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小説 「シャークス・ラブ」 第五章 【VOL.24-27】[完]

 村上は夕暮れの公園で一人肩を落とし、ブランコに乗りながら佇んでいる。

 頭の中では先ほどレンタルビデオ店で細田に言われた事がぐるぐると頭の中を駆け巡っている。

 どこを見つめているのか分からない視線で、目の前の情景を見つめていた。

 砂場では男の子が一人、一心不乱に目を輝かせながら、砂で城の様なものを作っている。

「なんだよ、それぇ」その周りで遊んでいた子供たちの一人が、男が砂遊びなどをしていることが気に食わなかったのか、馬鹿にしたような目つきで子供の元へやってくると、唐突に砂の城を足で踏みつぶし、仲間達の元へと戻っていった。

「あっ…」自身の状況に落ち込んでいた村上だが、その状況に思わず声を出し、腰を上げる。

 時間をかけ作ったものが壊され、泣きそうになりそうになる男の子だが、泣くのをぐっと堪え、また一から城を作り始めていく。

 しばらくすると、周りの子供たちはその懸命な姿に動かされたのか、一人、一人と、男の子の手伝いに参加していった。

 最後には城を壊した本人も罰が悪そうに、仲間に呼ばれ渋々と城作りへと加わっていく。男の子を中心に皆笑顔で城を作っていく。

「あれ…」気がつくと、その様子を見つめていた村上の目からは自然と涙が溢れ出て来ていた。

「そうか…そうだよな」何かを納得した様子で村上は顔をあげ、携帯を取り出し、番号をおす。

 携帯から「もしもし?」と女性の声が聞こえた。

「もしもし、葵?ちょっと話いい?」

 いつもの喫茶店のいつもの席に落ち着いた様子で村上は、タバコを吹かす。ただ、その向かいの席にはいつもの親友の佐藤の姿は無く、元カノの葵がいる。

 マスターが葵の前にアイスティーを置き、村上にはホットコーヒーを差し出した。いつもなら「サンキュー、マスター」の気軽な一言があるはずだが、村上からは何も発せられない。マスターは二人を一瞥すると店の奥へと去っていく。

 重い沈黙が流れる中、村上の背後の席には村上を背合わせするように佐藤の姿があった、何が起きているのか分からず、挙動不審な表情が隠せない。佐藤が前を見ると、更にその挙動不審さに拍車がかかる。佐藤の目の前には村上の今の彼女である、まなが冷たい視線を佐藤の背後の村上に向けて投げかけていた。

 村上からの電話を佐藤が受け取ったのは昨夜の事だった。「葵と別れるから、立ち会ってくれ」聞いたことの無い真剣なトーンで言われ、つい引き受けてしまったが、まなまで呼んでいることは知らなかった。しかし、もう言葉から逃れる術はなく、佐藤は狼狽えるしかなかった。

「別れてくれ」村上が葵に切り出した。

「え?今日呼んだ理由ってそんなことだったの?どうしたの突然。いいじゃない。何か都合が悪いこと、バレたりしたのかな?今の彼女に?」
「あ、いや、そうだけど、そうじゃない」
「じゃ、なんで?それに別れるも何も、もう別れてるし」
「いや、そうなんだが」
「今は身体だけの関係でしょ。セックスして気持ち良くなってるだけでしょ?何が悪いの?」

「蛇に睨まれた蛙とはこのことか」まなの向かいに座る佐藤の頭の中にはそれしか浮かんでこなかった。背後の会話を聞き、鬼の形相をしているまなの表情を見て、一人、滝のような汗を流している。

「違うんだ。そうじゃない。確かに気持ちいい、身体の相性がいいかもしれない。ただそれだけだ。現在の俺に必要なのはそんなことじゃなかったんだ」

 佐藤は「ごほん!」と下手な咳払いをして「頼むから、もうこれ以上話さないでくれ」と強く願う。

 葵は咳払いを気にも留めず「何よ、そんなに気持ちが大事だっていうの?」と村上に迫った。

「違うんだ。そうじゃない」

 葵、まな、そして佐藤は村上の不可解な返答に首を傾げた。

「君への気持ちは本当だ。葵と浮気した事は悪かったとしか言いようがない。ただ気持ちは君にある。それは神に誓って本当だ。ただ、いまはそれ以上に、映画なんだ。葵への時間も、君への時間もいまの俺には無いし、時間をかけたいのは映画なんだ。それがやっと分かったんだ。だから、俺と別れてくれ」

 まなはしばし呆然と村上を見つめた後、深い溜息をつくと、笑みを浮かべた。向かいに座り、その笑みを見た佐藤は、これほど恐ろしく冷たい笑みを人生の中で見たことは無かった。

「あなたが何に時間をかけたいのかはあなたの自由。それで別れたいっていうのも、もちろん自由。だけどね、裏切った事は全く別の話。それを正当な理由にしないで」と言い終わるや否や、テーブルの上のグラスを手に取り、勢い良く村上の顔めがけ水をかけた。

