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「共感しないと人は動かない」リチカのUXアーキテクトが考える徹底的なユーザー第一主義

UXアーキテクトとして、リチカの制作に関わる中野敬一郎さん。45歳、社内で最年長の社員でもある。社長の松尾さんとは7~8年のつきあいがあり、リチカのオフィスで自分の仕事を続けていたが、正式に入社したのは2年前。UXアーキテクトとしての中野さんの今までの経歴と、リチカとの縁、今考えることについて語ってもらった。


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大学で建築学科を卒業してゼネコンに入社した中野さん。しかし、「やりたいことが違うかも」と半年で会社を辞め、デジタルハリウッドのMacProコースに半年通った。当時は90年代後半。FLASHの登場によってアニメーションがweb上で動かせることに感動して、webの世界に興味を持ち始めた。

「当時はネットがだんだんきてて、『マルチメディア』って言葉が流行ってるような時で。CD-ROMを作ったり、グラフィックデザインとかDTPをやってみたいなと思って学んで、その後1年ぐらい先生のアシスタントをやりながら自分の作品を作ってました。FLASHのサイトでアクションスクリプトを覚えて、そこからUIUX的なことに興味を持ち始めました。このボタンを押したらどういうアクションが起こって、どういう風に見えたらボタンを押した感が出せるかとかを考えてましたね」

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デジハリのアシスタント時代に少しずつFLASHを学び、ある時「ゲームのサイトを作ってみろ」と言われた。そしてPlayStationソフトの「The Legend of Dragoon」というゲームの公式サイトを作った。自分が作ったサイトがそのままソニーコンピューターエンターテイメント(現:ソニー・インタラクティブエンタテインメント)のサイトとして公開されて、面白いなと思って、webの世界にどんどんのめりこんでいった。

その後作品を持ち込み、社員5人のweb制作会社へ。3D技術や動画など、新しい技術がでてくるたびに使って学んでいった。受注系をメインに5年、その後入社したデジタルステージで関わったweb制作ソフトウェア「BiND for WebLiFE」が2007年のグッドデザイン賞で中小企業長官賞を獲得した。ホームページを作ったことがない人でも感覚的に作れる、画期的なプロダクトだった。

「当時はUXって言葉はなくて、『デザイン』のひとくくりで終わり。でもデジタルステージでは、『なんでこの体験が楽しいんだろう』『ユーザーの体験とは』っていうことを考え続けて、UXの概念自体を自分たちが体験していたんだと思います。リリースしたプロダクトほぼ全てがグッドデザイン賞を受賞している数少ない会社だったし、いろいろと経験させてもらいました」

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人がこう考えるからこうデザインすると、その人はこう動くであろう。みんなが欲しいと言っているものは、本当はその機能そのものが欲しいわけじゃなくて、裏を返せばわかりにくい工程を改善すればそのものが欲しいという話ではなくなる。「本当にUIじゃなく、そういったUXの方にすごい興味があるんです。アーキテクトに加えて分析をしながら組み立てていくところが面白いっていうか。より多くの人が共感する体験っていうのはどれだろう、って考えてます。説明が難しいんですけどね」


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その後2012年、社長の松尾さんがリチカを起業する前に勤めていたディーノシステムに、中野さんが転職。ここで松尾さんとの縁ができた。「どちらかというと設計というより、ディレクターとして採用されました。ディレクションってUXにとってはすごく重要なんです。こういう体験をするためにこういうデザインにしてほしいとか、こういう体験をさせるために、この技術は無理ってわかってるけど、なんとか方法を探してほしい、みたいに開発者に無茶ぶりしたりもします」と笑う。

中野さんは「UXにとって設計とディレクションは両輪」だという。いくら優秀なデザイナーやエンジニアがいても、それを「こういう体験にしたい」という共感を持たせない限り、人は動いてくれない。それはユーザーも一緒で、共感して初めてそのサービスを使ってみたい、継続したいなどの興味を持つのだ、という。それを自分でちゃんと説明して、どういう風にしたいかと考えるところまでが彼の仕事だ。

