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小説 「シャークス・ラブ」 第三章 【VOL.12-16】

 村上と佐藤は、古びたラーメン屋「福龍亭」のカウンターでラーメンを啜っていた。ラーメンにカツを載せた名物の福々ラーメンが気に入り、二人はいつしか常連となっていた。店の角に設置されたテレビからは野球中継が流れている。バッターがホームランを打ち、歓声が湧く音が聞こえた。

「え? やっちゃったの?」佐藤は思わず麺を吹き出しそうになるのを堪えた。
「ああ」
「どゆこと? こっちが恵子ちゃんの事で助けが必要な時にいなくなるしさ」
「ああ、それに関しては謝るよ。恵子ちゃんもはやっぱりダメだったのか?」
「この顔みれば分かるでしょ? 挙句の果てにまなちゃんもいなくなってたと思ったら、やっちゃったって、なんなのさ」
「気持ちがごちゃごちゃしてたから、すっきりさせたかったしな」
「気持ちじゃなくて身体でしょ? 昨日があれだけ人生終わりだぁみたいな顔しといてさ…そもそも、葵ちゃんを好きだって言ってたのはどうなったのさ?」
「好きだよ」
「ん? じゃ、まなちゃんは好きじゃないってこと? でもえっちしちゃったの?」
「いや、まなも好きだよ」
「ん? ん? どゆこと? 結局、どっちが好きなのさ?」
「現時点ではどちらも好きだ。そもそも、誰か一人を好きでなければいけないなんて誰が決めた? 結婚にしたって宗教観でしかないだろ? 宗教が無かったら一夫多妻制だって、その逆だって有り得た訳だ。人類に取って一人の人を好きになる事が幸せなのか? 映画だってそうだ。あなたの一番の映画は何?って質問されるだろ? あれが一番困る。好きな映画なんて山ほどあるし、その時々の気分によって好きな映画なんて変わるじゃないか。違うか?」
「論点ずらされて、都合のいい言い訳にしか聞こえないなぁ。それに好きって倫理観どうのというよりも…まずさ、好きになったら、その人の事しか浮かんでこなくない? そうだ、一度目を瞑って考えてみなよ」
「目を?」
「いいから、騙されたと思ってさ」

 村上が渋々目を閉じる。

「ほら、考えてごらんさ。どっちかの顔が浮かんでくるっしょ?」

村上は目を閉じたまま首を横に振った。

「いや、二人の裸の姿しか浮かんでこない」
「愛おしくなるぐらい最低だね」
「とにかくだ。葵も好きは好きだが、今はまなの方への気持ちが大きいよ。人生、次に進んでかないとな」

 TVから中継が聞こえる。《ここで西川盗塁だ。どうだ? セーフ、セーフです。西川、これで今季七回目の盗塁成功となります》

「なんだよそれ? で、まなちゃんのどこに惹かれたのさ?」
「さぁ?」
「さぁってどゆこと?」
「強いて言えば可愛い。性格がどうのとか言うけど、所詮見た目だ。かわいいか、かわいくないか、それ以上はない」
「もう言うことないよ」

 佐藤、何かを思い出し箸を止める。

「あ、そうだ。じゃ、もう立ち直ったみたいだから、大丈夫だとは思うけど…」
「何?」
「いやさ、昨日が二人が消えた後、来たんだよ」
「誰が?」
「葵ちゃん。偶然だろうけど、あの店に来たの」
《さぁ、松崎ツーストライクと追い込こまれています》
「しかも男連れ。席は離れてたから良くは見えなかったけど、結構いちゃついてたなぁ。あれが多分新しい彼なんだろね」
《アウトー! 松崎三振です!》

 佐藤が、ふと隣の村上を見ると、一点を見つめたまま固まっていた。

「え? あれ? 嘘。 人生次に進むって。この話の流れで、それはまずかったの?」「え? あれ? 嘘。 人生次に進むって。この話の流れで、それはまずかったの?」

カウンターの向こうで新聞を読んでいた親父が新聞越しに「何がまずいって?」と、二人を睨みつける。

「あ、いや、ラーメンじゃなくて」

 佐藤は苦笑いをして取り繕う中、村上の携帯が鳴った。

「もしもし? あ、岩本さん、ご無沙汰してます。ちょっと待ってもらっていいですか?」

 村上は手で悪いというジェスチャーを佐藤にしながら席を立ち、店の外へと出ていった。

「どうしたんですか?」

 電話の相手は映画プロデューサーの岩本 だった。村上は映像監督として普段は生計を立てている。

 映画好きは、高校の文化祭で映画を撮った事をきっかけに撮る側への興味へと変わっていった。バイトをしながら、自作の映画を映画祭へ出すもいつも入選止まり。企業PVなどの映像を仕事として作りながら、次回作の台本を書来はじめるが、映像監督としての仕事が忙しくなり数年が経ち、映画監督にはまだなれずにいた。

