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日韓の教科書って何が違うの?~近代史記述から捉える歴史認識~Ⅳ

はじめに

早稲田から日韓の未来をつくる連載企画「ワセミレ」。第4回は前回につづき、日韓両国の高校で使用されていた「韓国史(한국사)」と「日本史」の教科書を、主に近代史の内容を中心に比較していきます。韓流ブーム真っ只中の今、日本・韓国における自国および周辺国に対する歴史認識の違いについて、少しだけ覗いてみましょう。

①三・一運動の展開

日本:東京在住の朝鮮人学生,日本支配下の朝鮮における学生・宗教団体を中心に,朝鮮独立を求める運動が盛りあがり,1919年3月1日に京城(ソウル)のパゴダ公園(タプッコル公園)で独立宣言書朗読会がおこなわれたのを機に,朝鮮全土で独立を求める大衆運動が展開された(三・一独立運動)。この運動はおおむね平和的・非暴力的なものであった

第Ⅳ部近代・現代 第10章二つの世界大戦とアジア 2.ワシントン体制 パリ講和会議とその影響(p.327)

韓国:タプッコル公園に集まった学生と市民らは独立宣言書を発表した後、街に出て「大韓独立万歳」を叫びながら平和的にデモを行った。 これに多くの市民が加わり、我が民族の独立意志を示した。 ほぼ同じ時間に平壌(ピョンヤン)、義州(ウィジュ)、元山(ウォンサン)など全国の多くの都市でも独立宣言と万歳デモが繰り広げられた。

Ⅲ日帝植民地支配と民族運動の展開 2.3・1運動と大韓民国臨時政府 ②3・1運動を展開する 3・1独立宣言と万歳デモ(p.174)

比較検討
 日本の教科書では、国名が朝鮮に改称された以後の内容について説明する際に「朝鮮」というワードが用いられる一方、韓国の教科書では改称以前と同様に「韓国」という表現が用いられている点が異なります。
 三・一運動の展開に関しては、タプッコル公園にて独立宣言書が読まれたというところまでの内容はどちらの教科書にも同様の記載があります。一方、「大韓独立万歳」という特定のワードが登場するのは韓国の教科書に特徴的です。
 また、日本の教科書と違って、我々や我が民族などの単語が用いられている点も目立ちます。三・一運動が概ね非暴力的な運動であったという記述は、日韓両国間の教科書に共通していると言えるでしょう。

②三・一運動の鎮圧

日本:朝鮮総督府は警察・憲兵・軍隊を動員してきびしく弾圧した。

第Ⅳ部近代・現代 第10章二つの世界大戦とアジア 2.ワシントン体制 パリ講和会議とその影響(p.327)

韓国:全国的な万歳デモに慌てた日帝は警察、軍隊、消防隊を動員して銃刀でデモ隊を鎮圧し、デモの主導者や参加した人を逮捕して拷問した。 これに伴い、平和的万歳デモは次第に積極的な武力闘争の様相に変化した。 (中略)デモが激しくなると、日帝は華城(ファソン)提岩里(ジェアムリ)をはじめとする全国各地で無慈悲な虐殺を行った。

Ⅲ日帝植民地支配と民族運動の展開 2.3・1運動と大韓民国臨時政府 ②3・1運動を展開する 万歳デモの発展と日帝の弾圧(p.175)

比較検討
 日本の教科書でも韓国の教科書でも、三・一独立運動に参加した人々が激しい弾圧に遭ったという内容は共通しています。一方、韓国の教科書では「銃刀」や「拷問」、「無慈悲な虐殺」などの強めの表現が用いられていたり、具体的な地名に触れられていたりするのが特徴的ですね。
 また、総督による鎮圧の影響を受けて、三・一運動が次第に武力闘争へと舵を切ったとする内容は、韓国の教科書にのみ記載されています。

③植民地支配政策の変更

日本:朝鮮総督と台湾総督について文官の総督就任を決める官制改正をおこない,朝鮮における憲兵警察を廃止するなど,植民地統治方針について,若干の改善をおこなった。

第Ⅳ部近代・現代 第10章二つの世界大戦とアジア 2.ワシントン体制 パリ講和会議とその影響(p.327)

韓国:三・一運動を契機に、日帝は憲兵警察を動員した強圧的な武断統治の限界に気づき、植民統治方式を変えた。 日帝はいわゆる「文化統治」を前面に出して植民支配に対する韓国人の反発を揉み消そうとした。日帝は武官ではなく文官も総督に任命されることができるようにした。 憲兵警察制を普通警察制に変え、笞刑制度と管理教員の制服着用を廃止した。(中略)しかし、文化統治は我が民族の不満をなだめるための欺瞞的な術策に過ぎなかった。 実際に植民統治が終わるまで文官総督は一人も任命せず、挙句は警察制度を拡大して警察官署と人員、費用などが三・一運動以前より大きく増加した。

Ⅲ日帝植民地支配と民族運動の展開 1.日帝の植民地支配政策 ③民族分裂統治が実施されて経済収奪が拡大する 文化統治標榜(p.166)

