【横瀬町/協力隊】12月 感謝感激!秩父夜祭の御神幸行列に高張提灯のお役目を頂きました
みなさん、こんにちは
横瀬町地域おこし協力隊
ウェルビーイング担当のやすこです
2023年12月2日(宵宮)と3日(大祭)に
日本三大曳山祭(京都祇園祭、飛騨高山祭)
のひとつとして
約300年以上(寛文年間)の歴史がある
秩父夜祭が盛大に行われました
といいつつ
わたしにとってははじめての
秩父夜祭
今回、大変お世話になっている
横瀬町の方にご配慮頂き
横瀬町の「高張提灯」のお役目を頂き
御神幸行列に参加させて頂きました
本日は
貴重な経験をもとに
自分が「秩父夜祭」で感じたことを
書きたいと思います
恐らく長文になると思います
苦手な方はさらりと見て頂ければ幸いですw
1.【御礼と感謝】秩父夜祭の御神幸行列高張提灯のお役目めを頂くまでのエピソード
2023年3月に横瀬町に移住したころから
横瀬町の方から
「秩父夜祭はすごいよ~」
「秩父夜祭は重さが全然違う」
「日本三大曳山祭りの1つだから迫力満点だよ」
「4基の屋台と2基の笠鉾がきれいだよ~」
「当日すごい寒いし、すごいひとだよ~」等
とお聞きしており
秩父夜祭の偉大さについては
なんとなく認識しておりました
夏くらいに横瀬町の重鎮から
高張提灯のお役目について
お話を伺っておりましたが
その時は
秩父夜祭は何か
高張提灯は何か
すごいお祭ということは理解しつつ
まったく想像がつかない状態でした
なんやかんや秋になり冬になり
御神幸行列の高張提灯のお役目を
横瀬町でお世話になっている方に
正式におはなしを頂きました
秩父夜祭の御神幸行列の
横瀬町のお役目の経緯についても
横瀬町の方からお伺いしました
そんな中で
秩父夜祭事態はじめてのわたしを
選んでくださったこと
大変感謝しております
御神幸行列のお役目は
横瀬町の方(主に重鎮)が
一生できるかできないかの名誉なお役目なのだと
お聞きし身が引き締まる思いでした(大緊張)
今回お声がけくださった横瀬町の方に
わたし :「なぜ、わたしは横瀬町の御神幸行列に選ばれたのですか」
とお聞きすると
横瀬町の方:「いろいろ(横瀬町)と調べてくれたことを知っているからです。それを踏まえ厳正に選び、お声がけさせて頂きました」
と涙あふれるお言葉を頂きました
地域おこし協力隊の活動って地味で見えにくい(特に委託型)ですが
横瀬町の方が見てくださっていたと思うと
大変うれしく
色々な苦労が報われた瞬間でもありました
また、今回の御神幸行列のメンバーの
お名前をお聞きしたとき
すでに知っている素敵な方ばかりで思わず
わたし :「めっちゃ最高のメンバーじゃないですか」
と叫んでしまいましたw
その予想は当日お役目をすべて終えたときに
最高のチーム横瀬だったと感じたので
直感が当たりました
そのエピソードは後ほど・・・
11月は自分の活動がバタバタしており
11月の最終週くらいから
本格的に秩父夜祭の御神幸行列のお役目に向けて
以下の通り気持ちをつくっていきました
①秩父夜祭の歴史について調べる(地域調査)
②御信幸行事の役割を知る
③できるだけおこもりの時間をつくり、気持ちを整える
④横瀬町の方のしあわせについて思いを馳せる(ウェルビーイング担当)
④横瀬町の方に相談して、秩父夜祭の寒さ対策をする(服装等)
上記の秩父夜祭に向けての準備について
まじめすぎて
すごく笑われるかもしれませんが
わたしはいたって真剣に取り組みました
御神幸行事のお役目の重要さを
横瀬町の方に聞いていたことや
横瀬町で女性の参加は恐らくはじめて
ということもあり
心臓が口から飛び出るくらい
プレッシャーがありました
でも絶対にがんばると心に誓い当日を迎えました
2.秩父夜祭入門(やすこ解釈編)
秩父夜祭は
不倫のお祭りとよく言われますが
私自身は古代、中世、近代と時代とともに
祭式が重層化されながら変遷を遂げていると思い
ひと言で説明することは非常に困難であると
資料を拝見する中で感じました
今回「夜祭」に関する資料を
自分なりに解釈しながらまとめた内容を
ご紹介したいと思います
これはわたしの理解になるので
ご参考までにして頂けますと助かります
①3つの聖地と信仰軸って?
