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小説 「シャークス・ラブ」 第四章 【VOL.17-23】

 田舎町の小さな駅の脇に設置されている公衆電話。公衆電話の硝子から漏れる薄暗い光が辺りを照らしている。その光を目指し一人の少年が何かを呟きながら、必死に自転車を漕ぎ向かっていた。

 少年は公衆電話の横へ無造作に自転車を止め、中へと入る。ズボンのポッケから取り出した百円玉を取り出し、受話器の上に載せると、今度は一切れの紙を取り出し見つめた。そこには電話番号が書かれている。

 番号を見た瞬間、自信がこれから行おうとしている行為を想像し、恥ずかしさの余り逃げ出したくなったが、ここに来るまでずっと考えてきた想いは止められないと、意を決し、再び紙を広げ番号を見つめた。

 番号を見つめるだけで、少年の鼓動が高まっていく。ゆっくりと百円玉を受話器に入れた。暗記するほど見た番号だったが、間違えないよう一つづつ確認しながら、ボタンを押していく。踏切音がなり始め、たった二両の電車が駅に向かって近ずいてくる。

 踏切音、電車の音、そして番号を押す度に高まる心臓の音が混じり合い、少年の緊張が最高潮に達した時、電車は通り過ぎ、少年は番号を推し、静寂が訪れた。それは時間にすれば一瞬の間だったのだが、少年には酷くゆっくりと感じた。急に訪れた後悔の念に受話器を置こうとするが、受話器から着信音が聞こえた。慌ててて受話器を耳に充てた。もう後戻りはできないと目を瞑る。

 受話器からは女性の声が聞こえた。

「はい篠崎ですが、もしもし?」

 声の感じから、それは期待した人とは別の人物だった事を察し、何度も練習をした台詞を振り絞る。

「僕、京子さんと同じクラスの村上と言いますが、京子さん…いらっしゃいますか?」
「京子ですか……」

 時間は夜の八時を過ぎている。不審がられ、繋いでもらえないかもしれないという村上少年の心配を他所に「呼ぶのでちょっと待ってくださいね」と母親らしき声が答えると保留音に切り替わった。

 第一関門を突破し安堵していると、思っていたよりも早く受話器の向こうから「もしもし?」と京子の声が聞こえてきた。

 緊張が解けかけていた村上少年は不意討ちを食らい、頭が真っ白になり言葉が出てこない。

「…もしもし?」

 軽い深呼吸をしてまるで少年漫画の主人公が最後の必殺技を繰り出す直前の様な覚悟を決め、声を振り絞った。

「……もしもし、京子さん? 村上だけど」
「えっ! 村上君? どうしたの?」
「え…あ……あの……」

 沈黙が流れる。

「…もしもし?」

 沈黙によって、何かを悟り、京子の声質が驚きからそわそわした感じへと変化していた。

「突然ごめんね……あのさ……」
「…なに?」
「えっとね…あの…僕、君の事がす……………」と口に出した時点で少年は冗談では無く確実に心臓が止まったのを感じた。

「え?何…? 村上君?」

 少年の心臓は再び動きだす。

「好き…そう、好きなんだよね…えっと、だから、つ、付き合ってくれたりしないかな?」

 情緒も何も無く、ストレートな言葉を振り絞るのがやっとだった。

 受話器越しに聞こえる小さなノイズだけが暫く続いた後、京子も困った声で「……ありがとう。でも…ごめんなさい」とシンプルに答えた。

「だ、だよね…うん。ありがとう、答えてくれて…」
「ごめんね…」
「いや、こっちこそ、ごめん…というか、ありがとう」
「うん……じゃ、切るね…」

「あ! うん、じゃ!」演劇の主人公から我に返った少年は慌てて受話器を置く。

 少年は深い、深い溜息を吐いた。振られた悲壮感と、やり遂げた達成感が混じり合った複雑な表情で「振られたんだな…」と呟いた。

 村上は朝日を浴び、ベッドの上でゆっくりと目を覚ます。

「なんで今頃あの時の夢なんか……」

 いつもの喫茶店で、佐藤は小説を片手にコーヒーを啜っている。向かいでは村上が憮然とした態度で伏せている。佐藤は村上を一瞥し、視線を小説に戻すと「で、どうしたのさ?」と興味が無い態度で聞く。

 村上は伏せたまま、葵との遭遇や夢の事を伝えた。

「ふーん、そか」

 佐藤の余りにも素っ気ない態度に村上は起き上がる。

「なんだよ、その態度は。これでも、こっちは真剣に悩んでいるんだ」

 佐藤は本を閉じ、机に置くと、軽い溜息を吐くと「あのさ、悩んでるって言うけれど、一体何を悩んでるのさ? 葵ちゃんに気持ちがあるけど、彼がもういてショック? でも、村上だってもうまなちゃんと付き合っているじゃないさ? 夢の事が気になる? 何を気にするのさ? 初恋の人もまだ忘れられないってこと?」と佐藤が捲し立てる。