比較検討
 韓国の教科書では、日本の教科書と違って、1920年代の植民地政策に関して「文化統治」という単語が用いられている点が特徴的ですね。また、植民支配に対する反発をもみ消そうとしたという、方針転換の意図が明記されている点も韓国の教科書に特徴的です。
 三・一運動後に変更された植民地政策の中身については、韓国の教科書ではあくまで表面上の政策に過ぎないとする内容が具体的に述べられており、これが日本の教科書との違いであると言えます。そして、日本の教科書では政策の内容に関して「若干の改善」という表現が、韓国の教科書では「我が民族の不満をなだめるための欺瞞的な術策」という批判的な表現が用いられている点も大きく異なりますね。

④関東大震災における殺傷事件

日本:関東大震災後におきた朝鮮人・中国人に対する殺傷事件は,自然災害が人為的な殺傷行為を大規模に誘発した例として日本の災害史上,他に類をみないものであった。流言により,多くの朝鮮人が殺傷された背景としては,日本の植民地支配に対する抵抗運動への恐怖心と,民族的な差別意識があったとみられる。9月4日夜,亀戸警察署構内で警備に当たっていた軍隊によって社会主義者10人が殺害され,16日には憲兵により大杉栄と伊藤野枝,大杉の甥が殺害された。市民・警察・軍がともに例外的とは言い切れない規模で武力や暴力を行使したことがわかる。

第Ⅳ部近代・現代 第10章二つの世界大戦とアジア 2.ワシントン体制 社会運動の勃興と普選運動 関東大震災の混乱(p.331)

韓国:1923年の関東大震災以降は、日本人が同胞たちを虐殺したりもした。

Ⅲ日帝植民地支配と民族運動の展開 6.光復のための努力 ②中国関内で独立運動を展開する 地域踏査 国外に移住した同胞たちの暮らし(p.222)

比較検討
 日本の教科書では「殺傷」、韓国の教科書では「虐殺」という異なる表現が用いられているのが目立ちますね。また、日本の教科書では韓国の教科書とは違って、自然災害が誘発した、流言によって多くの朝鮮人が殺傷されたという風に、殺害という動作の主体が人ではなく特定の現象となっている点が特徴的です。
 そして、「対抗運動への恐怖心と、民族的な差別意識」という殺害の背景や、主に日本人が犠牲となった実際の事件について、具体的に説明されているという違いもあります。他にも、日本の教科書では市民・警察・軍のみが殺害に関わった、韓国の教科書では日本人が皆殺害に関わった、と捉えられる表現になっている点が異なります。同胞という言葉が登場するのも、韓国の教科書に特徴的です。

⑤国家総動員法

日本:1938(昭和13)年4月には国家総動員法が制定され,政府は議会の承認なしに,戦争遂行に必要な物資や労働力を動員する権限を与えられ,国民生活を全面的統制下においた。

第Ⅳ部近代・現代 第10章二つの世界大戦とアジア 6.第二次世界大戦 戦時統制と生活(p.355)

韓国:中日戦争後、日本は1938年に国家総動員法を制定し、これを韓国にも適用した。 これにより本格的に人材と物資の収奪を強化し始めた。

Ⅲ日帝植民地支配と民族運動の展開 5.戦時動員体制と民衆の暮らし ②日帝が侵略戦争に韓国人を動員する 国家総動員体制(p.212) 

比較検討
 国家総動員法の制定という出来事については、両国の教科書に記述があります。しかし、日本の教科書では日本の国民の生活についてのみ書かれており、韓国の教科書では日本のみならず韓国にも適用されたと説明されています。

⑥兵力の動員

日本:【※】朝鮮では1943年,台湾では1944年に徴兵制が施行された。しかし,すでに1938年に志願兵制度が導入され,植民地からも兵士を募集していた。

第Ⅳ部近代・現代 第10章二つの世界大戦とアジア 6.第二次世界大戦 国民生活の崩壊(p.365)

韓国:何よりも戦闘兵力が必要だった日帝は1938年に志願兵制を実施し、韓国人を侵略戦争に動員した。 太平洋戦争で戦線が拡大すると、日帝は1943年に学徒志願兵制度を実施し、多くの学生まで戦場に連れて行った(3)。 1944年には徴兵制を実施し、戦争が終わるまで韓国の青年数十万人が戦場に連れて行かれた。

Ⅲ日帝植民地支配と民族運動の展開 5.戦時動員体制と民衆の暮らし ②日帝が侵略戦争に韓国人を動員する 国家総動員体制(p.212)

比較検討
 韓国の教科書には志願兵制・学徒志願兵制度・徴兵制という3つの政策において、「韓国人」が戦争へ動員されたと記述されています。一方、日本の教科書では志願兵制度・徴兵制が韓国および台湾で導入されたと書かれており、学徒出陣の植民地における実施については触れられていません。
 また、日本の教科書では兵士を「募集していた」、韓国の教科書では「動員した」といったように、異なる表現が用いられている点も違いと言えますね。

