2年半リモートワーク続けたら、幸せが引き寄せられてきた。
リモートワークは是か非か。
コロナによる行動制限もほぼ無くなり、リモートワークに関してのメリットよりもデメリットの方が声高に語られることが増えてきた気がする。
「対面での雑談コミュニケーションからアイデアが生まれる」「同じ空間で仕事することで生まれる空気感こそ大事」「リモート勤務の弊害で鬱になる人が多い」⋯。
なるほどなるほど。
確かにそういうことはあるのだろう。
でも、在宅でリモートワークを2年間半続けた私の結論は、
「リモートワーク最高!自分にとってはこのやりかたが一番良い」だった。
なので、会社を辞めて、フリーランスになりました。〈笑
(正確に言うと、業務委託への契約移行)
「家で仕事ができる」なんて考えたこと無かった
デザイン学校を出てから30年以上、いくつかのプロダクションや代理店に就職し、ずーっと会社員として働いてきた。
フリーランスになった友人・起業した知人も周りにはいたが、それは特別な気概や才能のある人の話。デザインの仕事でお給料をもらえるのは有り難いし、満員電車で往復2時間以上かけての通勤するのも自分が選んだこと。深夜残業も休日出勤もクライアントワークであれば仕方ない。企画やディレクション業務などチームを組んでの仕事にもやりがいも感じていたので、このまま定年まで会社通いを続けていくのだと思ってた。
だけど、2020年4月、緊急事態宣言による在宅勤務がはじまって、意識がガラッと変わってしまった。
うわあ、何?この仕事のしやすさは?
本当にびっくりした。
この働き方のほうが、自分には、向いていたんだ。
ここ数年、毎朝玄関で靴を履いているときに吐き気がしたり,通勤途中の地下鉄の中で涙が出てきたりしていたのは、仕事のストレスとか加齢のせいだと思っていたけど、単純に資質が合っていなかったのかもと思い至った。
HSPの傾向があるので、どうしてもオフィス内の関係ない人の動きや心理にも影響を受けてしまう。クオリティとスピードのために集中しなければいけないプレッシャーと、複雑に絡み合う社内連絡と空気の読み合い。昼休みになるとできるだけ会社から離れたカフェに行き、一人の時間を持つことで気力を持たせていた。
もちろん、会社の雰囲気が悪いわけでは無かったし、人間関係も良好だった。
ただ、自分でコントロールできる部分が少なくて、毎日、少しだけ無理をしている状態だったのかも知れない。
最初に決めた「マイ在宅勤務ルール」
在宅で仕事を始めるに当たって、自分なりのルールを作った。
ちゃんとしなくてはいけない。自宅だからってサボっていると思われちゃいけない、人の目がないからってだらけちゃいけない、その一心だった。
●仕事始め、仕事終わりに必ず社内連絡する。
●休憩中もすぐ連絡取れる状態にスマホスタンバイ。
●問合せには即レス。締切はできるかぎり前倒しして仕事相手に進捗を見せる。
だらけるのが怖くて、出勤時と同じ時間に起き、仕事用の服に着替え、始業時間前にはpcの前に座り、会社にいる時と同じ状態になるようにした。
文字でのコミュニケーションは自分に向いていた。
途中気になるところがあれば「00時までご回答いただけると助かります」と疑問点をチームスに書き込んで置けば解決したし、リアルタイムで話したほうが良い場合は相手のスケジュール表を確認し「今電話して大丈夫?」とチャットしたあとに打ち合わせできた。関係性がすでにできていた相手ばかりだったから成立したコミュニケーションだったと思うが、集中できる空間と時間が確保できたことで、気がつくと、今まで一日かかっても終わらなかった仕事が、半日で出来上がっていた。
「作業中に他の人の情報が一切入ってこないこと」
「自分の仕事時間をある程度コントロールできること」
この2つが、予想以上に自分には快適だった。
「ラクして仕事をしてもいいのかだろうか」という罪悪感
通勤時間だった時間で、30分程度近所を散歩した。
平日でもお天気が良ければ洗濯機を回して干す時間ができた。
仕事机周りに棚を付け、グリーンや小物で自分好みの空間を作った。
気分が乗らないときでも音楽を流すと幸せな気分になった。
気がつくと日曜日の夜の憂鬱な気分は無くなっていた。
こんなに快適で良いのだろうか、と、在宅勤務できない業務の同僚に対して罪悪感さえ覚えた。長年染みついた「仕事=苦しさを乗り越えるもの」感覚はなかなか上書きできる物では無く、強要されたわけではないが、週2回ほどの 出社を申し出た。
久しぶりのオフィスと同僚とのおしゃべりはとても魅力的だったが、仕事は自宅でやったほうが遙かに捗ったし、どうしてなのか分からないが、会社の中にいる時のほうが孤独感を覚えた。
みんなこんなに親切で優しいのに、なんで私はこんなに「違和感」を感じてしまうのだろう、と混乱した。
次第に変わっていった「仕事というものへのスタンス」
ワークライフバランス、とか、ウェルビーイングとか、について考えるようになった。
「お金をいただいているのだから無理してがんばるのは当たり前」。そういう厳しさを乗り越えてきたからこそ身についたスキルに感謝している。
ただ、もう、そこは卒業しても良いかな、と思った。
「こういうのは嫌だ」と他人に改善を求めても、ほとんどのことは、思い通りには行かない。
でも、自分で自分を心地よくすることはできる。
仕事の内容は変わらないけど、リモートという就業形式で生まれた余裕は、精神の安定と安らかな毎日を自分に与えてくれた。
本当に欲しかったものは「心の平穏と豊かな生活」
「自分は本当は何を求めているのだろう」という内省の中で、次第に意識が他人軸から自分軸になっていった。
自分はこれからどう生きていきたい?
自分はこれからどういう働き方をしたい?
なんとなくそれが言葉にできるようになってきた頃、ごく自然なカタチで、
「フルリモート前提での業務委託契約」という話が振ってきた。
驚いた。
幸せな気分でいることで、さらに自分の望みの幸せが引き寄せられてくる…という話を聞いたことがあるけど、まさにそれじゃん、と思った。
「ラクしても良い」。 そして、「やりたいことをやれば良い」
正直なところ、会社員という道からはずれたことにはまだ不安がある。
フリーランスとして自立していけるかどうかは、これからの活動次第なのだから、気を緩めてはいけない、精進しなければ⋯と日々思う。
でも。
自分を常に「心地よい気分」にしておくことは、生産性という意味で一番大事なのだと、今ではよく分かる。
他人に対するモヤモヤで頭がいっぱいだったり、本来はこんなことはしたくないと思う作業でスケジュールが埋まっている状態では、そもそも「自分が何をやりたいか」なんて発想すら湧いてこなかった。
すこしだけラクをして、スキマを空けること。
そこに罪悪感を感じなくていい。だって、自分の仕事のやりやすさは自分にしか分からないのだし、自分を幸せにできるのは、自分しかいないのだから。
そんな単純な場所に、2年半かけて、やっと行き着いた。
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