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バースデー

 Birthday to me.

 ハッピーでもバッドでもないのでただのバースデー。別のアカウントとかでおめでとうと言ってくれた皆さん、ありがとう。別にいらないかもしれないけれど愛している。こういった方々や今これを読んでくれているあなた方がいるおかげで、散々だった今日分のハッピーは確保された。嫌なことだけの今日ではなくなった。嬉しいこともあるんだもん、まだ負けじゃないね。

 今日で28になってしまったようだ、年齢がね。これは非常にまずいことだ。28の数字に特別な意味合いはないが焦る、大いに焦る。一応世間的には成人となる20歳から何も成長していない。進歩していない。そもそも何かに打ち込む・何かに夢中になる・何かを愛するといった熱も持たぬまま、34℃のくらいのぬるさでしれ〜っと肉体だけ大人になってしまったせいで、精神的には未熟なままだ。人生まだ何も始まっていない気分。苗は大地に植えられぬまま黒いポットの中で枯れる段階に入りはじめた。

 ただ、8年前とか10年前、すなわちもっと若い頃に燃えたところで、うまくいったかどうかなんてわからない。何をもって成功するのかは人によりけりだが、せめて負けておけばよかったと思う。ハッキリと失敗しておけばよかった。

 「人生、見逃し三振だけはするなよ」というのは、元々は誰の言葉なのかは知らないが、子供に向けて親戚や近所のおっさんがよく使うね。当時のそんな説法を聞いても私は何とも思っていなかったが、今日はあのクソつまんねーおっさんたちの気持ちがよく分かる。

 昔は感覚的に理解していなかったが、あのおっさんたちはあの状態で、あのおっさんとして生まれたわけではない。彼らは小説やアニメ、スカッとジャパンの再現映像のモブキャラではない。あのおっさんたちは、主人公に論破されるために神に創り出されたのではなく、両親から生まれ何者かになろうとして青春を走ってきた青年たちの成れの果てだ。中学生ぐらいの子から見たら、ネットの辺境で文化人やライターぶってる私も説教モブおじさんと何ら変わりがない。せめてまだギリお兄さんでありたいなぁ、、、あーでも厳しいか。子供の時、高校生ですらおじさんに見えたもん。今はその高校生+10歳だもんなあ(嘆く)

 昨日母親から聞いたが、彼女は今の私と同じ年齢、すなわち28の時に私を産んだようだ。結婚はその前の年っぽいね。当時の世間的には別に早くないだろうが、私にとっては早すぎるよ、、、なんだそのライフサイクル!!これぐらいの歳になってくると「結婚していないの?」とか「彼女いないの?」とか「別れてからどれぐらい?(付き合ってもないのにね)」とか周りの人間から聞かれるが、ないものは無い。そこの棚になければない。ダイソーと同じだよ。

 「友達の中から好きになっちゃった子とかいないの?」「、、、じゃあ職場は?」とか聞かれるが、なめんなよ。友達どころか知り合いもいないし、職場の同僚はおじさんが3人いるだけだ(50代、40代、30代ひとりづつ、最後はギリお兄さんか)。それ以外の人物とのコミニケーションはSNSを除いて一切ない、ここ数年は。仕事関係で電話がバカスカかかってくる関係上、会話という行為自体は毎日なんどもしているが、自分の気持ちや相手の気持ちを話す事は無い。いつも業務上の会話はいくらでもできるが、こんなのは互いの本心には触れない、届かない。表皮を撫で合うだけの薄っぺらい交流だ。北京ダックじゃあるめえし。

 それゆえにこの先も、コレ関係の進展には期待ができない。なんなら、我々弱者オタク層の共通の妄想である「空から女の子が降ってきたら?」が実現したところで、シータの目を見てまともに話せる気がしない。 

 なぜまともに話せないかと言えば、そりゃあ自分に自信がないからだ。思春期の少年によくあるやつだね。自尊心とかセルフエフィカシーと言う奴だ。それが雑魚くて困っている。そういう悩みは素敵だよね、よくあるジュブナイルものだ。10年早ければな!!!!!

 セルフエフィカシー、日本語で自己効力感と呼ばれるそれは、この世界を生き抜くための最も大切な要素の1つだ。強い人は意識をしなくても強いし持っている。「何とかなるさ」と言って、本当に何とかしてしまえる。正確に言えばその「なんとか」の待つ方向へ迷わず向かうことができる。その時の自分の選択を正しいと信じきって飛び込むことを可能にする心の強さ。それこそが自信だと私は思っている。厳密な定義とは全然違うかもしんないけどね。

 その"自信"がどこから来るのかは、まぁ元から持って生まれた性質と言うのもあるかもしれないが、反復練習により培う要素も多いと思っている。筋力や学力とそう変わらない。

 これがしたい・これが欲しい・これになりたい・これを食べたい

 こういった自分の望みを宣言して実現させること。この一連の繰り返しにより自信は身に付けられていくものだ。自分の選択が世界に意味を成していることの実感だ。私の/僕の意思にはちゃんと効力がある、この事実の確認作業がその人の芯を補強していく。甘やかされて育った者の方が強かったりするのはこういう仕組みだろう。自我を表現することは無駄じゃない、意味があるということをいかに体感できたかどうかだ。

