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餞とは旅立つ魂に花を手向けるということ(平魂鎮遊記1)

皆さま、こんばんは。

日曜日の夜、いかがお過ごしですか?

鎌倉殿の13人、今夜放映ですが途中でみるの挫折しちゃった(笑)

というか、倶利伽羅峠の戦いって映像化されたんですかね??

義仲さんと巴さんはもう出てきてるのかな?(キャストは誰かは確認したけども…)

というわけで、昨日その倶利伽羅峠(砺波山)に行ってまいりました。(唐突に)

昨日、ようやく撮り溜めていたアニメ「平家物語」の最後の2話を一気見して、見事に涙腺崩壊。

(ちなみに王様ランキングは本日観ました。こちらも最終回では滝のような涙を流した 笑)

どこでもいい。

平家に纏わる場所に行きたい…

もうすぐ正午も回りそうな時間だというのに、その様な衝動に駆られて居ても立っても居られず、気がつけば車を富山方面に走らせておりました。

倶利伽羅峠って金沢方面寄り(もしくは京都寄り)のもっとずっと遠い所にあるのだとばかり思っていたのですか、実際に調べてみると石川と富山の県境に位置する場所だと知って、距離的に行けないこともないな、と。

5連勤明け(裏仕事?もすべて合わせると実質12連勤明け?)の土曜日、今日こそはおうちで羽を休めてまったり過ごそうかと考えていたのに…もうこれですよ。

目に見えぬものたちに手招かれて、跳ね馬の如く唐突に飛び出すじゃじゃ馬の性分(笑)

もう、死ぬまで治らんな、これは。


さて、富山県小矢部市に向かう道中で偶然すれ違ったお寺看板。

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きゃーっ!!

諸行無常やってー!!

興奮してつい写真を撮ってしまいました(笑)

いや、もちろんこの言葉は仏教の根本的な思想を表しているのはわかるのですがね…(お寺看板に使われるのは至極当然)

↑こちらに詳しく。

しかし諸行無常と聞くと、もう「平家物語」しか頭に浮かばない(笑)

今のテンションなら尚更。

と、そんな感じで車を走らせていたらまた唐突に頭の中に言葉が降ってきた。


はなむけ…


え?何?はなむけ

餞別せんべつってこと?


せめてものはなむけに…

???

(よくわからなかったため、とりあえず心に留めておくことにしました。)


そして、難なく倶利伽羅峠(倶利伽羅不動寺)に到着しました。

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え?手向神社?

手向は〝たむけ〟とお読みしていいのかしら?

手向ける神さま?

不思議なお名前…

家に帰ってしっかり調べてみると、こんなんでましたけど…(先に種明かししときます)

津幡町の倶利迦羅不動寺境内にある手向(たむけ)神社は、古くは747(天平19)年の『万葉集巻17』、898(元慶2)年の歴史書『日本三代実録』に「手向の神」と記されています。『万葉集巻17』では、大伴池主(おおとものいけぬし)が大伴家持(おおとものやかもち)から贈られた別離の歌に答えた長歌の中で、「刀奈美夜麻(となみやま)多牟氣秤ツ味个(たむけのかみに)奴佐麻都里(ぬさまつり)」と「手向の神」を詠んでいます。この長歌を含め、池主の万葉歌碑が3基、倶利伽羅山山頂にある倶利伽羅公園に建っています。当時、倶利伽羅峠を越える旅人が道中の無事を祈るために、祠宇(しう=やしろ)を設けて神を祀ったのが手向神社の起源と考えられています。

津幡町観光ガイドさまより引用させていただきました。

ちなみに手向さまは、他のサイトでは古くは道祖神の神格であったと書かれてあった。

道祖神さまー!

わたし、大好き&得意なやつ(笑)

それから、「手向ける」という言葉も一応調べておく。

1 神仏や死者の霊に物を供えること。また、その物。「手向けの香華」            2 別れる人へのはなむけ。餞別(せんべつ)。「卒業生に対して手向けの言葉を呈する」     3 《峠には道祖神などの境の神が祭られており、そこで旅の安全を祈って供え物をしたところから》山路をのぼりつめた所。峠。

あ、やっぱきた。

手向さまはやはりはなむけの神でもあるのではないでしょうか?

(3の道祖神、山路をのぼりつめた所、峠。もそのまんまやけどね…)

さっき降ってきた言葉にようやく合点がいった瞬間でした。

しかし、その手向の神がどうにも掴みづらくて…


長くなりそうなので、次回の記事に続きます。

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