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環境問題・気候変動に取り組む上で「希望」を抱くことはいけないのか

過去2回のnoteにスキしてくださった方、フォローしてくださった方、ありがとうございます!note継続の励みになります。

さて、前回までは留学準備の実用的(?)な話だったので、今日は大学院の学びの中で考えたことについて。

今後のnoteで取り上げてほしいトピックがあれば、こちらの質問箱(匿名)またはInstagramのDMでお気軽に教えてください📩

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社会学や人類学、それに限らず学問に触れている人あるあるなのかもしれないけど、新しいことを学ぶたびに「言葉選び」が難しくなっていく感覚がある。

例えば、「深く考えずに日常会話で使っていたこの言葉、よく考えたら人種差別的/障がい者差別的じゃない?」とか「ついつい『私たち人間は〜』みたいな大きな主語で話していたけど、実はそこには権力関係が働いていて無いことにされている人がいるんじゃないか?」とか。

自分たちの生活がいかに色んな社会構造の上で成り立っているのかに気づくことができて、戸惑うけれどとても良い体験だと思うんだけど、最近大学院の授業で話に上がったのは「希望(hope)」という言葉。

気候変動に関連する社会理論を色んな学問分野から学ぶ授業で、その日は「人新世」という概念を資本主義の観点から批判的に捉える学術書をみんなで読んでいた。

ディスカッションの時間に、私が文中の内容に触れながら「こういう考え方は少し希望(hope)が持てる」みたいなことを言った。そしたらその後、クラスメイトが自分の考えをシェアする時に「『希望』って言葉は使いたくないけど…」と前置きしたので少し驚いた。

私もどちらかというと、気候変動などの環境・社会課題について考える時のデフォルトモードは「絶望」=どうせ今から頑張っても完全解決はできないんだろうな、っていう気持ちなんだけど、そんな中でも環境や社会に対して行動するためにはある種の「希望」を感じないとやってらんないと思っていた。だから彼女の発言に「おっ?」と疑問を持った。

モヤモヤを脳内でプロセスしていると、教授が口を開いた。

「希望(hope)」っていうのは、最終的な成果に対して抱くもののことを言うよね。つまり、その成果に辿り着くまでの過程がどんなに過酷でも、それについては考慮されない。私は、取り組む過程にある「喜び(joy)」を重視すべきだと考えているんだ。

※記憶を辿っているので100%正確な引用ではありません

これを聞いた私は、半分納得。自分が行動し続けるモチベーションを正確に言い表す言葉が(特に英語で)見つからなかったから、そのディスカッションで咄嗟に「希望」という言葉を使ったけど、「喜び」という言葉を前に差し出されたら自分の経験に当てはまる気がした。

例えば、かれこれ3年ほど友人と続けているポッドキャスト「COMポスト資本主義」は、環境問題や社会に関することを話して配信しているけど、これが社会を変える方法だと思ってやっているわけではない。

じゃあなんで続けているのか。その理由の一部は、社会に対するモヤモヤを抱えこまずにもう一人のホストやゲストと共有できることや、対話を通じて「そんな考え方・アクションの仕方もあるのか!」とひらめくような体験が嬉しいから。

これは確かに「希望」というより「喜び」に近いのかもしれない、と思った。

とはいえ、もう半分の自分はまだモヤモヤしていた。過程における喜びだけを重視して行動したって問題の改善・解決には不十分かもしれないし。今所属している修士課程のプログラムはエコロジーや気候変動を主軸テーマとして研究しているわけで、希望を全く持たずにやるのはなんだか違和感がある。

そんな時に頭に浮かんだのは、仏教・環境哲学者で社会活動家のジョアンナ・メイシーが掲げる「アクティブ・ホープ」という概念。

実は、尊敬する友人に彼女の著書を勧めてもらってから手に取る時間がないまま渡英してしまったのだけど、「ジョアンナ・メイシーは希望をどう捉えているんだろう?」と気になって調べてみた。以下が、日本語でアクティブ・ホープについて紹介しているウェブサイトでの説明。

「アクティブ・ホープ(Active Hope)」とは、直訳すると「積極的な希望」あるいは「能動的な希望」という意味になります。
希望は通常、状況が自分にとって望ましいものとなった時に自然と湧いてくるものだと考えられがちですが、実はそれは状況がどうであるかにかかわらず、自分が選ぶことのできるものだというのが、このアクティブ・ホープの考え方です。

アクティブ・ホープとは|アクティブ・ホープ日本語版 公式サイト

また、ジョアンナがゲスト出演していたとあるポッドキャストのエピソードも聴いてみた。

この本では「希望」を、「手にするもの(something you have)」ではなく「行動すること(something you do)」として定義しています。自分がこうあってほしいと思う未来に向けて進んでいくうちに、それを実現しようとしている人たちに出会って、自分もその活動に参加していけるのです。… 名詞ではなく、動詞として「hope」を捉えれば、絶望的(hopeless)に感じている時だって行動することができます。

ポッドキャスト「Sounds True」でのジョアンナ・メイシーの発言(拙訳)

ここから私が感じ取ったのは「根拠もないのに楽観的になりすぎたり、消極的な態度で状況が良くなるのを望んだりするのは危険だけど、自分が実現したいと思う社会像に向けて行動することに対して『積極的な希望』を抱くことは大切なんじゃないか」ということ。

少しの情報に触れただけなので取り違えているかもしれないし、改めて彼女の著書をじっくり読んで理解を深めたいけれど、授業で感じたモヤモヤはなんとなく晴れた気がした。

私は学部で社会学を専攻して、今の大学院でも(学際的なアプローチではありながら)社会学部に所属しているんだけど、社会学系の論文を読んでいると「社会問題の原因は分析できるけど、そこからどうしたら解決に向かえるのかわからん!」とか、「問題が根深すぎて解決できないんじゃ…」とか、それこそ絶望モードに入ることがしばしばある。

これは現状に対して楽観的になりすぎないための大事なプロセスではあるんだけど、「解決は難しそうだからしょうがないね、諦めよう」という思考に陥らず、少しでも状況を改善していこう、問題解決には至らなくても社会(※人間以外も含めた)にとってより良い選択をしていこう、と思って行動し続けられるように、積極的な希望とそのプロセスから得られる喜びを大切にしていきたいなと思った。

そんなお話でした。

🌥️

けっこう概念的な話をつらつらと綴ってしまいましたが、最後まで読んでくださった方がいたらありがとうございます。

環境や社会に対して問題意識を持っている方、それに対して行動している方は、どう考えているのかぜひこっそり教えてほしいです👂

これからも、留学生活のお役立ち情報(?)っぽい記事と、授業や研究に関わる記事を気の向くままに書いていくのでお付き合いください〜。

ロンドンでの日常生活は、SNSにゆるりと投稿しています。「こんなこと知りたい!」というリクエストがあれば、InstagramのDMまたはこちらの質問箱までお気軽にどうぞ。ほなまた👋

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