 それが不足すると、自分の意思を伝えることができなくなる。厳密にはできなくなるというか諦める。最初から勝率が薄いのなら、初めからやらない方が効率が良いからだ。ただこれは、臆病なのではなく無知の一種なのだ。

 要求が通らない・思いが伝わらないことを前提に生きようとしてしまう。案外望みは叶なっちゃうこと・かなえる方法を探すというカードを知らずに大人になってしまう。アレがやりたい、コレがやりたいというわがままが許される時期を素通りしたままぼんやりと年齢を重ね、希望を持つ若者の手伝いをする側へ自動的にまわってしまう。

 この状態は非常にまずい。理想の目的地へ通してもらった経験のないまま門番になってしまった大人ほど厄介な存在はいない。

 だって通すわけないもん。「俺は我慢したのにお前らが要求を貫けるのは不公平だろう」なんて思ってしまう。そんな大人、先を急ぐ若者たちにとっては邪魔でしかない。しかし通せんぼする側だって必死だ。こいつらが満たされたら我慢した自分がバカみたいじゃないか。

 一方で通せんぼする側は答えられない。本当に、心から「ここを通してくれ」と誰かに頼んだ事があるのか?本当に駄目だった人ももちろんいるが、頼まずにどうせダメだからと不戦敗を重ねている奴もクソほどいるはずだ。現在進行形で私はそのクソになりかかっている。最近、年下の成功者とかを見るとイライラしはじめている。悪い兆候だ、非常にまずい。最悪な奴になりかけている。彼らを心から祝福できるようになりたい。ならなくては。

 かなり不遇な生い立ちだったような大袈裟な書き方をしてしまったが、実際の私は結構恵まれている。幼少期にお金に困ったこともないし、いまだに家族仲も良好だ。世間的にも健全な生まれ育ちだと思っている。そりゃあね、本当に生きることだけに必死な人はそりゃこんなの書かないよ、そんな余裕あるわけないもん。今こんなクソみたいな文章をかけているのも、生活自体には困っていないからだ。

 まあでも、客観的に満たされてるからといって、幸せかと言うとまた別だ。私には悔しさのようなものがある、飛び立つに十分なリソースとチャンスを与えられておきながら、たいしてそれらを生かせなかった自分に腹が立つのだ。何者かになりたいという欲求。

 ここも致命的。何者って誰だよ?

 客観的には自立した社会人という立場になっている今も、"何者かになれない自分"みたいな、J-Popの歌詞じみた感傷を手放せない。この感傷が癖になってしまっている。暇さえあれば自分で自分をチクチクやってる。このnoteだってそうだ、何がオレンジ色の光だよバーカバーカ!!アホマヌケ!!

 このしょーもない感傷を捨て切れないのは、まだ何者かになれるつもりでいるからだ。実際、なれるかもしれない。成人してから、極端な話、還暦を迎えてからも自分の望みを叶える人は世の中にたくさんいる。この先どうなるかわからない。

 でも望みを叶えた人々は間違いなく全員このショボいおしゃぶりは咥えていない。期待通りになれなかったことをまず受け止めた上で、壁を登り始めた者たちだから。そうに決まっている。彼らは崖の付け根をしっかりと認識して、そのあまりに低い登山口から逃げずに登り始めている。

 一方私はどうだ?まだ蓋を開けていないだけだよね?

 中二病患者御用達、思考実験の王道、シュレディンガーのアレと一緒だ。目を背けていれば、見なければ、何者かになっている自分といない自分は同時に存在している。どんなに負けに近くても結果が出なければ絶対に負けない。橋本真也ばりに滞空時間の長い垂直落下式DDTを自らに喰らわせているようなものだ。客観的に見ればほぼ敗北しているが、まだ負けを認めていない。しかし圧倒的な力で抱え上げられ、体をひっくり返されているので、頭に血が上る。思考が鈍りどんどん余裕がなくなっていく。ヒイイイイイ!!

 そういうことで私が前に進むためには、おしゃぶりを外して垂直落下式DDTを受けなければならないようだ。怖すぎる。

 しかし輝いている者たちは皆、これと換算できるような喪失感や痛みを味わってきたんだ。私よりも厳しい環境で育ち、三沢光晴のタイガードライバー91並の苦難をもろに受けながら努力してきた者たちがいる。そいつら別に勝てなくても良いが、せめて心から応援できるようになりたい。しっかり敗退できないと頑張れなんて言えない。

 などと、にこにこ楽しいお誕生会なのに辛気くさいことをダラダラ書いてしまったが、もちろん生きてて良い事だってある。それがここだ。あなたがここまで目を通してくれた、こんなに嬉しい事はなかなかないよね。月収数100万、情報商材販売実績多数のプロのライターが書いたメールマガジンですら読まずに捨てるあなたが、私のこんな文章をここまで読んでくれた。これを効力と言わずして何と言う?

