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行き着くべきところに、ただ行き着く。

きっと、私たちは、多くの選択などはないのかもしれない。それぞれの人間が、行き着くべきところに、ただ行き着くだけである。

魔法のことば 星野道夫

昨日、星野道夫さんの写真展に行った。妻・直子さんのトークショーにも参加してきた。帰り道、会場外に出て空を見上げて思う。「私はまだ、こう生きねば、とか、こうしなければ、と思い続けているようだ。おい、そんなものは一つもないんだぞ。」 自分の道に迷い、迷いながらも進み続けている。自分の信じているものに向かって信じ続けている。写真を眺めながら、自分はこうだ!というあの力強い星野さんみたいな生き方に、どこか羨ましく思う自分もいる。わたしには「これだ!」と強く自信を持って言える、自信をもって歩き出せる、それがないように感じているから。でもね、ふと思う、もしかすると、もう、勝手に自然と歩き出しているのかもしれないな、と。考え過ぎている・悩み過ぎているのかもしれない。都会の風に当たっていると、人混みの間に生きていると、自分がどうしたいのかって、いつも見えにくくなる。なぜか、分からなくなる。信じたいのに信じきれなくなる。わたしは、また道を彷徨いはじめる。だから、自然を求めるのかもしれない。自然のなかに身をおくと、自分の心の中にある光が見えてくることが、わたしはある。


人はいつも、それぞれの光を捜し求める、長い旅の途上なのだ。

私も、そう、思う。ただ一つの、わたしにしか見えない光を捜し求めている。私にしか見出せない、その光を捜し求めている。それと同時に、きっときっと、光はあると信じ続けている。

僕の人生はやはり限られた時間しかない。

いつからだろう、人生の残りの時間を気にし始めることになったのは。自分の使命(ミッション)を見出したときか? いや、たぶん、違う。7つの習慣の第2の習慣の「終わりを思い描くことから始める」を学び実践するようになった時の方が、より強く私に「生」を問うてくるようになったと思う。

誰もがたった一度の かけがえのない一生を生きる

この世に生を受け、なんのために、何をするために産まれてきたのだろう、と、とんだもなく深い問いに向き合うことが、実はわたしは好きだったりする。あなたにとってかけがえのない一生って何?・・・誰かと、そういう会話をしたい時がある。でも、こんな質問したらきっと、相手は驚いて、一瞬固まって、後ろに身を引いてしまうんだろうな、と時々思う。浅い会話をできる人はたくさんいても、この深い問いを一緒に会話してくれる人は、本当にごくわずかな人しかいない。どこまで深く潜っていけるのか、私もあなたも。答えなんて出なくていい。今思っていることをそっと出すだけで、何かがきっと見えてくるような気がする。

今日はどうしても、心の中で蠢くものを出したかった。出さずにはいられないような、そんな気持ちに駆られていた。最後までお付き合いいただき感謝します。ありがとうございます。



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