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「違う」っておもしろいってこと、子どもから教わりました

今日は、この野本さんの記事を読んで、共感したので、衝動的に記事を書いています。


この記事の中で野本さんは、こんなことを書かれています。
”「違う」ということをジャッジし過剰に反応することは苦しい作業でである。「違う」を面白がったら楽になるよ。”

詳しくは、ぜひ記事を読んでみてください。


子どもが教えてくれた「違う」って素敵なこと

私は保育士をしているので、学校の先生方が子どもたちの違いを面白がる姿勢はよくわかります(野本さんは、息子さんの学校の先生方から、この考え方を教えてもらった、と書いています)。

学校や幼稚園はある一定の年齢の大勢の子どもが集まります。ある部分(年齢など)が同じカテゴリーに属するので、異なる部分があるとそこが目立ちやすいのです。だから集団の中ではその子の特性が際立ちます。それがとても興味深く「へー、あんなこと言うのか」「ほー、そんなこと思ってるのか」と毎日驚かされます。

同じ子だって、昨日と今日で全く違うことを言ったりやったりして、「そうきたか!」とこちらはますます混乱します。(でもそこにはよーく見ていると理由があったりするのですが)

そんな感じで、一人ずつ全く違うのに、同じ反応を期待するのは無理!と私は思ってしまいます。無理だからやめよーと思います。無理なことをするのは疲れます。

だから、一歩引いて面白がるのが楽で楽しいです。
無責任に聞こえるかもしれませんが、逆に「違い」を「同じ」にしようとすると無理が生じて、歪が生まれます。保育園などの集団生活の中では、その歪が怪我やトラブルという危険につながることも増えるのです。少し力を抜いたくらいの方が、結果として吉と出ることになります。

前回、私は子どもが苦手だったという話を書きました。

その時に、今も子どもが大好きというよりは、一歩引いた感じであることを書きましたが、もう少し詳しく表現すると、私は子どもに対して「へーそんなことするんだ」「なんでだろう」「次は何するんだろう」と興味が尽きない対象として好奇心がわく、そんな感じなのです。

そんなことをちょうど考えていた時に、野本さんの記事を読んだので、そうか!子どもってみんな「違う」から、そこが興味深くて、私は保育士になるほど子どもに興味を持つようになったのかな、と思い当たりました。もっと言えば、子どもだけじゃなくて、人は皆「違う」のですが、子どもはその「違い」を大人よりもストレートに表現することが多いから、わかりやすいのです。大人になるにつれ社会性を身につけ、「違い」をストレートに表現することは減ります。

私は若いころ、子どもと接する機会が少なすぎて、子どもは何を考えているかわからない、未知の対象でした。それが、自分の家族になったので、否が応でも毎日一緒に過ごさなければならなくなりました。一緒にいるならお互い快適な状態を長くしたいから、私は懸命に子どもを観察したんだと思います。「わーそんなことするんだ」「えーどうしてそうなるの?」と驚いたり、感心したり、怒ったり、あきれたり、感動したり、感謝したりしながら、少しずつ心地よい子どもとの距離感をつかんで子育てしてきました。

この距離感はお互いの成長で変化していくので、これからも試行錯誤は続くのでしょうね。何十年も一緒に過ごしている我が子への興味が尽きることはなさそうです。

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