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短編小説 | オーバードーズ
亜希子は煎餅をぼりぼり食べながらテレビのワイドショーを観ている。毎日画面を賑わせているのは大リーガーになった大活躍の日本人選手で、その笑顔は国境を越えて世界の人々を魅了している。
そして最近ワイドショーで繰り返しネタとなっているのは、トー横キッズの話題だ。日本一の繁華街である新宿歌舞伎町に建つ『新宿東宝ビルの横』を略した言葉が『トー横』で、その周辺に集まる若者たちが『トー横キッズ』と呼ばれている。
亜希子はなぜかトー横キッズの話題になると前のめり気味になり瞬きも少なくなる。テレビには警察官に補導される少女がモザイク入りで映し出されている。フラフラになり道路に倒れ込む若者たちが映し出された。いわゆるオーバードーズというものだろうか。
薬大量に飲んで気持ちよくなるなんてこと体に悪いに決まってる。ひとつ間違えたら死んでしまうのではないか。画面に映る若者たちの気持ちは全く理解できない亜希子は、自分の子がこうはならずよかったと胸を撫でおろす。
◇
莉奈は決して優秀ではないが、世の中の真ん中くらいの高校へ進学、簿記や秘書の資格取得できる専門学校へ行き、卒業後は小さな会社で社長の補佐をしながら経理の仕事をしている。彼氏はおらず、今は地下アイドルの推し活に夢中だ。
莉奈は、まともに食事を作らないどころか掃除もろくにせず、朝からテレビの前に座りっぱなし母亜希子に対して不満だらけだ。毎月給料の半分を家に入れているのだからもう少し主婦として動いてもらいたいと思っている。そんな生活ぶりに父は呆れて家を出て行ったではないか。
ちょくちょくテーブルに薬の袋が置かれていることも莉奈は気にはなっているが、どこか具合が悪いか尋ねても、大したことないのよと、すぐに薬を片付けられてしまうので、一体何の薬を飲んでいるのか知ることはなかったし、知ろうとも思わなかった。
◇
独身時代には薬はほとんど飲んだ記憶のない亜希子だったが、結婚し、出産すると、天気が崩れると頭痛がするようになり、市販の頭痛薬を飲むようになった。そのうち天気に関係なくそれは起こるようになり、毎日のように頭痛薬を飲むようになっていた。
年々便秘も酷くなってきて、市販の便秘薬を買っているのはお金ばかりかかって仕方ないので、内科で薬を処方してもらうことにした。
病院や薬局で必ず聞かれる。
「今、飲んでいる薬はありますか」
「飲んでいません」
薬を飲んでいないと嘘をついてしまうのはどうしてだろう。少しでも健康をアピールしたいのか、今、その薬をもらえなかったらどうしようという不安からなのか、自分でもよくわからないまま、つまらない嘘をついてしまうのだった。
◇
莉奈は最近生理痛に悩まされている。家の薬箱から鎮痛剤を出したところを亜希子に見られ、すかさず声をかけられた。
「また薬?若いのに薬ばかり体に悪いよ」
「お母さんの方があれこれ飲んでるじゃないの!」
自分の方がたくさんの何かの薬を飲んでるくせに、言っていることの矛盾に驚きだ。
「お母さんは歳だから仕方ないのよ」
歳なら薬は飲みすぎてもいいとういう謎の答えに莉奈は呆れる。一体、母はどれだけの薬を飲んでいるのだろう。どこに隠しているかもわからない母の薬にも、テレビしか観ていない母の健康状態にも興味は湧かなかった。
◇
最近、肌のシミが酷くなってきたのでシミ対策のサプリメントを飲むことにした亜希子は、先日受けた市の健康診断では高血圧の結果がでて、再検査となった。再検査しても結果は高血圧だ。
「降圧薬出しますよ。今、飲んでいる薬はありますか」
「飲んでいません」
「最近、胃が痛いんですけど……」
「では胃腸薬もだしておきましょう」
飲む薬やサプリメントが増えてくると、飲み忘れも多くなり、飲んだかどうかもわからなくなってしまうと、別に害はないだろうからと余分に飲んでしまう。余分に飲んだからって具合が悪くなったことはないし、全く気にはしていない亜希子だった。
◇
ある日、莉奈は亜希子に溜まりに溜まった不平不満をぶちまけた。
「お母さん!たまにはご飯作りなさいよ!いつもお惣菜やパンばかり!薬をあれこれ飲んでいるようだけど、どこか悪いなら病院で検査してもらいなよ!」
「健康診断へは行ってきたよ高血圧だって。薬もちゃんと飲んでいるから……お母さんこんなでごめんね」
「そんなに動けないの異常だよ!精神科へ行って来たら?!」
莉奈に精神科と言われハッとした亜希子は自分が無気力であることに今さらながら気がついた。何もやる気が起きないのは病気のせいに違いないと思うようになった。
(きっと鬱なんだわ私……)
◇
莉奈にあれこれ言われた翌日、亜希子はどの心療内科がいいかスマホで調べていた。口コミでしか判断できないので、隣の市にあり評価4となかなかの高評価の心療内科にしようと電話をかけた。電話の向こうの女性の対応が悪ければ適当な言い訳して予約しないつもりだったが、やさいい言葉をかけてもらいここに足を運ぶことにした。
「大丈夫ですか?待てますか?」
やさしい初老の医師と二十分ほど話をし、やる気がでない、家事ができないこと、夜の眠りが浅く昼間が眠いことから、抗鬱剤と睡眠導入剤を処方してもらった。やはりここでも医師には聞かれた。
「今、飲んでいる薬はありますか」
「飲んでいません」
今日こそは本当のことを言おうと考えていたのに……
ーーーアレとコレとソレと飲んでます……
ーーーえ?!そんなに飲んでいるの?!アレとソレは一緒に飲んじゃダメなんだよ!!……
亜希子は先生に怒られるのではないかと恐れ今日も言えなかった。
◇
抗鬱剤のおかげで少し動けるようになり、テレビへの依存もなくなってきたある日、夕飯の買い物から帰宅する途中、突然、目の前の景色が歪み、吐き気とめまいに襲われてその場に蹲ると、亜希子はそのまま倒れ込んだ。
道行く人々のひそひそ話が遠くで聞こえる。自分に声をかけると面倒だという思いを強く感じながら亜希子の意識は遠のいていった。
目が覚めた亜希子に気がついた看護師が医師に連絡してた。あれからきっと救急車で病院に運ばれたのだ。亜希子は全く記憶がない。
(ここはどこの病院だろう……今は何時だろう……)
看護師から連絡を受けた医師が亜希子を診にきた。ずいぶん若い医師だ。研修医だろうか。
「お疲れのようなので、点滴打ってますよ。それと肝機能の値が悪いですね……薬出しましょう。今、何か飲んでいる薬はありますか」
「飲んでいません」
(了)
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