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子どもの教育費、聖域化しがち。


コストは確実、リターンは不確実。

 BSテレ東の日経スペシャル「マネーの学び」にて、教育資金に関しての特集が組まれていたが、子ども一人あたり、大学までオール公立で1,000万円、オール私立で2,400万円という、恐らく多くの若者が子どもを持ちたいとは思わないであろう、生々しい数字が出てきた。

 とはいえ、学習塾にも大学にも行かず社会に出た身としては、昨今の教育費の高騰の主因は、過剰投資にあるのではないかと思い、単身者の分際で、教育費用が聖域化していないか、投げかけるような内容を記すに至った。

 教育というのは、広義の投資であり、子どもに高等教育を受けさせることにより、高い経済力を有する大人になる将来に賭ける行為とも捉えられる。

 そして、数ある人的資本への投資の中で、最も費用対効果が高いと捉えられるからこそ、将来のリターンを期待して、多少無理をしてでもお高い教育費を支払った結果、子供が巣立った老後に破産するのが悲観シナリオである。

 この状況を株式投資に置き換えて考えると、下落相場で今が底値だと感じている。今買って持ち続けていれば、将来の値上がり益が見込めるから、多少無理をしてでも買い増し。その後のなんとかショックで資金がショートした的な感じだろうか。

 それはもはや投資ではなく、投機、ギャンブルと変わらないと、株式投資なら誰もが思うが、不思議なことに教育という名の人的資本への投資では、そんなギャンブルを平然と行っている。

 個人的に投資というのは、財テク的なものに限らず、今よりも未来が良くなることに賭けて、お金、時間、労力といった広義の資産を投じる行為全般を指すものと考えている。

 当たり前だが投資である以上、元本は保証されないため、投資資金を回収できる保証はどこにもない。つまり程度の差はあれ、リターンは不確実である。しかし、先に資産をベットしなければならない意味で、コストは確実に出ていく。

 だから、確実に出ていくコストは安いに越したことはないと、インデックスファンドが支持を得ている側面がある。

 その理屈が合理的であれば、教育もまた、投資的側面においてリターンは不確実なのだから、確実に出ていくコストは安いに越したことはないと思うが、現実は逆行している。いかがだろうか。

お金を掛けられなくても、学力は培える。

 私の個人談のため、サンプル数1の域を出ないが、経済的に恵まれない境遇から先述した通り、これまでの人生で学習塾とは無縁の環境で過ごした。

 そのうえ、教育ローンを組んでまで大学へ行くことの抵抗感と、自身の平均的な学力から、高年収リーマンへの道は無謀と判断し、高校受験の時点で手に職をつける観点で工業高校を選び、卒業後は待遇がかなり微妙だが、世間体はそれなりの電鉄会社に、現業職とはいえ正規雇用で採用されるまでは漕ぎ着けられた。

 因みに大学は自分が働いて得た賃金から学費を工面し、学び直す形で入学。費用面で無理なく学べる通信制を選び、既に短期大学士を取得し、学士も通学部と同じ年数で取得できそうな状況である。

 数理上の平均余命から、これから半世紀以上生きるつもりでいるが、今後の人生において学士を取得したことで、どのようなリターンが得られるのか、現時点では不明だからこそコストは抑えるべきで、学費は4年トータルで100万円にも満たず、一般的な国公立大学よりも安い。

 因みに別の大学で学び直している友人は、諸事情から在籍延長する羽目になり、私よりも自己投資に多額のコストを掛けていて、傍から見たらどちらがブルジョワか分からない。

 同じ学士取得が目的でも、コストを掛けた分だけ、投資資金を回収するハードルは高くなる訳で、自分に多額のコストを掛けても仕方がない的な、ある種の自己肯定感の低さが、結果として青い鳥症候群に陥らずに済んでいるのは、気持ちとしては複雑でもある。

 結果論ではあるが、学資保険の出番がなかった程度に、教育費が安上がりだった私だが、それでも偏差値50を超える上位半数の学力は有していて、大学での学び直しでも、それなりに良いGPAが取れている。

 その意味で、いくらコストを掛けて教育環境を整えたところで、子どもに学ぶ意欲がなければそれまでだし、地頭さえ良ければ、ある程度は環境の不遇さもカバーできるのは、○-□眼鏡でお馴染みの成田悠輔さんや、弟の修造さんの境遇と学歴からも伺える。

教育はやり直しがきかない価値観が問題。

 それにも関わらず、子どもの将来の選択肢を奪いたくないからと、教育に多くのリソースを費やしてしまうのは、「マネーの学び」の番組内で、学習塾運営者が語っていた、「教育はやり直しがきかない」価値観だろう。

 私には、高校を出た直後に行く大学のネームバリューによって、サラリーマンとしての生涯賃金の天井が決まる新卒一括採用の不文律である、「やり直しがきかない」価値観を逆手に取り、教育費用は高額でも許される風潮を形成したいポジショントークにしか思えなかった。

 政府がリスキリングやら何やら言い出す前の、コロナ禍を機に自発的に大学で学び直している身としては、「非大卒が今さら大卒資格で再挑戦しようとしても無駄」と暗に示されている気分である。

 再挑戦ができない日本の新卒一括採用。年功序列、終身雇用が前提のメンバーシップ型雇用が前提のキャリアシステム。それに付随する形で、教育はやり直せない価値観が形成されているのが問題の根幹だろう。

 この状況を打破するためには、たとえ高卒でも、一度社会に出てから自発的に学び直した人の方が、高校を卒業した直後に有名大学に進学した人よりも、社会的な成功を収めていると認知される規模で、かつ再現性のある明らかな成功の形、モデルケースの存在が必要だ。

 私も高卒で一度社会に出て、学び直している当事者として、誰もがいつでもやり直せる社会に前進するために、何をすべきか自問自答しながら、先人が敷いたレールの上ではなく、獣道を進んでいる最中である。


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