 言葉を失う村上の肩を葵が背後から叩く。水浸しの村上が背後を向くと、葵からも勢い良くグラスの水を浴びせられる。

 葵も明らかな作り笑いをして「ほんと最低ね。身体だけならいいって思ったけど、自分勝手なだけじゃない。私にも彼女にも失礼だよ、それ」と言い放ち、息を合わせ、70年代のスパゲッティウエスタンの主人公かのように、颯爽とまなと葵が店を出ていく。

 店内には水浸しで肩を落としている村上と、何を発して良いのか分からず戸惑う佐藤が残された。

「いや、なんだ、その、ほら、あれだ、昔のドラマみたいだな、水かけらるのってさ」

「なんだそれ?」と自身の言葉に佐藤はつっこんだ。
「…ああ、安いドラマだったな」と村上が言うと、無性に可笑しさが二人同時に込み上がっていき、大笑いをする二人。

 そこへ足音が背後から近づいてくる、笑うのを止め村上と佐藤が振り向くと、そこにはマスターがタオルを持って立っている。

「いいんだよ、それで。男はさ。あるんだ、そいいう時が。お前は今やっとスタートに立てたんだ」と伝え、村上にタオルを手渡し、また奥へと去っていく。

 二人は無言でマスターの少し寂しそうな後ろ姿を見つめた。窓の外には季節にはまだ早い雪がちらついてきた。

 春の日差しが喫茶店の窓から差し込み、その光がテーブルの上のアイスコーヒーの氷を溶かし「カラン」と小さな音が鳴る。

 村上が、灰皿においた吸いかけの煙草の火が消えかけるのにも気づかず、机の上の原稿に向かって悩みながら必死にペンを走らせている。

 入り口のドアベルが鳴り「マスター、こんちは。アイスコーヒーね」と軽い調子で佐藤が入ってきた。

 いつもの様に佐藤は村上が座るテーブルに向かい合って座るが、村上はそれに気づかない程集中して書いている。

 佐藤が煙草に火をつけ「どう?終わりそうなの?」と聞いた。

 村上は佐藤の問いには答えず、書きながらぶつくさと小声で独り言を言いながら、時間をかけ原稿を読み返し「…よし」と小さく言った。そこで、ようやく佐藤に気づき「ああ、来てたのか」と声をかけた。

「きてたさ。で、終わったの?例の脚本」
「ああ、まだ見直すところはもちろんあるが、たった今できた」
「そか、よかったじゃないさ。思ったよりも早くできて」
「早くなんかないよ。シルベスター・スタローンは『ロッキー』をたった三日で書き上げたんだ。それに比べたら」
「そこ比べる?比べるところじゃないさ。とにかく、おめでとうでいいっしょ?」
「ああ、まだ書いただけだけどな」
「村上にとってはそれが大事なことだったんでしょ?まなちゃんも葵ちゃんも振ってまで、いや振られたのか。まぁ、恋愛を捨ててまでやりたかったんだからいいじゃないさ」
「…ああ、そうだな」
「もう、吹っ切れたでしょ?」

 村上は無言で答えない。

 佐藤が呆れた様子で「え?まだどっちかに気持ち残っているのさ?」と村上に問う。

「…いや、それはない。今は映画に集中するって言っただろ?映画を作るために頑張っているのに、他に時間を割いている場合じゃあない。大変なんだ、これから、もしこの脚本が通ったとしても、キャスティング、スタッフ集め、ロケハン、やらなきゃいけない事は鬼の様にあるんだ。だから、今はどっちに気持ちが残っているとかそいういうことじゃあない」
「はいはい。そうだね、でも?」
「でもも何もない」
「ほんとに?」

 村上は気持ちを落ち着けるかの様に、煙草に火をつけ、煙を吐く。

「いや、気持ちがどうのこうのでなくだな。つまり、その、これは」
「なにさ?」
「この気持ちはだな、だから、そう、生理現象。そう生理現象だから、どうしようもない。人間として生きる上の本能だろ。以前、鮫の話をしただろ?鮫にしろ、どの動物にしろ、不思議なことに親に教えてもらう訳でもなく、自然と覚える。これは本能なんだ。どうすることもできやしない」
「だから、つまり?」
「鯔のつまりだ、やりたいもんはやりたい。かな?」
「だと思ったさ」と佐藤はニヤけながら言った。

「なんだよ、その見透かしたような笑みは。だけどな、それすらをコントロールして、こうやって今頑張っているんだ。それどころじゃあないんだよ。わかるだろ?映画を頑張る時なんだよ。恋愛に、エロにうつつを抜かしている場合じゃあないんだ」
「ま、そうだよな。そっか。じゃ、今夜合コンの誘いあるんだけど、村上行かないなら他の人誘いに行くさ」

「行く」村上は間髪入れずに答えた。

 窓からの春の風に飛ばされそうになる原稿の一枚を村上が咄嗟に抑える。
くしゃくしゃになった原稿には、薄く黒ずんだ消しゴム跡の上に「シャークス・ラブ」の文字が書かれていた。

おわり

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