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世界はいつだって、クリアカラー。

大人につれて、社会人になるにつれて、
「社会」「世界」のあらゆる要素が見えてくる。

本音と建て前、外面と中身、嘘と真実、上と下、表と裏、派閥と利権、プライドと面子、保身と権力、信頼と裏切り、結果と経過、努力と結果、競争と助け合い、金持ちと貧乏、好きと嫌い、合うと合わない、良いと悪い、正義ともう一つの正義、会議室と現場、営業と製造、コネと根回し、政治とカネ、戦争と平和etc.

色々な要素が絡み合い、仕事が、社会が、
徐々に人間観察からの互いの読み合いゲームと化していく。

また、そちらを上手く切り抜けて生きる為に、
「自分」の表と裏、良い面と悪い面、強みと弱み等の二面性も、
露骨に感じていく。
その上で、歳を取るにつれて、賢くなり、
如何にベストなタイミングで自分の武器・要素の何をどう出すか、
出し方はどうするか、という大人の駆け引きがメインとなっていく。

人間観察しながら、自分のカードから最適を出す、
大人の探り合いという、高度で難解なゲーム。
それが「社会」であり、「世界」。

だけど、いつからこんな高度になったのだろう。

学生時代、
一度会えば友達になったり、
利害関係でなくても平気で助け合ったし、
一銭もメリットにならない無駄話でのオールがあたりまえだった。
形式ぶった授業より、休みのバカの方が断然おもしろかった。
それが、何より楽しかったし、
心から充実してたし、なんなら「世界」を獲れた気すらした。

あれは、人生の前半で観た幻想だったのだろうか。

いや、そんなことは、ない。
様々な本やセミナー、記事やブログ・ニュースを見たり学んでいくと、
「我慢」「複雑」の方が都合がいい方達が一定数いるが、それが壊れかけているという現状のシステム。
仕事も、「自分らしく」「我慢しない」「フラットな立場を」「好き」が普通になってきているという流れ。
実際、本当に豊かな人達は、1周して、
子供みたいに純粋無垢で、常に「自分」で、正直にド真ん中で生きている。

でも、よく考えていると、
「世界」「社会」を複雑かつ、混沌としているのは自分自身かもしれない。

今までの刷り込み、義務教育、
多感な時期に見てきた大人の価値観、
自分のトラウマ、痛み、習慣、癖、価値観etc.
そんな所から「社会は厳しいもの」「大人は難しいもの」と、
インストールされ、それがそのまま投影されているだけかもしれない。

だったら、そこを自分から直せば、
「社会」「世界」は、よりシンプルに、なっていくのかもしれない。

今起こっている現象を、より俯瞰で観る癖をつける。
将来の理想の在り方から逆算する。
一面性ではなく、二面性として捉える癖をつける。
受容する、許すという大人の器を学ぶ。
より自分らしくいれる環境を整える。
過去のトラウマや痛みを向き合う。
自分の中で、二面性と統合していく。

いきなり一気ではなく、ちょっとずつ段階を踏んで。

そうすると、いつしか、
「世界」「社会」は、明暗共に統合され、シンプルになり、
自分だけの中庸が見れるかもしれない。

いつだって、自分とは世界。

そのことを忘れず、これからもこの世界を彩っていきましょう。
自分色のフィルターを通していきながら。













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