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松尾さんとともに仕事をしていた中野さんだが、会社が解散して松尾さんが独立。シェアハウス兼事務所に中野さんは毎日通っていた。「リチカっていう名前ができる前から知ってるし、今まで全部の事務所に遊びに行ってますね。まっちゃん(松尾さんのこと)からストーカーのように離れないようにしてて(笑)、ちょっとでもいいから仕事くれ、あわよくば会社がでかくなるときには必ず入れてくれ、ってお願いしてたんですよ(笑)」。自分の仕事をしながら副業でリチカの仕事を受ける、という状態が創業当初から続き、ずっとそばで会社を見てきた。中野さんは、リチカがここまで大きくなるとは思っていたのだろうか?

「いや、スピード感がこんなに早いとは思わなかったですよ。僕が入ったのは2018年の9月で、ちょうどいいタイミングでジョインする形にはなったんですが、その時って『本当にリチカはこれでいけるのか?』っていうまだまだ不安定な頃でした。でもみんな勢いとやる気はあるし、不安定な会社なのにみんなモチベーション高く働いてた。いつ潰れるかわかんない状態なのにね。それを理解して入ってきてるのはすごいよね、こりゃ負けてらんないぞ!って」

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もともと刺激を求めて、若いメンバーと仕事をしたいという気持ちで転職を重ねてきた中野さん。リチカに入って大いに刺激を受ける日々が始まった。とはいえ週単位でめまぐるしくやるべきことが変わり、特にUXに加えてマネージャーもやりつつの日々には、戸惑いもあった。「リチカのマネジメントとは、ってけっこう悩んだときもありましたね。今は結果的にUIUXのグループとしてチームが小さく作れるようになったから、いろいろ円滑に進んでいると思います」


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この新型コロナウイルスの影響下で完全リモートワークになったが、中野さんが仕事をすすめる上で最も注力しているのはどういったところだろうか。

「プロダクトって、1つのものをみんなで完成させるという面が大きいので、やっぱりチームプレー的なところは大事にしています。意思疎通がちょっとでもずれると物が全然違うものになっちゃうし。『なぜそうするのか』をうまく伝えて、次に活かしてもらえるように、というのはすごく気をつけてます。あとはチーム内だけじゃなく、他のチームとの連携も考えますね。CS(カスタマーサクセス)がお客さんから意見をもらってくるけど、それをプロダクトとして受け入れて実装すべきかどうか、っていう判断はやっぱり我々でやるべきだと思うし、その判断が正しいかどうかをCSと協議して、ちゃんと『いいね』ってならない限りみんながハッピーにならないので、そこの調整もしっかりするようにしてます」

常々、開発するにあたって「プロダクトを自分が使った時にどう思うんだろう」という視点、転じてユーザー視点を忘れないようにしているという中野さん。それは開発グループのリードを担当する内田均さんもまた同じ視点だという。「自分はこれでいいと思うけど、100人いたら何人がいいっていうだろう……ということはすごく考えて最終的にジャッジをしてます。そこの駆け引きって難しいですけど、そのインパクトと工数のトレードオフのバランスを常に考えて、スピード感を持ってやっていけてるんじゃないかなと思います」

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今後、どんな人にリチカで一緒に働いてほしいですか? と聞いてみると「成長したいっていう気持ちを持ってる人」と一番最初に答えてくれた。「それに加えて、『何のためにそれをやるんだろうか』って考えられる人ですね。何をしたからこの結果があるのか。その過程をきちんと考えられないと、設計できないしいい体験なんか作れないので、しっかり考えていける人がいいですね」

今の会社の雰囲気はとてもいい、という中野さん。大きくなってもこの雰囲気を保っていけるといいな、と口にする。

中野さんの趣味は映画。現実では体験できないありえないようなことを、映画内で体験できることに魅力を感じるのだという。さらに子供の頃に「風の谷のナウシカ」を見て感激し、「どうやって作っているんだ」という興味でセル画の作り方まで勉強、とあるきっかけでスタジオジブリにも見学に行ったという驚きの体験談も持っている。小学生の頃から行動力があふれていた中野さん。リチカでも新しい体験を造り出し続ける。

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(編集協力/株式会社WORDS)

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