかじゃない。何かが勃発して、その事件に対して、具体的に何か行動を起こすことは出来なくても、まずは知ること、そして出来るならば、深く理解しようとすることはとても大切だと思う。

実際に自分がそれを体験しなくても、それを知ることで、自分がどう生きていきたいのか、どう生きるのかを考えるきっかけにはなる。

今表面的にその出来事が起こっていて、そこに至るまでにはその前の出来事があって、そしてまたその前に出来事があって。って、ちゃんと、理解した上で、自分なりの意見をしっかり持てるようになってくれたら嬉しい。

当たり前と思われていることが、実はつい最近(長い地球の歴史から見れば、の話だけど)に創られたことなんだとか、そんなことに気づいて、じゃあ、本当に大切な視点てなんだろう?って考えるきっかけになったら嬉しい。

ジョン・レノンのImagineの歌詞の意味を、近現代史を知ることで改めて確認出来たのは嬉しかった。

いつものように、何か良い足りない気がする。本当に言いたかったことはまだまだたくさんある気がする。

いつまでも未完成である。それでいいと思う。

気づいたその都度、思い付いたまま、アウトプット出来るこの場に感謝です。

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