練り物の記憶
母親は農作業と、冬はパートの仕事で魚屋さんに勤めていたので、ばあちゃんが元気な内は、基本ごはんの支度は、ばあちゃんだった。
あの頃、実家ではお肉は中々食べられない物だったので、基本行商の魚屋さんが売りに来る魚関係のおかずが多かった気がする。
あなたはサメを食べた事があるだろうか。
実家では、よく煮付けにして食べていた。
で、練り物の話。
✅かまぼこ、魚肉ソーセージというおやつ
そんな環境だったので、農家だった内では、トマトや瓜などの野菜以外におやつと言ったら、かまぼこや、魚肉ソーセージだった。
とにかく昔の魚肉ソーセージは開けにくかったのを覚えている。
3歳ちがいの弟と、ソーセージを口で開けて、よく食べていた。
包んでいるビニールも剥がれにくいし、今と比べるとかなり食べづらかった思い出がある。
でもお腹が空いている兄弟には、これでもかなりのごちそうだった。
さらに魚肉ソーセージがない場合は、ばあちゃんが秘蔵していた、かまぼこを冷蔵庫の奥にあるのを探し出して、8ミリ程度切り出して、弟と食べていた。
(あまり分厚く切って少なくなりすぎると、ばあちゃんに怒られるのだ)
そんな環境だったので、ばあちゃんが隠してるお菓子や、おかずを探しだし食べるプロの二人の兄弟に育った。
✅さつま揚げと野菜と
もちろん、ばあちゃんが畑仕事から帰って来て作ってくれるおかずにも練り物が使えていた。
特に覚えているのがさつま揚げ。
内では秋頃になると白菜が採れ始めるので、白菜とさつま揚げの煮浸しをよく作ってくれていた記憶がある。
あとは、焼き魚か、煮魚がおかずについてきたり、たまにはイカの煮物だったりする。
とにかくうちは、山形の山奥なので、多分ばあちゃんたちには魚という物がかなりのごちそうだったのだろうと想像する。
何かと魚系のおかずがあった記憶。
お出汁も煮干しでとってたのをかなり覚えている、味噌汁にそのまま煮干しが入っているのが通常だった。
そういう環境だったからか、未だに魚は大好きでたまに食べたくなる。
✅まとめ
わたしが大人になってみると、魚よりもお肉の方が安くなってしまっていた。
わたしたち夫婦がまだ新婚の頃はサンマもめちゃくちゃやすかったけれど、今ではサンマも気軽には食べられないものになってしまった。
たまには魚をたべよう。昔を思い出して。
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