⑦「従軍慰安婦」について

日本:【※】戦地に設置された「慰安施設」には,朝鮮・中国・フィリピンなどから女性が集められた(いわゆる従軍慰安婦)。

第Ⅳ部近代・現代 第10章二つの世界大戦とアジア 6.第二次世界大戦 国民生活の崩壊(p.365)

韓国1:一方、日帝は10代の女性をはじめとした若い女性たちを中国や南陽郡道などの戦争地域に連れて行き、日本軍「慰安婦」という名前で恐ろしい人生を強要した。
韓国2:韓国と台湾をはじめとする各国の女性たちが就職詐欺、脅迫、拉致などの方法を通じて日本軍「慰安婦」に動員され苦痛を味わった。

Ⅲ日帝植民地支配と民族運動の展開 5.戦時動員体制と民衆の暮らし ②日帝が侵略戦争に韓国人を動員する 国家総動員体制(p.212)/力量を足す 植民地被害の謝罪と賠償(p.215)

比較検討
 日本の教科書では慰安施設に集められた、韓国の教科書では恐ろしい人生を強要された、苦痛を味わったというように、後者の方が比較的厳しい表現が用いられているという違いがあります。
 また、韓国の教科書では「慰安婦」への動員方法が悪質であったとする旨が述べられている点も、日本の教科書と異なります。

⑧「皇民化」政策

日本:朝鮮・台湾でも,日本語教育の徹底など「皇民化」政策がとられ,朝鮮では姓名を日本風に改める創始改名が強制された。

第Ⅳ部近代・現代 第10章二つの世界大戦とアジア 6.第二次世界大戦 新体制と三国同盟(p.360)

韓国1:日帝は侵略戦争を拡大しつつ、韓国人の精神を抹殺し、日本の国王に対する崇拝思想を注入する民族抹殺統治を実施した。 これは韓国人を侵略戦争に効率的に動員しようとする意図だった。 1936年に朝鮮総督に赴任した南は、内鮮一体を強調し、韓国人を日本人にしようとする皇国臣民化政策を強化した。
韓国2:1939年には韓国人の姓と名を日本式に変えるよう強要する法令を公布した。日帝は教育を通じて忠誠な皇国臣民を育てるという名目で教育令を改定した。 その結果、学校で韓国語学習時間がなくなり、韓国語使用が禁止され、すべての授業が日本語で進められた。

Ⅲ日帝植民地支配と民族運動の展開 5.戦時動員体制と民衆の暮らし ②日帝が侵略戦争に韓国人を動員する 民族抹殺統治(p.213)

比較検討
 韓国の教科書では、1930年代の植民地政策に関して「民族抹殺政策」という単語が用いられている点が目立ちます。一方、「皇民化」政策がとられた、姓名を変更することが強要された等の記述は日韓の教科書において共通しています。
 教育政策については、日本の教科書では「日本語教育の徹底」と簡潔に書かれた一方、韓国の教科書では、すべての授業が日本語で進められた、韓国語学習時間がなくなった、韓国語使用が禁止されたとその中身が詳細に記述されているという違いがあります。

さいごに

 お読みいただきありがとうございました!日朝国交樹立の流れから植民地支配中までの出来事について、日韓両国の教科書がどのように記述しているかを見てきました。できるだけ主観的な意見はいれずに、この記事を読んだ皆さんの判断にお任せするかたちにしましたが、いかがだったでしょうか?この記事が日韓の歴史について再考するきっかけになれば幸いです。
 今回は日本の教科書にも韓国の教科書にも記述がある部分を中心に比較したため、特に韓国の教科書において紹介しきれなかった内容が多くあります。また、本連載記事にて引用した教科書は各国1冊のみでしたが、出版年度や出版社によって書き方が異なる可能性も十分にあります。そのため、本記事に登場した、もしくは取り上げられなかった出来事についても一度調べたり考えてみたりするのもお勧めです!
 改めて最後までお読みいただきありがとうございました!

注釈

(3)余談:今回は「끌고 갔다[グルゴガッダ]」を「連れて行った」と翻訳しました。しかし、日本語の「連れて行く」はどちらかというと「데리고 가다[デリゴガダ]」という単語に近い意味合いになります。教科書に登場した単語のなかで「끌고[グルゴ]」は「引っ張る」、「갔다[ガッダ]」は「行った」という意味のため、引っ張って行く、つまり嫌がる相手を無理やり連れて行くというニュアンスが含まれます。

備考

  • 【※】は教科書本文ではなく注釈部分に内容が書かれていることを指します。

  • *は、補足説明のために追加した注釈です。教科書の原文には記載がありません。

  • 半角のカッコ()は原文に記載のもの、全角のカッコ()は原文にはなく、こちらで追加したものを指します。

  • 各サブタイトル等の引用文以外の文章では、便宜上日本の教科書に登場する名称を基準として用いています。

引用・参考文献

笹山晴生ほか10名,2014,『詳説日本史B』山川出版社(2012年検定済).
도면회 외 8인[ド・ミョンフェほか8名],2020,『고등학교 한국사』[高等学校 韓国史],ソウル特別市: 비상교육[ビサン教育](2015年の教育課程).(本記事には拙訳し引用)

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