 岩本は映画祭で知り合ったプロデューサーで、以前の村上の短編映画を気に入って、以来、度々連絡をくれていた。

「どうしたんですかじゃないよ。最近全然連絡して来ないから、どうしたのと思ってな」
「すいません。最近仕事が忙しくて」
「そうか。でも、いまの仕事って企業PVとかだろ? もちろん生きて行く為仕事しなきゃならないのは分かるけど、映画はどうした? 脚本書いたら送るって言ってたのどうなった?」
「……いま書いてるんですけど…中々纏まらなくって…もう少しなんですけどね」

 村上は嘘をついた。仕事が忙しいという事は事実ではあったが、ここ一年台本は一行も進んではいなかった。

「村上君ももうすぐ30だろ? そろそろ一本撮っておかないとな」
「ですよね…」
「ま、何にせよ脚本できたら連絡くれよ。もちろん内容次第だけど、良い企画は探してはいるからさ」
「ありがとうございます。はい…ですね……じゃ、また連絡します」

 村上は俯きながら電話を切り、「言われなくたってさ…」と呟いた。

 村上は気がつくとビデオレンタル店「スマッシュ・ヒッツ」にいた。好きな映画に囲まれる事で現実逃避しているのだが、現実逃避している事も、結局それが映画を作らなくてはと、自身を追い詰めていく事にも、まだ気づいていない。

 そこへ店員の細田と太田が背後から声をかけてきた。

「良かったべ、この前の」
「まだ観てないよ」

 細田が勧めた「パイパニック」を帰宅後、すぐに鑑賞して思いの外楽しめたのだが、それ以外の普通の映画でも細田のお勧め作品は当たりが多った為、変な悔しさが込み上げ、素直な感想を控えた。

「そもそも『パイパニック』って。まず題名からしてパクリだろあれ。オリジナルじゃないと。俺はオリジナル映画が好きだし、オリジナル映画撮るよ」
「例えばどんなの考えてんだよ?」
「例えばだ。凄い美人とかは出てこなくて。野郎ばっかり出てくる映画。コンビニの店員と…そう、レンタルビデオ屋。あるレンタルビデオ屋で起きる、店員とのくだらない日常の話とかだな」
「『クラークス』じゃん」
「いや、そうか。違う、えっと、じゃ、仕事をクビになった大学時代の男女四人が共同生活をしていく中で」
「『リアリティ・バイツ』な」
「それじゃ、今度は男だけが出る。しかも、そいつらは全員ギャングで。そいつらが強盗を」
「して、その中に裏切り者がいてって…この先も言おうか? ったく、どこがオリジナルなの? 完全にパクリじゃん」

 村上は開き直り、興奮した様子で「ああ、そうだよパクリだよ、だけどさ、大体、オリジナルって何だ。スピルバーグにしたって、『インディ・ジョーンズ』は『アフリカの女王』のパクリだし、タランティーノの『レザボア・ドッグス』だって『友は風の彼方に』のパクリだろ。ただ、誰も知らない映画からパクってるから、皆気づかないだけじゃ無いか」と告げた。

「だから、村上もパクっていいって訳じゃ無いじゃん。そんなの、人が泥棒したから、俺も泥棒していいって言ってるようなもんじゃんか」
「違うよ。 俺の場合は、インスピレーションとオマージュだ。映画を見て、感じた事に対して、尊敬の意味を込めて、俺の映画に取り組むって事だ」
「それがパクりって言うんじゃ?」

 呆れた様子で細田と太田が顔を見合わせた。

「ま、「パイパニック』絶対楽しめるから、それ観て慰めればいいじゃん」
「もう、慰める必要もない」
「どういう意味?」
「どういう意味も何も、彼女ができたからだ」
「え?もう、できた? この前葵ちゃんと別れたって言ってたばかりじゃん」
「できたものはできたんだから仕方ないだろ」
「何でお前ばっかり。 不公平じゃん! マジで!」
「いや、そんな事言われてもな」
「じゃあ、もう葵ちゃんには未練無いんだな?」

