解説 父の家は商売の家ではない(第二説教集3章) #102
原題:An Homily for Repairing and keeping clean, and comely adorning of Churches. (教会堂を修繕して清潔に保ち、相応しく飾ることについての説教)
第二説教集第3章の解説です。この章は他の章と違って部に分かれていません。短い説教です。前の第2章がとてつもなく長かったことと極めて対照的です。内容からみると、長い長い第2章が本論で、第1章がそのプロローグ、この第3章がエピローグと位置付けられるかもしれません。第二説教集冒頭の三章にはつながりがあるとみることができます。この章のテーマを聖句で言えばこれでしょう。
イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「それをここから持って行け。私の父の家を商売の家としてはならない。」(ヨハネによる福音書書 2章15節)
第3章のポイントは次の4点です。
①教会堂はよく整えられるべきである
②教会堂には神がおられる
③教会堂に悪が入ってはならない
④まとめと結びの祈り
冒頭のところで、誰かを家に呼ぶにあたり家がみすぼらしい状態だったら、招かれた人はその家人をどう思うだろうかという問いかけに続き、このように訴えかけられます。
これに関連し、神殿を修繕したヨアシュ王とヨシア王の名が挙げられた上で、神の神殿である教会堂を荒れ果てたままにしておけばどのような呪いがもたらされるのかが旧約聖書の『ハガイ書』から引用されます。
これは旧約聖書にあるもので、したがって「古い契約」に過ぎないと主張して、ともすれば教会堂を朽ちさせるままにしてよいとする者たちの考えに対するものとして、大きく二つの反論がなされます。
教会堂には神がおられるということと、教会堂を美しく保つべきであるということは新約聖書においても説かれているということが確認されます。また、この上にたって、教会堂を建てることや修繕することに対して世にある後ろ向きな考え方が否定されています。
教会堂に蔓延る悪徳についてはさらに次のようにも断じられています。この記事の冒頭でも触れましたが、この第3章が第2章のエピローグとも言えるのではないかと思えるくだりです。
このように偶像崇拝の否定も含めた反カトリシズムの主張が前面に出され、結びの祈りが唱えられ、第3章は終わります。
今回は第二説教集第3章「父の家は商売の家ではない」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。
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