秩父神社の所在地は
母巣(ははそ)の森(杜)と言われ
社殿ができる以前から
神体山の武甲山を遥拝する聖地として
地域の方々から崇められてきました
母巣の森は
神体山としての武甲山に対面しています
秩父夜祭は秩父神社の冬季例大祭であり
大祭当夜、正南北線を直線で結んだ3つの聖地
秩父神社、御旅所、武山の大蛇窪(山神が棲息する聖池)の信仰軸上の真中である
祭場(御旅所)に
山の神が降臨すると信じられてきました
②元々は山神山送祭式の自然崇拝(アアニミズム)がはじまり
春に今宮神社の龍神池で武甲山から水の神を迎え
秋の収穫が終わると夜祭をとおして
武甲山へ再び水の神様をお送りしていた
神事が夜祭の起原と言われています
毎年4月4日に、市内中町の今宮神社では
水分祭(みくまりさい)が行われます
境内にある龍神池(武甲山の伏流水がわいている池)の水の神様(龍神)を迎え
水幣(みずぬさ=龍神の御神徳)が
秩父神社に手渡され
その水幣によって豊作を祈る
御田植祭が行われています
秩父夜祭では
藁づくりの龍神様を御神幸行列の大榊に乗せて
再び武甲山に感謝を込めて
お送りすると言われています
③「妙見神」合祀と祭式の融合
秩父夜祭のエピソードで有名なのは
秩父神社の妙見菩薩様(女性の神で北斗七星の神様、養蚕の守り神)と
武甲山に住む龍神様(男の神で水の神様)が
年に1度12月3日に御旅所で逢瀬をする
お話ではないでしょうか
鎌倉時代末期、秩父平氏により
秩父神社に「妙見大菩薩」が合祀されました
妙見神は北斗七星を聖霊とする神で
武士団の武神として厚い信仰を捧げられた
この時以来、お社は妙見宮秩父神社と称され
夜祭で御旅所に出現する神は妙見神となりました
妙見神合祀によって祭式の重層化と改革により
今日の夜祭の形式が継承されてきたと
言われています
夜祭斎場では亀の子石の上に聖霊を象徴する
大幣束が立てられます
それが妙見神出現の形象と言われています
妙見神の足下で
亀は龍と一体化して
玄武神になります
④諏訪渡りについて
秩父夜祭では
年に1度(12月3日)
秩父神社の妙見菩薩様と
武甲山に住む龍神様とが
御旅所で逢瀬をします
亀は大地を表し
龍は天を表し
天地合流という
スケールの大きな
意味合いのあるお祭です
本来(古代)は
山へ送り返す信仰観念に
逆の観念である
龍である山神が降臨する
という観念が発生したのは
妙見神が合祀された
この時期ではないかと考えられています
実は、秩父夜祭ではもう1人
女性の神様である
お諏訪様がいらっしゃいます
これも俗説ではありますが
お諏訪様のことを
地元では武甲山の男神の
本妻さんとも呼んでいます
そのため
12月2日(宵宮)
本妻であるお諏訪様に
神幸祭の執行を報告するのが
諏訪渡りと呼ばれる神事だそうです
本妻さんと呼ばれる背景は
はっきりしていないそうですが
お諏訪様は
秩父神社に妙見菩薩様が合祀される前から
この地域に祭られていた神様であり
地元の人々が信仰してきた名残ではないか
とも言われています
*背景として
もともと土着の神として水の神が存在し
そこにお諏訪様と言う神格が後から与えられ
地元の人々が信仰していたと言うお話も、、、
ここまで読んで頂き
秩父夜祭の解釈の難しさを
感じるのではないでしょうか
一般的に知られているエピソードだけでなく
どのように秩父夜祭が発展していったのかを
知ることはとても重要だな~と感じました
しっかりと謎が解けているわけではないので
俗説も含め各々の解釈で
秩父夜祭を楽しんで頂けたらと思います
いろいろ調べていた文献のほとんどが
秩父神社の薗田稔宮司からのお話でした(偉大)
