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教員になったら、借金チャラになる?


人参をぶら下げればそれで良いのか?

 文部科学省が来年度予算の概算要求で、奨学金という名の借金、すなわち教育ローンを借りて教員になった場合、返済を免除したり、軽減策を盛り込むことで、成り手不足を解消する方針であることがニュースとなった。

 2004年までの日本育英会時代にあった制度を、日本学生支援機構で復活させるだけの話だが、教員不足への対応策としては、あまりにも露骨過ぎて個人的にはそれで良いのかと感じてしまう。

 恐らくはバス会社の大型二種免許を会社負担で取らせる制度と似たような構図になり、奨学金を免除する代わりに、採用から10年などと一定期間内に辞めると、ペナルティで金返せと退職時に請求される、実にしみったれた仕組みで囲い込むような気がしてならない。

 これは一度制度を廃止した手前、これまでの20年間に教育ローンを組んで大学を出て教員になり、地道に返済してきた人たちや、現在返済中の人たちとの整合性が取れないためである。

 こうした制約がないと極端な話、人生の夏休みと揶揄されるキャンパスライフで、教育ローンを上限まで借り入れても、一旦教員になって、返済がチャラになったら転職…なんて形で利用されかねない。そんな損得勘定で動くような人種が、教育者として子どもに物事を教えるのは、保護者側の立場で考えたら抵抗感があるだろう。

 まだ概要が出ていない時点で推察の域は出ないが、ロンダリングされる懸念材料を払拭する必要性を鑑みると、奨学金の免除や軽減措置は大学を出てから長期間、若手を教員に縛り付けるためのシステムとして利用される未来を想像している。

学歴社会が全ての元凶。

 奨学金は貰える給付型と、借りる貸与型。後者には無利子の一種と、有利子の二種がある。大別される3パターンの中で、給付型と貸与型の一種は条件が厳しく、優秀な学業成績が必要で、貸与型の二種は正直なところ、進学すれば誰でも借りられる。

 そもそもの理念としては、経済的に恵まれない学生でも、相当の学力を有するなら、経済面を理由に進学を諦めることのないよう、学費相当額を免除する、給付型の制度として設立されている筈である。しかし、現在では奨学金=教育ローンとなっており、そもそも借金をしてまで大卒にならなければ食えない社会の方がおかしい。

 バブル崩壊後に日本経済に陰りが見えたにも関わらず、年功序列、終身雇用のシステムを維持したものだから、企業は働かないおじさんを簡単にレイオフ出来ず、そうなると新卒採用を絞り、定年による自然減で人件費を抑制する他ない。

 その影響をモロに受けたのが団塊ジュニア世代、つまり就職氷河期世代で、企業が採用に慎重になってしまった以上、少しでも高学歴な学生を採りたいと思うようになり、本来であれば研究期間であるはずの大学が、職業訓練校と化した。その典型がFランク大学と揶揄される無名の大学だろう。

 当たり前だが大学は頭の良い人が行くべき所で、最低でも国民の上位半数である、偏差値50以上の人しか行けない場所であるべきだろう。しかし現実では大学進学率は50%台後半に突入。

 私のように学力偏差値50以上でも、経済面や給付型奨学金を貰えるだけの学力ではないことから無理して進学せず、高卒で社会に出ている者も一定数居ることから、反対に偏差値50未満で高い学費を支払い、大卒資格を取った人も相当数居るだろう。

 こうして地頭は良いにも関わらず、非大卒故に社会から必要とされず無下に扱われる、ある種の学歴によって分断された社会が、現在の大卒至上主義社会と言える。

 教員の奨学金をチャラにするのではなく、非大卒でも食える社会を創らなければ、経済力さえあれば大卒資格が手に入り、地頭が良くても大学に行く経済力のない人間は馬鹿を見て、地頭が良いが故に狡猾な無敵の人事件が頻発するような社会となってしまう。と言うよりも既になっている。

学歴と奨学金に囚われない人生設計。

 コストの問題なのは理解しているが、これまでのような採用条件を大卒以上で、更に大東亜以下は除外するような、画一的に学歴や出身校でフィルタリングするのではなく、能力や適正に応じてマッチングしていく採用システムが重要と言える。

 この辺りはAIとマッチングアルゴリズムの組み合わせで、マンパワーに頼らなくてもそれなりに省力化出来そうな時代となりつつある。

 もうひとつ付け加えると、トヨタと経団連が事実上の終身雇用ギブアップ宣言をしたのだから、若い世代ほど終身雇用を信じておらず、それが若手の早期のキャリア形成願望に繋がっている。

 終身雇用が反故にされるリスクがあるなら、能力に応じた賃金を支払う、ジョブ型雇用を国策で採用してもらった方が、若手が薄給でこき使われ、働かないおじさんの高給まで稼がなければならない様な、不公平感は無くなるだろう。

 とはいえ、そもそも論で借金をしてまで大学を出て、大企業の正社員や官僚、公務員になれる人生が果たして幸せなのかは疑問である。

 社会に出たことがない奴が記しても何の説得力も持たないが、私は高卒で社会に出てからドロップアウトしているため、レール上の人生と、レールから外れた人生の双方を経験している。その立場から記すと、レール上の人生だと30代辺りから、覇気がなくなって辛そうに振る舞っている人の割合が多いように感じる。

 レール上の人生の方が、世間体は良いかも知れないが、そのメリットよりも受けるプレッシャーやストレス、重圧の方が大きい気がしてならない。

 私は金融資産所得で食べていく、レール上の人生から離れた労働集約型ではない道を模索しているため、将来の見通しはまるで立たないものの、サラリーマンのような、10年後の自分像、20年後、30年後、40年後…と先輩、上司を見て見通しが立ったところで、希望が持てない未来像よりは、不確実な方がマシなように思える。

 そんなことを考えると、巷で言うところのLean FIREではないが、生活コストを最低限度まで引き締めて、週2〜3のゆるい労働で過ごすとか、リタイアの中では比較的少額な、2,000〜3,000万円程度の金融資産を、高卒で社会に出て10年位かけて形成して、後は元本が目減りしない程度に、のらりくらりと過ごす人生の方が、価値観にもよるがレール上の人生よりも案外、幸せなのかも知れない。


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