 村上は佐藤の口撃に降参するかのように両手を上げる。

「分かった、分かった。確かにそうなんだ。佐藤の言う通りだよ。だけどな、佐藤だって例えば小説読み終わってすぐに捨てないだろ?本棚にしばらく取っておいて、読み返したくなる時だってあるだろ?それと同じで気持ちってそんな簡単に整理できないものだろ?」
「いや、読み終わったらブックオフ持ってくよ。読み返すことはないさ」
「…冷たいやつだな」
「冷たいのはどっちさ。以前自分で言ってたこと忘れたの?」
「ん?なに?」
「所詮過去の女は…ってやつ」
「ああ、過去の女はオナニーのネタになっていく。それは真理だ。どの男もいまの彼女を想像してはしないだろう? なんなら、セックスの最中にだって思いだすもんだ」

 佐藤は深い溜息をつき「それだよ、それ。そんな事を言ってる奴がね、悩んでるって言われてもね」と告げる。

「それとこれとは別さ。なぁ、俺はどうしたらいいんだ?」

 佐藤は再び小説を手に取り読みだし「知らないよ。好きにしたらいいさ」と村上を突き放す。

 村上が何かを言いかけた時、携帯が鳴った。それは葵からだった。

「あ、葵だ…どうしよ?」
「どうしようったって、出るしかないさ」
「ああ、だよな」と言い、焦りながら村上は電話に出る。

「もしもし?」

 村上と葵が付き合っていた当時通っていた、こじんまりしてはいるが、お洒落な雰囲気のイタリアンの店で料理を待ちながら、まず会話を始めたのは葵だった。

「ごめんね、突然呼び出しちゃって」
「いや、こっちも一度話しておきたかったからいいよ。それはそうと綺麗になったな」

 村上の突拍子も無い発言で葵は目を丸くする。

「あはは、どうしたの急に?」
「振られたのは認識しているし、今更口説いても仕方ないのは承知しているが、昔から嘘は言わないだろ? 今の素直な気持ちだよ」
「ほんとだ。 目が二重になってる」
「どういうことだ?」
「真面目な話しする時だけ二重になるの。気づいてなかった?」
「それは気づかなかったな」と村上は気づかない振りをした。
「で、新しい彼とはうまく言ってるの?」
「うん…」と頷いた後、葵は俯いた。

その様子を見て、村上が怪訝な顔をした。

「それにしては浮かない顔してるな」
「んーん、凄く優しいし、かっこいいし、うまくいってるよ」
「それは良かった。なんだ、惚気話をされる為に呼ばれたのか?」
「違うよ。ただ…この前会った時、正直、村上君の事も好きな気持ち残ってる自分に気づいちゃって。それに…」
「それに?」村上はにやけそうになる顔を必死に抑え、平然を装い聞いた。

「正直言うとね。今の彼、あっちの方がね。余り相性良くなくて…」
「あっち?」と言った後、すぐに察し、「ああ、あっちね」と言った。
「そ。村上君との身体の相性凄く良かったんだなって、思っちゃって」
「でも寄りを戻したいって話では無いんだよな?」
「ごめんね。それは無いかな。ただ、たまに会って、するのってどう思う?」
「つまりだ。セフ…って事か?」

 村上は明らかに動揺を隠せず思わず声が声が上擦った。

「セフって言うか、なんていうか。仲の良い友達で入れないかなって」
「ちょっと待ってくれ。いや、それは願ったりだけど。いや、そもそもなんで振られたのかを聞きたかったんだが」
「それ言わないと、だめ? 村上君はそんなの気にしないかと思ってんだけど」
「いや、だめじゃ無いが。そもそも」と言いかけたところで村上の携帯が鳴った。それはまなからだったが、村上は取るのを躊躇った。
「電話いいの? 取らなくて?」
「ああ、大丈夫だ。じゃ、今夜もこの後って時間あるのか?」
「うん」

 携帯音が鳴り止んだ。

 村上が自身の部屋で、鉛筆を持ち、机の上に広げたノートを睨んでいる。ノートには白い空間が無限に広がり、村上はそれを見つめただけで目眩が起きそうになっていた。

 背後のベッドに座り、本を読んでいたまなが「そう言えば、この前の水曜って何してたの?」と不意に声をかけた。

 水曜は葵と会っていた日だとすぐに察したが、動揺を隠すように聞こえない振りをする。

「電話全然出なかったでしょ?」
「ん? なに? 集中してた」と村上は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティの父親の様に惚けた態度をとる。

「水曜。仕事だったの?」まなが本を置き、尋ねた。
「あ、そう。仕事だ。今台本書いてて、気づかなかったよ」

村上は真っ白なノートを覆い隠すように掌を乗せる。そんな村上をまなはじっと見つめ「嘘ついてるでしょ?」と唐突に問い詰めた。

「な、何を根拠にそんなこと言うんだ?」精一杯平成を取り繕う村上に対しまなが平然と答える。
「鼻」
「鼻? 鼻がどうしたって言うんだ?」
「広がってるよ、鼻」
村上は椅子をくるりと回転させ、まなに向く。
「鼻が広がってるとなんだって言うんだ?」
「指摘されたこと無いんだね。嘘つく時、いつも鼻が広がってるよ」