※夜祭キーワード
・武甲山:古代から秩父の人々に「神の山」として崇められている 標高1,304m
・御旅所:大祭の3日夜、6台の山車が集結して神事が行われる場所
この日に限っては「お山」とも呼ばれている
・御神幸行列:3日の夜に神霊を還した神輿が神社から御旅所まで渡御する
順番は、大榊、道案内の猿田彦大神、日月万燈、太鼓等の楽人、綿旗、太刀箱、御手箱、氏子の各町の供物と高張提灯の行列、御神せん、大幣束、神輿、秩父神社の宮司や神官、氏子の大総代、市町村町等、しんがりを二頭の御神馬が務める
屋台は、中近(傘鉾)、下郷(傘鉾)、宮地、上町、中町、本町の順番
・斎場祭:御神幸行列、6基の屋台、傘鉾が御旅所(お山)の定位置に到着すると斎場祭(神事)が始まる
3.秩父夜祭を体感して感じた自分なりのメッセージ
①はじめての秩父夜祭に向けて
はじめての秩父夜祭で
しかも御神幸行列のお役目を頂いていたので
文献を読めば読むほど
そのお役目のありがたさや重さが
体中に浸透していきずっと緊張して過ごしました
同時に約8ヵ月間の地域おこし協力隊としての
人生を振り返る時間でもありました
誰も知らない横瀬町に
ただただ「しあわせとは何か」に向き合いたくて
ウェルビーイングというツールをとおし
直感で決めて移住してきたわたし
当初予定していた活動とは違ったけど
横瀬町というフィールドを感じ
横瀬町のひとの温かさや優しさに何度も救われ
しあわせとは何かに真剣に向き合うことが
できました
その答えは
横瀬町のひとの人柄や人生に触れることで
気づかされることも多くありました
その思いから生まれた企画が
ウェルビーイング通信「ぬくとまる」です
横瀬町のひととの出会いがあり
わたしは横瀬町という町が好きになりました
東京で働いていた自分も好きでしたが
自然と共に生きる横瀬町の自分も好きです
来るべくして横瀬町とのご縁があったと感じています
今年もお世話になった方が2名も亡くなりました
そのことをちゃんと連絡してくださる方がいて
横瀬町で大きな声で泣きました
遠方で最期を見送ることはできなかったけど
生きている間に出会えたことに感謝しています
ひとはいつ命がなくなるかは
だれにもわからない
だから1日を一生分として生きようと
決意してから
より自分らしく
自分の気持ちに正直に生きてきました
秩父地域は以前から神秘的な場所であることは
発信してきましたが
ここの地域はまさしく
武甲山という神体山を起点に
この世とあの世をつなぐ場所であると
わたしは思っています
秩父夜祭しかり
秩父34か所観音霊場にしかり
御神幸行事のお役目を頂き
秩父夜祭に想いを馳せ
自分の人生を走馬灯のように
その時々の想いを思い出すことができました
②2023年12月3日秩父夜祭大祭当日
当日は、横瀬町のM井さんにお誘い頂き
午前中は高張提灯の準備をするため
秩父神社に向かいました
すでにたくさんのひとで溢れており
活気のある雰囲気で緊張がいっきに吹っ飛び
テンションが上がりましたw
③御神幸行列のチーム横瀬は直感通り最高だった
M井ファミリーに大変お世話になり
15時頃からメンバー全員順次送迎頂き
秩父神社へ向かいました(大感謝)
わたしは緊張すると
みなさんに伝えたら
チーム横瀬のメンバーが
楽しもう~と言ってくださり
その明るさと気軽さに
緊張していた気持ちが緩みました
さすが地元のひとたちで
夜祭慣れしているのかな~と感じました
チーム横瀬のメンバーは
もともと知り合いで
なんでも話せるひとたちだったので
すごく安心感と安定感と笑いがありましたw
仲の良い雰囲気が他の町の方にも伝わり
