見出し画像

解説 礼服を着て来るべし(第二説教集8章2部) #126

原題:An Homily of the Place and Time of Prayer. (祈りの場と時についての説教)

第2部の解説をします。聖句でいうテーマとポイントは次のとおりです。

王は、「友よ、どうして礼服を着ないでここに入ってきたのか」と言った。この者が黙っていると、王は召し使いたちに言った。「この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。そこで泣きわめき、歯ぎしりするであろう。」(マタイによる福音書 第22章12~13節)

第1部のポイントは次の5点です。
①第1部の振り返りと第2部の目的
②聖書にみる神殿を尊ぶ人々
③神殿を軽んじることへの神の罰
④教会堂を何と心得るべきか
⑤まとめと結びの祈り

冒頭で第1部が振り返られ、第2部の内容が示されます。

この説教でさきほどお話したのは、どのようなときに、どのようなところで、みなさんが集って神を讃えるべきであるかということでした。これからわたしは第一に、教会堂にはどれだけ熱心に望んで来るべきであるかをみなさんにお話しようと思っています。そして第二に、聖なる安息の日に教会に来ることを軽んじたり、ほとんど重きを置かないでいたりすることを、神がどれだけ悲しまれるかをお話しよう思っています。

これに続けて、まずはここでいう一つ目の、教会堂に通う際の心構えについて説かれます。その前段として、過去の時代の人々がどれほどの熱誠を教会堂に持っていたのかが紹介されます。ダビデの言葉が『詩編』から紹介されます。

「私が主に願った一つのこと、私はそれを求め続けよう。命のあるかぎり主の家に住み、主の麗しさにまみえ、主の宮で尋ね求めることを(詩27・4)。」

ダビデの言葉はこの他にも引用され、また、新約聖書からはシメオンとアンナの逸話が紹介され、神殿である教会堂を尊ぶというあるべき姿の例が示されます。その上で人々は勤勉に教会堂に通うべきであることが説かれます。

わたしたちは御名の栄光のために教会堂で自身の務めを行い神に礼拝するべきです。神がわたしたちの健康と富と善性を力強くお守りになり、御慈悲をもって、獰猛で残酷な敵たちの蛮行を力強くわたしたちから遠ざけられていることをそこで思い起こすべきです。そこでたくさんの信仰深い人々とともに喜びに満ちて、神の聖なる御名を讃えて栄えとするべきです。

そして冒頭の二つ目のことに話が進みますが、このようにしていないと神が悲しみ、怒り、人々に罪や復讐をもたらすことが述べられます。

神の聖なる神殿に通うことがあまりに少なくなり、愚かにも神殿を軽んじ誤って使用すれば、神は人々にどれだけ罪深く背かれることになるでしょう。その罪の大きさは神が民に対して下される大変な疫病や天罰に明らかにみることができます。

この天罰の最たるものとして、この第2部ではこのようなことが挙げられます。

ああ、これまでにどれほど多くの教会堂が、またキリスト教徒の王国が、主キリストの敵でありキリスト教徒を残忍に虐げることにおいては過去に例をみないあの強大なトルコによる、罪深く許しがたい暴政や蛮行によって傾き、衰退して、滅んだことでしょうか。

人々が教会堂を尊ぶことなく、神の栄光を讃えずにいるから、異教徒のトルコがキリスト教界を蹂躙しているのだと述べられます。このあとトルコは、

神がその復讐をお示しになるための苦くて痛々しい鞭であるこの強大なトルコ

とまで形容されます。異教徒がキリスト教界を苦しめているのは人々の行いに対する神の罰であるとして、人々に教会堂を尊ぶようにと説かれます。また、これにあわせて、偶像崇拝などを避けるようにとも、ローマ・カトリック典礼に従わないようにとも説かれます。この上で、教会堂とはどのようなところあるのかを確かにしようとされます。

教会堂はもっと別な目的で建てられたものです。そこに集って心から神に向かい、御恵み深い御言葉に耳を傾け、神の大いなる御名を呼び求め、聖奠を受けるためのところです。隣人への愛がどのようであるべきかを知り、貧しく助けを求めている人々に思いを致し、自身が教会堂に来る前よりも善にして信仰に篤い者となるためのところです。

神の恵みに感謝し神の栄光を讃える教会堂に人々はどのように通うべきであるのかが、次のように『マタイによる福音書』から引用されつつ戒められ、そのあと結びの祈りをもって、第2部は、また第8章は終わります。

「王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入ってきたのか』と言った。この者が黙っていると、王は召し使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。そこで泣きわめき、歯ぎしりするであろう』(マタ22・12~13)。」(略)聖なる日に教会堂に来るべきです。もちろん、礼服を着て来るべきです。言い換えますと、嬉々として信仰心をもって来るのであり、神の栄光を求め、神に感謝を献げるために来るべきです。


今回は第二説教集第8章「祈りの場と時についての説教」の第2部「礼服を着て来るべし」の解説でした。次回はこの試訳をお届けします。


Twitterもご訪問ください。
高校英語教師が翻訳した説教集(@sermons218tm) / Twitter
高校英語教師が選んだ聖書名言(@bible218tm) / Twitter
翻訳出版を目指す高校英語教師(@tmtm218tm) / Twitter

この記事が参加している募集

#人生を変えた一冊

7,973件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?