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可哀想とか幸せとかってなんなの? No.0

家が崩れ、友達を失い、故郷を離れた可哀想なウクライナ避難民を助けてあげよう。

ロシア語ができるなんていいね、可哀想なウクライナ避難民を助けてあげられるんだもん。

これは、ロシア語を学習している筆者が言われてきた言葉であり、SNS上でもよく目にする言葉でもある。

ウクライナ全土がむしばまれ始めてから1年以上が経つが、終わりは全く見えない。

それどころか、各国の要人が競い合うかの如く、ウクライナを訪問している。

国会では日々、日本ならではの支援についての議論がされている。

そういう面もあるのだろう、ウクライナの人をかわいそうな人として見ている人がとても多いように感じてならない。

それが…とても、怖い。ゾットさえしてしまう。

日常で関わるウクライナの人たちは、少なくとも私の前では元気いっぱいに生きていて、会うたび話すたびに勇気をもらう。

頑張らないと!クヨクヨせずに前を向かないと!って。

助けてあげよう?とんでもない。こちらが助けられている。

世間とのズレで、拗らせモードがオンになったことは過去にもあった。

ボランティアのプログラムの一環で、ミャンマーのスラムに行ったことがある。

帰国後はよく、スラムについて聞かれた。質問は、決まっていた。

どれほど大変な暮らしをしているの?危なくなかった?汚くなかった?

どれもこれも、スラムのイメージから連想されることばかり。

人について、聞いてくれる人なんてほとんどいなかった。悪気はないと思う。

ただ気づかぬうちに、スラムに暮らす人たちを、すごく貧しくみすぼらしいかわいそうな人たちと思っているのが見え透けていた。

ロシアに留学をしていた。その間も、そして今も、少しひっかかることがある。

おそロシア。あながち間違いではない。

だって今、ロシアという国を治めるお偉いさんがやっていることは、世界を脅威に晒しているから。

冷たい国。これまた全否定はできない。

スーパーのおばちゃんに、何か尋ねても「知らないわ!それは私の仕事じゃない」と一蹴されるのだから。

じゃあ、ロシアの人は恐ろしくて冷たいの?

大きな声でノーと言う。

あくまで私の印象だが、彼らはとにかく素朴で底知れぬ優しさを持っていて、世話焼きな節がある。

ほら、意外でしょう?

留学から帰ってくるとこんなことをよく言われた。

あんな国から早く帰ってこれてよかったね!政治も天気も悪い国に住むロシアの人って本当にかわいそうよね!

うわぁ、露骨だ。

なるほど、寒くて日照時間が少なく強権体制の下の日常=かわいそう、というのが成り立つらしい。

これまた悪気はないのだろう。

マイナス20度を下回る。日は9時になるまで上がらなく、15時を過ぎたら沈んでいる。自分たちで国の大統領を選べない。言えないことがたくさんある。

そりゃそうさ、決して生きやすい社会ではない。

だけど、先ほどのような言葉を投げた人たちは、誰ひとり疑わなかった。

自分たちの方が、ロシアの人に比べて幸せであることを。

ううぅぅぅっ!発狂したい!

日本社会に広く存在する何らかの基準や価値観に基づいて、私たちの方が優れているという見方を全面的に押し出す風潮が、どうも性に合わない。

一人ひとりの生き方の数だけ、幸せの定義があればいいのに。

こちらの価値観だけに基づいて、見ず知らずの人に「かわいそう」「幸せではない」というようなレッテルを貼ることに、大きな抵抗がある。

とは言いながらも、もちろんその気持ちは分かるし、思わず憐れみの感情や視線を向けてしまいそうな時もある。

スラムの人は、スコールという集中豪雨によって家が壊されてしまう。

「明日があるか分からない」
確かに彼らは言っていた。

ウクライナの人は、戦争の最大の犠牲者だ。大切なモノやひとが冷酷に奪われている。

「ミサイルが学校に飛んできた」
あの子は、はっきりそう言った。

ロシアの人は、抑圧の中をずっと生きてきた。平和を願えば捕まる。国籍を理由に国外で冷遇されているケースも多いという。

「身内が動員されたなんてよくあること」
彼女は、淡々とそう述べた。

どうして平穏な日常を送ることが許されないのだろう。

理由などいらない「おかしさ」と何もできない無力感で頭を抱える。

実際、希望の光を見失っている人もたくさんいた。

それでも、想像とは異なる感情を見せた人もいた。

「私たちは、裕福な日本人より幸せよ」
スラムの女性は清々しく言い切った。

「体育の授業が好きで、他の科目は嫌い!」
8歳のウクライナの少年は、消しゴムバトルをしながら笑い飛ばした。

「日本は好きだし過ごしやすいけど、故郷はどんな時でもナンバーワンよ」
日系企業を侵攻後に退職した女性は目を細めた。

幸せってなんだろう。かわいそうってなんだろう。

そんなことを最近ずっと考えてしまう。答えのないことをぐるぐると。

だから、漠然としたそんなことを考えさせられた出来事を書き散らしていくことにした。

次回から、いくつかエピソードを載せていく。
おそらくですが、

*8歳のガキが見たベトナム
*15歳の少女が見たフィリピン
*16歳の少女が見た被災地(3.11)
*19歳のほぼ大人が見たスウェーデン
*19歳のほぼ大人が見たミャンマー
*20歳の大人のコスプレイヤーが見たロシア
*21歳の大人のコスプレイヤーが感じるウクライナ
*21歳の大人のコスプレイヤーが行った生野とウトロ
*22歳の大人のコスプレイヤーがぼんやり考える同和問題

みたいな感じになる気がします。

(大人になんて一生なれない気がする…)

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