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解説 光あるうちに光の中を歩め(第二説教集21章6部) #201

原題:An Homily against Disobedience and wilful Rebellion. (不服従と反乱を戒める説教)

第6部の解説をします。第6部には第5部までにあった「一同で唱える祈り」の後にさらに「さきの反乱が鎮められたことへの感謝」が続きます。

第6部の聖句でいうテーマはこれでしょう。

光は、今しばらく、あなたがたの間にある。闇に捕らえられることがないように、光のあるうちに歩きなさい。(ヨハネによる福音書 第12章35節)

第6部のポイントは次の5点です。
①無知を作り無知につけこむローマ教会
②ローマ教会に引き起こされた君主への反乱
③神の言葉への無知は罪である
④結びの祈りと一同に唱える祈り
⑤さきの反乱が鎮められたことへの感謝

冒頭は第5部を受けています。反乱の元となる悪徳は野心と無知であるとされましたが、第5部では野心について主に説かれ、この第6部では無知について説かれることが示されます。その無知を作り出しているのは他でもないローマの教皇であるとされます。

教皇による抑圧や略奪はその君主であるローマ皇帝に対してのみならず、他のキリスト教国の王にも向けられ、それぞれの下にある臣民は君主に対する反乱をするように仕向けられました。(略)教皇がこのようなことを行うには手段があるのですが、それをお話して、服従や不服従と意図的な反乱を戒めるこの説教をしめくくりたいと思います。教皇はすべての人間を、なかんずく市井の人々を神のみ言葉への無知のなかに置き、そうして自分の語ることが真であり、自分の為すことが善であり神のみ心に適っていると思いこませてあらゆる悪を行っています。

教皇をはじめとしたローマの教会がどのようにして人々を無知に至らせたか。これについてはこのように述べられます。

無知についていえば、教皇は決して神のみ言葉を取り上げることによってではなく、むしろそれをよくわからない耳慣れない言語で覆うことによって特に市井の人々を神から遠ざけました。(略)すべての人々を盲目にし、自分が何を祈っているのかも、何を信じているのかも、何を神に命じられているのかも知らないままでいさせ、神に向かうためのあらゆる教えを奪うという悪意ある目的に向かっています。

かくして人々は神のみ言葉も聖書の教えも十分に知ることがなく、むしろ教皇を神聖視するようになり、これを教皇はうまく利用して、自分にとって都合の悪い国の君主がいれば、その民に反乱を唆していると述べられます。その歴史的事実の例がいくつか引き合いに出されます。かの「カノッサの屈辱」で知られる教皇グレゴリウス七世と皇帝ハインリッヒ四世についてはこのように述べられています。教皇が臣民に皇帝への反乱をけしかけ世が乱れたとされます。

キリスト教徒である臣民が、自分のしていることが神のみ言葉においてどのような意味になるかを知った上で、反乱によって多くのキリスト教徒の血を流させ、その正統の高貴で勇敢な君主を廃したというのでしょうか。野心的な簒奪者である教皇はイタリアとドイツの全土をキリスト教徒の血で覆い、偽りの言葉でもって無知な臣民をその正統の君主である皇帝に対する反乱にかきたて血を流させました。

これはつまるところ人々の無知から来るものであるとされるのですが、これが過去の歴史的事実であったのみならず、いまだに続いていることへの警鐘がなされます。

極めて嘆かわしく目にするに堪えないことに、過去においてのみならず、いまだにキリスト教国の君主や民の中には、神のみ言葉について無知であるままにされていて、教皇とその取り巻きたちによって欺かれている人々もいます。無知という酸味と苦味の強い果実を打ち捨て、すべての人が神のみ言葉に信頼をもって耳を傾けるようになる必要があります。そうして無知がどれほど大きな過ちであり、み言葉を通して神を知るという賜物がどれほど大きくて善なるものであるのか極めて真に極めて明らかにわかります。

この上にたって、神のみ言葉への無知に陥らず、み言葉を求めて生きるように、またよく権力に服従するように説かれます。

神のみ言葉において、君主はどのようにして神に従い民を治めるべきかを学ばなければなりません。神のみ言葉において、臣民は神と君主の両方への服従を学ばねばなりません(申17・14~15、一ペト2・13)。老いも若きも富める者も貧しき者も、男も女もどの位階や性や年齢であっても、神のみ言葉において、いくつかの義務が説かれています(詩118・8~9)。神のみ言葉は眩いものであり、すべての人の目に光をもたらし、すべての人の道と足元を直に照らす明るいランプとなります。わたしたちは無知という暗闇での眠りから目を覚まし、目を開いて、その光を見なければなりません(エフェ5・14)。暗闇での行いから起き上がり、そこにある永遠の暗闇から遠ざからねばなりません(ロマ13・2)。光のある中で光の中を歩み(ヨハ12・35)、光の子とならなければなりません(一テサ5・4~5)。

このあと結びの祈りをもって第6部が、つまりは第21章が締めくくられます。そののちに、当時の北部と西部でおこった反乱が鎮められたことへの感謝が捧げられています。

今回は第二説教集第21章第6部「光あるうちに光の中を歩め」の解説でした。次はこの試訳となりますが、1回でお届けするにはやや長いので、2回に分けてお届けします。


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