 村上は何も答えない。

「……まぁ、お前はそういう奴だよ」

 細田が二重顎を揺らしながら頷き同意した後、何かを見つめ気まずそうな表情をした。細田の見つめる先を太田も見て思わず「あっ…」と声を漏らす。

「どうした?」と言いながら、村上も二人の見る先を見つめると、そこには元カノという存在になった葵の姿があった。

 葵も村上に気付き、近づいくる。細田は気まずそうに、突如忙しいふりをしてその場を去っていく。

 葵は気まずそうな雰囲気は微塵もなく「元気?」と声をかけた。

 女性とはそういう生き物だ。別れた瞬間、いや、別れようと思った瞬間から、相手の存在はなくなるのだ。葵の声のトーンを聞き、過去振られた相手たちの事を思い出した。

葵への思いを引きずっていた村上は精一杯作り笑いをし「ああ、元気だ」と声を振り絞った。

「そっか。ごめんね」

 村上は女性のこの言葉が大嫌いだった。謝るぐなら、振らないでくれとの喉まで出かけた。

「何を? 仕方ないよ。でも、せめて会って話してくれたらなとは思ったよ。だってそうだろ、あんな突然電話で言われてもさ。分かるよ、会ったら気まずいのも。でも、その気まずさを込みで相手に伝えるという礼儀も必要だ」

 自分の意志とは関係なく言葉が溢れてくる。頭では冷静に振舞おうとしても、感情に押し負け、伝えきれなかった想いが次々と出てくる。

「それに肝心な部分がーー」
「葵!」

 村上の言葉を少し離れた店の奥からの男の声が遮った。

「あ、いま行く」

 村上が知りたかった別れる事になった原因を悟った。別れ際にもう一度「ごめんね」と言い、葵は去っていった。

「…なんだよ。結局そんなんか」と呟きながら、はっきりとまだ心の中にいる葵の存在の大きさを噛み締めた。そこにはまなの存在すら無くなっていた。

「どしたの? どこか上の空な感じ」

 村上の部屋でくつろいでいたまなが問う。

「ん…何でもない。仕事…仕事の事だ」と取り繕う村上だったが、頭の中では葵の事でいっぱいだった。

「そっか…ならいいけど」
「…まなの前の彼はどんなだった?」
「えっ? どうしたの急に」
「いや、なんとなくだ。あ、そう、この前『 恋人たちの予感』っていう映画を観たからだ」

「どんな映画?」
「男と女は友達になれるかっていうテーマの映画」
「友だちね…なれると思うけど」
「いや、なれないだろう。下心持ってない男なんていないよ実際」
「そうかな? そんなこと無いと思うけど」
「そう思わされてるだけで、男の頭の中なんて酷いよ実際」
「ん? 村上君も他の女の子はそういう目で見てるの?」
「見てる」
「最低。でも、正直で嫌いじゃないけど」
「だから、ちょっと気になっただけさ、まなの過去。言いたく無かったら無理にとは言わない」

 まなは一瞬躊躇する素振りを見せたが、上を向き指で何かを数える始めた。

「いままで付き合ったのは五人。短い人で1ヶ月、長い人で二年だよ。前の彼がその二年向き合った人。サラリーマンで妻子持ち」と業務連絡の様に簡潔に述べた。

 村上は予期せぬ返答に戸惑いをみせ、煙草を手にする。

「え…あ、そうなんだ」
「何か引っかかっる?」
「いや、何も…」と言いながら煙草に火を付けようとするが、動揺からか、中々ライターが付かない。見兼ねたまなが別のライターを付け差し出す。

「ん…ありがと」
「でも、意外だな」
「なにが?」
「村上君、そういうのに興味無いと思ってた」
「い、いや、何となくだよ、何となく」
「だから、何か嬉しい」と言い、まなははにかんだ。

 過去の男達への嫉妬心からか、独占欲からかは分からなったが、なまの表情を見た村上は煙草を揉み消し、まなに覆い被さる。

 しかし、いくらまなと唇や身体を重ねても、思い出すのは葵の唇や身体だった。

つづく

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