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人はいくつもの層で出来ている

 平日の昼下がり、カフェでネパール語を勉強している自分がいた。
事の経緯は、昨日友だちと行ったラーメン屋で、ネパール人の友だちの話をしたときに遡る。

 最近、バドミントンを一緒にする仲のネパール人の友だちが「結婚をしてくる」と一時帰国し、戻ってきてからしばらくして彼の嫁さんも日本にやってきた。
嫁さんをバドミントンに連れて来るくらいに、二人ともめちゃくちゃ仲がいい。見ているだけでこちらまで幸せな気持ちになるほど微笑ましい。

彼の嫁さんは日本に来て間もないので、まだ日本語もわからないみたいだ。
会うとニコッと会釈してくれるのだが、こちらもニコッと会釈を返すことしかできなかった。
日本語で話したとしても相手からしてみれば、せっかく話しかけてくれているのに何を話しているのかわからない。と寂しい気持ちになるのではないかと思った。

彼は、自分に大切な人ができたときに
「僕に紹介してくれる?」と満面の笑顔で聞いてくれた。
そんな彼が結婚の報告をしてくれて、嫁さんまで直接紹介してくれたことを考えると、これは自分から歩み寄るべきだという思いに駆られたのだ。

 ラーメン屋でもバドミントンのコミュニティの代表をしている友だちが、みんな仲良くなってほしいと話していた。
確かにそうだ。
個人的に体育館を借りてスポーツをするだけなら自分たちが楽しければそれでいいが、コミュニティである以上はそこに意義があるほうが素敵だと思う。
自分も別のコミュニティでもバドミントンをしているのだが、県外から引っ越してきてバドミントン始めましたって人に楽しんでほしい気持ちがある。
そして、好きを通して人とつながることで、三重県に来て良かったと思える居場所ができたら最高やなってのを勝手に望んでいる(笑)

 そもそもバドミントンをしている彼しか知らないのだが、彼と同じ会社で働いている人が、会社では元気なさそうにしているよと言っていた。
以前、彼が自分に「Rさんの会社は外国人に厳しい?」と聞いてきたことがあったのを思い出した。
あぁ、それを聞いてくるってことは会社では厳しいこと言われたりしているのかなとか思ったりして、以前に読んだ伊与原新さんの「八月の銀の雪」の本に書いてあったことを思い返してみた。
八月の銀の雪に出てくる
コンビニでアルバイトをするベトナムからの留学生の話。
この話を読んでから考え方が変わった。

 現実でも、コンビニで働いている外国人の方は少なくないだろう。
きっと母国を離れて働く人にはそれぞれ理由がある。
それが家族のためだったりもするわけだ。
表面だけ見ると「外国人の店員さんだ」くらいにしか思わないのだが、中身を覗いてみれば、とてつもない家族愛が隠れているのかもしれない。

自分がその立場だとしたら、家族と離れて別の国に行くのは寂しいと感じる。
それでもそうしなければいけなかった理由があるとするのなら、せめて日本のことを好きにってくれたらいいなと思う。

ネパール人の友だちも、彼の嫁さんのこともまだ知らないことばかり。
自分が元気ないと「どうしたの?大丈夫!」と言ってくれる優しい彼の内側の層をもっと知っていこうと思う。
今度会ったときには、簡単な言葉でも心を通わせられるようになろう。

そんなこんなでネパール語を勉強していたのだが、難しい。
ラーメン屋で話していた友だちに、ネパール語の挨拶をカナ表記でラインしてみたら「म केटीहरूसँग खेल्न चाहन्छु」と返信があった。

さすがに読めんわ(笑)
と思い翻訳すると「女の子と遊びたい」という意味だった。

いや、それは知らん。

ps.数カ月前に試合の後に打ち上げ行こうって話になって、最初は行くと言っていたネパールの友だち。結局来なかったのだが、ネパールのことを調べてみると宗教の問題で食に制限があって外食とかは控える傾向にあるんだね。無知であることで、無神経な人間になりかねないから人を傷つけないための最低限の知識は大事だ。



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