【お金が先か、成果が先か】学ぶために働き、働くために学ぶこと

皆さんにとって、原動力って何ですか?

何のためなら、どんなに辛くても頑張れるのか。何のためなら、こだわりを持って丁寧になれるのか。学び続けられるのか。

最近そんなこと考えてしまいます。

「働く」ことへの原動力。「働く」は、仕事だけでなく勉強も含め、誰かのために「自ら動く」行動の総称だとして。

何を目的として働くのかによって、原動力は変わってくる。

本気でやりたいことをできる場所と、出会いたい人に出会える場所。

本気でやりたいことなのかわからないことを、期待に応えたくて続けて行く場所。

いつか、あれ?私がやらなくても別にいいんじゃない?ってなって

静かにフェードアウトしていく好奇心。

お金と愛とを、すりあわせ。

お金は大切。でもお金お金って言われると、お金なんて関係ないって言いたくなるし

気持ち気持ちってなると、気持ちなんて次の瞬間には変わってしまうかもしれないと不安になったり。

お金をもらうことで、責任を持って積極的に働きかけるモチベーションだったり使命感が生まれる。
いやいや、成果を出してないのにお金もらう...ってどうなの?

どっちの意見もわかる。私自身、強制感のない監視のされない状況の中で何か具体的な成果を出すための働きかけ。難しいと感じてしまったのも事実。

やっぱりどんなにまっすぐな言葉で飾っても。しんどい。辛い。時給換算なんてするべきじゃない。今は。

でも、長くかかってしまうのは不慣れ、技量の不足もあるけれど、いいもの作って喜んでもらいたいって強く思ったから、長い時間かけた。自分が、勝手に。

お金がもらえないと動けないってことは

そこまでの気持ちなんだ。愛が足りないのでは。

それは違う。そういうわけではない。と言いたい。

お金とやる気は別問題。お金はどうしたって必要で、もらえたらそれはそれは嬉しいもので。

だからこそ、お金も働きかけも、メーターがバランス良くなければ長くは続かないのかもしれない。

実際に、お金なしでやってみて、欲が出てしまった。お金がもらえないから頑張れない、責めるべきではないと思う。当たり前の感情。お金がなくてもやりたいです!!が、全て偉いわけじゃないきっと。

でもとにかく嬉しかった。喜んでもらえて、力になれて。今まで怖くて、勉強しても実際に誰かのために発揮できる機会は逃していたから。

自信は持てないけど、意味は持てた。

きっと、欲が出てきたのは、自分のやっていることに少し意味がもてたからかもしれない。今まで、私なんかがしたことでお金なんてそんなってどうしても卑下したくなった。でも、今自分がやったことは、誰かを喜ばせることができるものだ。決してお金がもらえない次元のことではない、卑下しなくていいと思えるようになった。(動画編集ね)

もちろん、お金が全てじゃない。お金をいただくのならば、それを倍で返すほどの働きかけをして、結果を出さなければ。何をしよう。何ができるか。

力になりたい、何かできることをしたい。お金がもらえない、それでもいい、それでもいいの?

今は。今はね。

むずかしい。結果を出す働きかけを求めるのなら、動機付けとして先にお金を出すことが必要なのか。

報酬を求めるのなら、結果を出す働きかけをしてからなのか。

責任感って、何だろう。愛情って何だろう。

結果を出すって。何だろう。

労働?貢献?

営利?非営利?

趣味?仕事?

目標?夢?

頭でごちゃごちゃ考え出していっぱいになって、一旦ここで言葉に残して、

【結論】忘れるなかれ、感謝と学ぶ姿勢。

一つの居場所にいろいろなことを求めすぎている。好きすぎて。

求めすぎてしまうくらい自分にとって大切な場所になってる。

人間の持つ欲求の充足場所を、拡散させなければ。

人の縁は円で買えない。売ってない。

もちろんお金を払って訪れた場所で出会った人って、お金があったから出会えたこととも言えるけれど...

同じお金を出して、毎日同じ場所に行ったとしても、また全く同じ人に出会えるわけじゃない。

自分がどんなにお金を出しても、出会うことができない人と出会える。

好きにいろいろな経験をしていいって言ってもらえる。

お金より大きなものをたくさん、もらってばかり。

人脈って言葉はあまり好きじゃなくて、ご縁って言いたい。

感謝だけは忘れず、甘えすぎず、浮かれすぎず。

でも楽しんで、面白がって、ワクワクしながら、動きたい。

今つまらないと感じる。やめる。じゃなくて、

面白くするために学んでいくしかない。

好きなことには変わりないのに、どうして今つまらなく感じているのか。

きっと、わからないから勉強がつまらなかった、ドラゼミを投げつけていた頃に近い。計算式をサボって、スネ夫ばっか描いてた頃。

なら、そんなに深刻なもんじゃない。

知らないことってちょっと怖いけれど、知らないこと一つ二つと吸収できたあとは、また違う見え方ができると思う。

口だけじゃなくて、力になりたいなら気持ち入れ替えて学ぶ!もっと!!

悩んできたときは、気楽に、楽しくやろう!のテンションで、やっとちょうどいい頑張り方。

というわけで、焼き物の教科書を購入しました。

陶族王に、俺はなる。

やっぱりまだまだ、好きみたい。

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