 村上は慌てて鼻を押さえ確認する。鼻は確かに広がっていた。葵から指摘された目の件といい、今回の鼻の件といい、つくづく自身の表情に心情が現れる癖を恨んだが、なんとか誤魔化そうとすぐに気持ちを切り替えた。

「たまたまだ」
「違うよ。この前、冷蔵庫に入れといたアイス食べちゃった時も同じ顔してたもん。水曜、本当は何してたの?」

 まなは無言で村上をじっと見つめる。村上は思わず目を逸らし「何も無いものは、言いようが無い。台本を書いてて忙しかった。ただそれだけだ」と言い、見つめ返した。まなは村上の額から流れる一粒の汗を見ると「そんなに言いたくないなら、もういいよ。帰る」と言い放ち、部屋を出ていった。

 村上はまた真っ白な紙を見つめると、鉛筆で円をぐちゃぐちゃに書き散らし、頭を抱え「くそ…」と呟いた。

 むしゃくしゃする気持ちを落ち着けるのは映画しかないとばかりに、村上はビデオレンタル屋「スマッシュ・ヒッツ」に来ていた。しかし、映画を選ぶことさえ集中できず、パッケージを手にしては戻すことを繰り返している。

「万引きは犯罪ですよ。ちょっと事務所まで来て下さい」

 背後からの突然の声掛けに慌てて声を荒げ「いやいやいや、万引きなんて」と振り向いた先には店員の太田と細田の二人がいた。

「そんな慌ててどうしたんだよ。冗談に決まってんじゃん」
「冗談に付き合ってる余裕なんてないんだ」

村上が太田の言葉に対し、ムスッとした表情で答えた。

「その感じはまた振られたな」
「振られてなんかない。まだ」
「まだ…ってもう振られたのも一緒だろ。ま、同情はしないどな。なんだかんだ彼女いつもいてさ、こっちなんかもう何年いねーよって話じゃん。なっ」

 隣にいるビデオのパッケージを抱えた細田に同意を求めるが、細田は首を横に振り「俺はいるよ」と太田を突き放す。

「えっ!?」

 村上と太田は思わず続きの「その太った体型で彼女いるの!?」という言葉を呑み、細田をそしてお互いを見つめた。

「ま、とにかくだ。何があったんだよ?」

 村上は元カノとの関係、今カノに疑われた状況を渋々告げた。腕を組み、太田は開口一番、そりゃお前が悪いじゃんと憤慨した。

「ああ、分かっているさ」
「分かってねぇじゃん。なんで彼女いんのにセフなんて作る必要あんの?今の彼女、まなちゃんだっけか?まなちゃん大事にしたらいいじゃん」
「だから、分かっているんだ、そんな事は。だが、据え膳食わぬはってのもある。相手が迷惑だったら、こっちだってしない。望まれたから応じたまでだ」
「応じたまでだ。じゃないよ…結局感づかれて、振られたら意味ないじゃん」
「だから、まだ振られてはない」
「女の感って凄いの知らないの?絶対バレてるって。なっ」と細田に同意を求めるが、細田は細い目を更に細くし、じっと何かを考えている。

「ん?細田、どうしたん?」
「ポイントは、そこじゃあない」と呟いた。

「ポイント?どういう事だ?」

 細田は抱えたビデオのパッケージを太田に渡すと、細い目を見開き、村上を指差した。

「お前がイラついたのはまなちゃんに疑われたからだけじゃないだろ?ポイントは台本が書けていないって事だ。お前はいい客だし、いい友達だ。少なくとも俺はそう思って接している。だからこそ言わせて貰うけど、どうでもいいんだよ、彼女ができたとか、振られたとか。東京来てからのお前しか知らないけど、まず何をしに東京に来たんだ?」

 細田は周囲に置かれている数々の映画を見て、村上の反論を受け付ける間も与えず続けた。

「映画だろ、映画!映画が撮りたくて東京に出て来たんじゃないのか?『バック・トゥ・ザ・フューチャー』より面白い映画が作りたい、そう語ってたよな?彼女を作るために女とやるためにここにいる訳じゃないだろ? だから、今お前が落ち込んでいる、いや、落ち込んでいるフリをしているのはまなちゃんのことじゃあない。台本が進まないことに対しての落ち込みだ。逃げに使うなよ、女を。」

 細田は言いたい事を言い切り、渡していたビデオを太田から受け取ると、いつもの穏やかな雰囲気へと戻った。

 呆気に取られた二人は呆然と立ち尽くしている。

 我に返り「いや…」といつもの軽口で言い返そうとする村上だったが、細田に言われた事全てが図星だった為、その口からはそれ以上は何も出てこなかった。

 太田は村上の肩を軽く叩き、何も言わず微笑みと共に頷くと、細田と共に店の奥へと消えていく。

 多くの映画たちに囲まれ、村上は一人その場に立ち尽くした。

つづく

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