「横瀬町仲いいね!!オレも横瀬町のメンバーにはいりたいなっ!!」
と他の町の御神幸行列の方からも言われました
長丁場で責任のあるお役目なので
いっしょに乗り越える(楽しめる)
メンバーはとても重要です
④17時いよいよ御神幸行列の準備へ
ちょっと余裕があったので
メンバーで秩父神社の周辺を歩き
お祭の雰囲気を楽しみました
時間になり高張提灯のところへ向かうと
ここで予想外
代々横瀬町の歴史をつないできた
高張提灯・・・
若干提灯の留金が壊れそうだったこと
あとろうそくをどのように入れたらよいのか
分からない(汗)※わたしは見守り隊です
かなり焦りました
ろうそくが上手く提灯の中に入れられなかったら
提灯が途中で燃えてしまうのではと考えると
恐怖で心臓がバクバクしました
高張提灯のお役目は2名でちょっと
危ない提灯は頼りになるTるさんが
ご担当してくださいました
※ろうそく恐怖の気持ちを1番共有できるお方
高張提灯はとっても長くて大きいので
ちゃんと御旅所まで運べるか
若干心配でもありましたが
全集中で乗り越えました
ところどころで行列が止まるので
その度に目を閉じ
横瀬町、横瀬町のみなさまへ
感謝の気持ちを込めて
しあわせを祈りました
その度にKとうさんが
「近藤さん、眠たいの?大丈夫?」
とお声がけくださいましたw
秩父神社から御旅所まで約1㎞くらい
意外にも平気で大丈夫でした
M井さんとMじろうさんの2人の会話が
おもしろくて緊張しつつも終始リラックスして
歩くことができました
チーム横瀬、最高です
⑤御旅所に到着後は
午後8時頃
御旅所に御神幸行列到着
ご斎場に向かい
高張提灯と供物を納めました
斎場祭が終わるまでは
一般の方は入れないご神域となります
チーム横瀬は、頂いたお弁当を食し
AM1時の集合時間まで
比較的自由な時間を過ごしました
御旅所には
傘鉾と屋台が着々と上がってくるので
わたしは初めて見る
活気ある煌びやかな光景に
心を奪われてしまいました
囃し手や曳き子の掛け声
お囃子
見物人の方々の歓声で
秩父の夜の街が
熱狂の渦に包まれていました
(胸がくっと痛むドラマもありましたが、、、)
また尺玉やスターマインの
壮麗な山車と花火の競演の
美しさと迫力は言葉では
表現できないほど感動してしまいました
秩父夜祭のリールを作成しました
雰囲気が伝わるとうれしいです
⑥AM1時に集合、最後の屋台を見送り、御神幸行列は秩父神社へ
深夜になると段々と寒くなってきました
服を何枚着ても
カイロを貼りまくっても
寒さが身体の芯まで浸透し
身震いする寒さでした
チーム横瀬のMじろうさんのご自宅が
御旅所から近いということで
メンバーでご訪問し
そこで簡単な食事をとり英気を養いました
AM1時に斎場に集合し
御神幸行列は秩父神社へ
夜中の番場通は
人通りも少なくなっていましたが
番場通にあるお店のひとたちが
御神幸行列にお辞儀をされている姿に
町の方々の歴史を感じました
歩いている途中
他の町の高張提灯が燃えてしまい
やはり角度によっては
提灯は燃えるのだとしっかり記憶に残りました
最後まで全集中の気持ちでお役目を果たすことができ本当に良かったです
12月3日から4日に日付もかわり
4日の午後3時ごろに
秩父神社で御還幸祭が行われました
これは
神輿に還していた御霊を本殿に戻す儀式であり
明かりはすべて消され
暗闇の中で行われました
儀式の最中はわたしたちも頭を下げ
直接見ることは許されませんでした
御霊を還すときに
何とも言えない掛け声が聞こえてきて
先進的な発展により時代がどんどん変わる中でも
この神秘性を越えることはできないなと感じてしまいました(厳かなのに迫力がありました)
