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禅への違和感と、消えゆく日本人らしさ。


三種の神器をあえて持たないヒト。

 学校で習ったであろう、電化製品の三種の神器を覚えているだろうか。テレビ、洗濯機、冷蔵庫だ。どちらかと言うと、三種の神器の10年後、昭和40年代の3C(カラーテレビ、クーラー、自動車)の方が記憶に残っているかも知れない。

 昭和30年代の日本の暮らしは、「となりのトトロ」そのもので、戦後の復興期であり、多くの人々が生活の基盤を築いていく時代でもある。しかし、現代では失われてしまった光景でもある。

 引越しシーンで茶色くて四角い、大きな物体を運ぶカットがあるが、この物体がラジオであることを、現代っ子が認識できない程度に、この時代の暮らしは食生活や住まい、教育面で多岐にわたる違いがあり、更には社会情勢や文化面の変化も大きく影響していた。

 野菜を冷やすのも川の水であり、そこに冷蔵庫はない。洗濯も手洗いだ。そんな昭和30年代の時代背景や、当時の人々の生活を具体的に描き出している作品とも言え、今では日本の歴史の1ページを表現している、貴重な情報源である。

 陳腐な表現をすれば、古い人が懐かしいと思う暮らしが垣間見え、若い世代は、都市化や個人主義がもたらす社会の変化。その対比を考えさせられる作品に仕上がっている意味で、ジブリ作品がこれまで陳腐化しなかった真理は、ここに詰まっているような気がしてならない。

 そんな文明社会となった今、大量生産大量消費のアンチテーゼの象徴とも言えるミニマリストは、あえて電化製品の三種の神器を持たない暮らしを選んでおり、先祖返りしている節がある。私も例外ではない。

最小限主義が胡散臭く感じる正体。

 しかし、持たない暮らしは一見、大量消費社会のアンチテーゼと捉えられるが、大量生産大量消費によって、必要なものがいつでも手に入ることから、「持たない」ことを選択できている。

 その意味で、大量消費をこき下ろしながら、最も大量消費社会の恩恵を受けている矛盾を抱えている脆さを内包している。哲学で言うところの脱構築がそれに当たる。

 私はいわゆる職業ミニマリストとは異なるため、所有や管理を誰かに押し付けている不都合な事実を、厳正に受け止めた上で自身は持たない暮らしによる、身軽さを享受していることを自覚している。

 昭和30年代の物質的に豊かになる前の日本社会や、新興国で生活する人たちの足るを知ると、先進国のそれとは根本的に置かれている状況が異なる。だから、そこに意識が高いもクソもなく、マキシマムな承認欲求の域を出ない。誤解を恐れず記せば、ホームレスの方がよっぽどミニマルに暮らしている。

 定住を断捨離できない以上、戦後に米国の属国として無意識的に根付いている、資本主義社会の大量生産大量消費を是とする生活様式の呪縛から逃れられず、最小限主義もまた、米国の芸術分野で発端となったムーブメントの真似事に過ぎない。

 あくまでも貨幣経済の枠組みの中で、身軽さを演じているだけであり、そこから禅の境地に辿り着けることはまずない。ミニマリズムとか、禅の精神とか言ってる奴がどこか胡散臭く感じる正体は、そこにあると個人的には考えている。

世代交代で違和感すら失われる?

 懐古主義者になるつもりはないが、団塊世代以降、徴兵や敗戦レベルの、個人の事情などお構いなしに訪れる理不尽な社会変化とは無縁な環境で過ごし、生活インフラも整っていて、お金さえ出せば不自由なくモノが買える時代しか経験していない。

 経済的に豊かで経済大国な日本社会など、アメリカ主導で築かれた、戦後復興社会の延長線上でしかなく、そこで根付いた先入観が、元来日本人が持ち合わせている、伝統やアイデンティティの喪失に繋がっている気がしてならない。

 グローバル社会となったことで、世界中どこでも同じモノが変えたり、サービスが受けられる均一化は便利で善、ガラパゴスは不便で悪と捉えられ、地域に根付く文化すらコモディティ化の道を辿っている。

 岡本太郎さんが芸術分野で、日本人らしさの根源を縄文土器に見出したように、ステレオタイプを排除した日本人像は、権力を嫌い、血縁を意識することがなく、自分らしい生き方を求める、我々の想像の対極に位置する国民性だと論じられている。

 権威主義、家庭内で支えることが前提のセーフティネット、横並び意識。これら全てが西洋社会から取り入れられたものだと説明されたところで、違和感しかないだろう。

 しかし、明治時代には学校で金融教育が盛り込まれており、算術書の教科書には複利計算に留まらず株式、公債、保険、為替などの、今で言うFPの知識をおおよそ網羅していて、企業経営でもM&Aが盛んに行われていたことからも、合理的な側面が色濃かったことが窺える。

 トトロの世界観を単なるファンタジーではなく、今は失われたかつての日本社会の風景を表現していると思える日本人すら、戦後の日本社会が当たり前で育った世代だけに置き換わることで、居なくなっていくのだろう。

 それが世代交代なのは百も承知しているが、そうして無意識的に自国の文化が失われると、他国から文化を輸入する形となるため、長期的には国力の低下に拍車をかけるのではないかと思う。

 日本人らしさとは何か。そんなことを、日常で何気なく考えながら、文化を後世に残し、伝えていくことが、我々パンピーにできる社会貢献の一種なのかも知れない。


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