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■ やりたいこと「塔本賢一 大回顧展」開催 /「こどもアトリエごっこ」設立

 画家「塔本賢一」をご存知でしょうか。

昭和から平成にかけ精力的に実験性に富んだアヴァンギャルドな作品を数多く発表してきましたが、あまり世間一般に知られることなく惜しくも2017年この世を去りました。

 また創作に専念する傍ら、妻ひろこと共に「絵画教室」を開き、京都府南部の田辺町(現京田辺市)、大阪府枚方市各所で子どもたちに絵を教えておりました。中盤から障害ある子どもたちも参加するようになり「障害者アートの教室」へと変容してゆきます。

 口で説明するより目で見てもらう方が早いと思うので まずは先生の絵をご覧ください。(表紙絵をご参照ください)

いただいたDMや自費で購入した作品アイテムをコラージュしてみた

無茶苦茶カッコいい!!!

 ブラックサバスとかピンクフロイドとか どこか異国のプログレッシヴロックの有名ミュージシャンとでも繋がりあればジャケットに起用されててもおかしくない出来栄えです。
(他にもいっぱいありますが全部お見せできないのが残念!ネットでさえ全部は見れません;)

 しかしながら なぜあまり美術界に響かなかったのか?我流すぎて手に負えなかったからでしょうか?今のようにSNSが浸透する以前からのご活躍でしたし、そうした文明の利器に不慣れということも災いしたのかもしれません。またそれ以上に メディアが先んじて母のシスコさんにフォーカスをあててしまったことが先生の影を薄くしてしまった気がします。

 「塔本シスコ」さんといえば日本のアールブリュットを語る上で今や欠かせない存在の人です。アールブリュットブームも手伝い、いち早くそちらに火がついてしまったばかりに 先生は本来なすべき自分の創作時間を割いてまで「シスコ」アートのマネージメントに向かわざるを得なくなったのではないでしょうか。

 真相の程はわかりません。

 ですが自身も作家であるがゆえに 板挟みで苦しまれたであろうことは想像に難くないのです。

 先生はとても気さくな方でした。一言ではとても言い表せないのですが、熊本出身の博多弁訛りで満面の笑顔で、目の奥だけはギラギラ野心を感じさせていて、等々とてもストイックでチャーミングな人でした。

 わたしは絵画教室に通う一生徒に過ぎませんでしたが、やめた後もずっと気にかけていただき、わたしがほぼ無名であったにも関わらず、アート集団NOMAN立ち上げ当時の「モードインジャパン」の公演に足をお運びいただいたり、カフェ&ギャラリー伽羅(後の古本喫茶伽羅)での展示申し出も快く引き受けてくださり無事開催できました。(打ち上げ最高に楽しかった!)←当時の「伽羅帖」より(※先生の直筆画です!)

 この御恩はいつか何らかの形でお返ししたいと思っていながら、自身の活動が下火となりしだいに足が遠退いてゆく最中、先生の訃報を知りました。あまりにもショックが大きかったので、自分がどうしたいのかもわからず混乱したまま時間だけが過ぎ去った気がします。

 自分のやれること、やりたいことに気づいたのは やっと今年に入ってからです。じつに7年も気持ちを寝かしつけてしまいました。

 ですがこのブランクの間に思わぬ収穫もあったのです。それが「京都とっておきの芸術祭」での創作支援させていただいた作品への好評価です。

 先生がご存命なら きっと慶んでいただけたにちがいありません。


 さて ここから ようやく本題に戻りますが、わたしのやりたいこと、とるべき行動は次の2つ

■ その1
「塔本賢一 大回顧展」の開催 ならびに画集の発行

■ その2
「こどもアトリエごっこ」設立 ならびに教室の運営

 となります。

この二つを今後フェイスブックなどのSNSを通じて大々的に呼びかけていきたいと思っております。

どうぞよろしくお願いいたします!

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