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解説 何をもって身を飾るか(第二説教集6章) #113

原題:An Homily against Excess of Apparel. (過度に着飾ることを戒める説教)

第二説教集第6章の解説をします。第5章と同じく、この章も部に分かれていません。聖句でいうテーマとポイントは次のとおりです。

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りを身につけたり、衣服を着飾ったりするような外面的なものではなく、柔和で穏やかな霊という朽ちないものを心の内に秘めた人でありなさい。これこそ、神の前でまことに価値があることです。(ペトロの手紙一 第3章3~4節)

第6章のポイントは次の6点です。
①第5章の振り返りと第6章の目的
②聖書における華美への4つの戒め
③華美に走る人々の有様
④華美に走ることが招く悲惨
⑤信仰ある者は外面の華美を求めるべからず
⑥まとめと結びの祈り

第5章の解説でも触れましたとおり、第4章から第6章までは「節制」をテーマとしての一連のものとみることができます。第4章で断食が説かれ、第5章で暴食が戒められ、第6章では華美が戒められます。

服を着ることが今日あまりに豪奢になり過ぎています。(略)この服にかかわる行き過ぎについても、やはり節制がわたしたちの中にあってしかるべきです。節度をもって服を着るべきであると神の聖なる御言葉のなかで説かれています。神は過度に着飾ることをよしとされないどころかそれを禁じられているということを、わたしはみなさんにはっきりとお伝えしたいのです。

聖書での華美への戒めは大きく四つに大別されるとされます。

第一に、わたしたちは欲を満たそうとして、高価な衣服をもって、肉体のための糧を作り出そうとしてはいけません。そのようなことは(略)淫婦がすることです。(略)第二は(略)神がわたしたちを御国に至らしめるための慰めと推奨のために定められた事柄を後まわしにしてはいけないということです。第三は、わたしたちが自分たちの財産や置かれている立場を(略)神が与えてくださったものであるとして喜ぶべきということです。(略)第四にして最後に挙げる教訓は、誰もが自身の務めについてよく考えるべきということです。(略)すべての人々は着飾って自身をよく見せるのではなく、神が定められた位階に応じて衣服を着るべきです。

この四つに大別された事柄について、聖書の様々の文言や、聖書中のいろいろな人物の逸話が紹介されます。聖書の文言にみる華美の戒めとしては、例えば次のようなものが引き合いに出されます。

「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って思い煩ってはならない(マタ6・31)。」

「さて、富んでいる人たち、自分に降りかかる不幸を思って、泣き叫びなさい。あなたがたの富は朽ち果て、衣は虫が食い、金銀もさびてしまいます(ヤコ5・1~3)。」

「身に着けている服を自慢するな。栄誉を受ける日にも威張るな。主の業は不思議。その御業は人々に隠されているからだ(シラ11・4)。」

また、聖書にある逸話のなかで、華美を戒めるものとして引き合いに出されているものとしてはこのようなものがあります。はじめのものはラザロと金持ちの話です。

大食いをする裕福な者は自分が支払う金銭や贅沢な衣服で何を表しているのでしょうか。そのような者は地獄の業火に苛まれて報いを受けたのではなかったでしょうか(ルカ16・25)。

かつて神は、王の衣服をまとって神を忘れたヘロデ王を、天使に打たれてうじ虫に食い尽くされるようにされました(使12・21~23)。

第6章では華美がもたらす悲惨について繰り返し述べられています。聖書のなかの逸話としてではなく、特に世の女性があまりに華美に走ってしまうとどのようなことが起こるのかが述べられます。

これは大きな問題に至ります。出来の悪い妻となり、その務めを果たすことが見られなくなっていき、夫が倹約に励むのを無視することにつながる華美な衣装を持つことについて、妻は夫と口論になります。(略)そうすることで妻は虚しいこの世にあって豪奢に見受けられるのですが、これは悪魔の目を喜ばすものであって、すべての被造物に十分にして節度のある美しさを与える神の目に喜ばれるものではありません。

衣服も被造物であり、神を喜ばすためにあるものであるとともに、神の御恵みである。それを節制をもって用いないところに大きな過ちがある。そう説かれます。信仰を持つ者はどのように衣服を用いるべきであるのかについて、あるいはどうあってはいけないのかについて、このように述べられます。

『エフェソの信徒への手紙』の第六章には、「真理の帯を締め、正義の胸当てを着け、平和の福音を告げる備えを履物としなさい(エフェ6・14~15)」とあります。わたしたちは自身を実直と貞節と穏健とに委ねて、自身の首をキリストの甘美なる軛につながねばなりません(マタ11・30)。

「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りを身につけたり、衣服を着飾ったりするような外面的なものではなく、柔和で穏やかな霊という朽ちないものを心の内に秘めた人でありなさい。これこそ、神の前でまことに価値があることです(一ペト3・3~4)。」

わたしたちはこの世にあって、肉のために事を為そうなどと思わずに、神の御恵みを受けなければなりません。わたしたちは神が授けてくださるもので静かに自身を満たさねばなりません。

しかし一方では多くの者を養えるだけのお金を費やす者もいて、そういう者は誰も、自分がたっぷりと受け取ったものを分配せず、結果的にすべての人々が他の人々の必要を満たすのに十分なものまで過度に無駄遣いしています。

現代にも通じることであり、これらは隣人愛にもつながります。第4章から第6章までは、節制を説くとともに隣人愛についても触れられています。


今回は第二説教集第6章「過度に着飾ることを戒める説教」の解説でした。次はこの試訳となりますが、一度でお届けするには長いので、次回と次々回にわけて投稿します。


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