すべての神事を終え
お役目を果たし
最後はチーム横瀬のメンバーで
秩父神社で御神幸行列の
お役目完了のお礼参りをして
秩父神社を後にしました
すべてを終え帰宅したのは
AM4時頃だったと思います
⑦秩父夜祭で感じたこと
横瀬町のひとがずっと言っていた
秩父夜祭はすごいよと言う言葉を
理解できた貴重な1日でした
また、お役目を頂けたことで
一般の方が入れない
神事等を拝見させて頂き
ただ楽しむだけのお祭ではなく
この地域にとって
非常に意味合いの深い
お祭であることを感じました
第6感があるひとならば
神秘性を感じざるおえないと思います
今までの活動が
ここにつながるとは思っていませんでした
横瀬町地域おこし協力隊として活動する中で
この町は
新しい先進的な取り組みの推進派と
古き良き時代の伝統やコミュニティがあると
ずっと思ってきました
今後はその双方の価値観のつなぎやくとして
活動できたらいいな〜と思っています
わたしが横瀬町を最先端の町だと感じるのは
この2つの価値観があるからです
だからどちらも好きだし大切にしたい
横瀬町にはすでにしあわせがあります
そのことに改めて気づくきっかけづくりや
新しいしあわせとの出会いの発見について
わたしが横瀬町で感じた視点を大切にして
横瀬町の日常のしあわせを
どんどん発信できればなと思います
来年度は発信力のスキルをさらに磨き
横瀬町内外の方に
横瀬町のしあわせや魅力を
発信していきたいと思います
今回、歴史ある秩父夜祭の御神幸行列のお役目を
わたしに託してくださった横瀬町の方も
日々のわたしの活動を見て
お声がけくださったと言われました
わたしはこの地域のみなさまにとったら
「よそ者」というカテゴリーです
よく聞くのはこの地域ではよそ者はなかなか受け入れてもらえないということ
でもそんなことは1度も思ったことがないので
わたしは本当にラッキーなのだと思いますw
今回のお役目について
わたしもお話を頂いた時にびっくりしましたが
横瀬町のひとはもっと
「なんで?近藤さんが?」と
驚いていると思います
わたしにこのような
貴重な機会をくださったこと
一生忘れません
お役目をお与えくださった横瀬町の方の想いに
しっかりと誠意を持って答えたいと
できる限りはじめての秩父夜祭に向けて
気持ちをつくっていきました
ご推薦くださった横瀬町のみなさま
チーム横瀬のM井さん、Mじろうさん、Tるさん、Kとうさん本当にありがとうございました
みなさんが優しくて面白くて頼もしかっので
最高の秩父夜祭でした!大感謝!
また、わたしのことを心配して秩父夜祭に誘ってくださったり、わたしの両親の案内役までご提案くださった心優しい横瀬町の方々に心から感謝申し上げます!涙が溢れるくらい嬉しかったです!
いつまでこの土地にご縁があるのかは
分かりませんが(できればずっといたい)
すべてつながっている
めぐりあわせに身をゆだね
自分がやるべきことに集中し
日々の活動を積み重ねていきたいと思います
秩父夜祭でわたしが感じたメッセージは
「しあわせに関する発信力を磨くこと」です
いろいろな可能性を考えていきたいと思います
楽しむぞ~
本日も長文を読んでくださり
ありがとうございました
現在AM2:16
なんとか書き上げることができました
乱文失礼いたします
読んでいただきいいなとおもったら
フォローやスキ♡を押していただけますと
すごく励みになります
これから発信力をどんどん磨いていきます
応援してくださったらうれしいです
では、また~!!!
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