世界の果てより遠くで持っている
互いを損ない、去っていく君へ
So happy birthday. I'm glad to see you.
今でも僕は生きているよ
『LOVE』作詞:渡會将士


 ……なんて良い感じに締めようとしたが、甘いね、実に甘い。甘いのはボーカルの渡會さんの歌声だけにしておこうぜ。私はこの曲が本当に大好きなんだ。思わず冒頭の歌詞を引用してしまったよ。

 さて、引用。それは知恵なき者に許された最強クラスの武器だ。

 私の言葉には何のパワーもないが、意思を伝えたい時、シラーの言葉を借りれば戦闘力は80000倍になる。偉人・知識人の言葉を経由すれば、私のような雑魚の言論に力がみなぎる。言葉のロンダリングのような裏技だ。うまく使うためにはやはり、知を蓄積していくこと。お勉強こそが大事なのだ。「蓄積して」ってセキチクシティと似てるよね♪なんて馬鹿なことを考えている場合じゃないのだ。

 読むとなるとやはり、古典が1番効率がいいと思う。別にひろゆきやダイゴでも良いと思うが、古典の方が勝率が高い。現代に残っている、読み継がれている書物は、時間の試練を乗り越えてきたものだからだ。

 浅い話、物事には当たり外れがある。例えば中古車、工業製品とは当たり前だか、同じ設計であっても全く同じものを作ることができない。原材料の質や製造時の環境、軽微な寸法誤差。品質をしっかり管理してるとは言え、全く同じものは存在しない。製品には許容誤差という概念も存在するしね。

 "当たり"のものは、年数を経ようが、何10万キロ走ろうかピンピンしている。ガタがなかなか来ない。日本で散々使い古された後に、海外でバリバリ現役で動いている車両は間違いなくそういう個体だ。一方、"ハズレ"は新車でもすぐ不調になったりする。別にハズレの方を手を抜いて製造したわけじゃない。人間が生み出すモノってそういうものだ。

 当たり外れを製造されたその場で見分ける方法はほぼ無い。そりゃそうだよね。どっちも厳しい品質検査は通ってきてるんだもん。専門プロでわかんなかったら我々にわかるはずがない。超感覚とかで見分けられるかもしれないが、それはもう"気"とかそういう話になってしまう。

 しかし、新品を求めなくて良いのなら見分けるのなんて超簡単実際に時間が経てばいいだけなのだ。まだ動いてるやつが当たりなんだ。

 だから今、本屋に平積みされていたり、電車やネットでめっちゃ広告が打たれている書籍たちの中にも、すばらしいモノや価値あるものはたくさんあるはずだ。ただ判別する時間が私にはない。厳密にはあったけど使わなかった、無駄にしてしまった。だから効率よく、特濃の原液を飲み干して行きたいものだ。

勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
『正義と微笑』太宰治


 ……

 なんて振る舞いをしていると絶対嫌われる。客観的に考えてクソむかつくもん、そういうヤツ。想像してみてくれ、いちいち何かを主張するたびに😌「子曰しいわく……」なんて始められたらたまったもんじゃねえ、何がしいはくだ、血ィ吐かせんぞゴルァ!!

 こんなの「出羽守の時間バージョン」じゃねーか。従来の出羽守は、遠い国(欧米)みたいな先進的な別の空間を自慢するが、今回のパターンは過去、遠い時間の名言でイキる。

 クソウゼーーーーーー!!!

 どうすればイラッとされないのか。それは我ら陰キャラの永遠の課題だ。どうすりゃいいんだろうねほんと、愛嬌と無礼の差って何?声なのか?顔なのか?表情なのか?何がウザくて何がウザくないんだ?

 ただ言えるのは、どうかな?嫌われてないかな?なんて相手の出方を恐る恐る伺う態度はクソうざいと言うこと。

 この世の中、いうほど嫌な奴ばっかじゃないはずだ、実際のところは。だって人を嫌うのってめっちゃ疲れるじゃん。よっぽどのことがない限り、初対面で嫌がられることなんて滅多にないと思う。それなのにわざわざ下手に出るのは、地雷なんか埋まってないのに自ら爆発物を携帯して飛び込むのに等しい。クソムカつくハズだ。

 私はそうされたことがないのでわからないけどね。覇気がないので、近所の知らないガキからですら敬語を使われないアタイ。

 ちゃんちゃん。

 ……

 ダラダラいろいろ書いてきたけど、着地点を見失っている。完全に。

 いい感じに締められるところが何箇所かあったのに、何かイラっときたので続行してしまった。普段あれだけ飲み会の2次会と3次会を憎んでいるのに、自らやってしまったのだ。

 「まだ飲み足りないよね?」「締めのラーメンいっとく?」なんて拷問に近いキラーパスを自分自身に投げてしまった。この場には自分しかいないわけだから「明日も早いですし、この辺にしませんか?」なんて建設的な提案で諫める人間がいない。「おー😀良いっすねー」とよいしょすることしかできなかった。

 棚橋弘至や真壁刀義が道場入門者への理不尽なしごき文化を無くし、不幸の連鎖を止めたように、私も受け継ぐべきでない伝統は勇気を持って断つべきだと思っている。

 重要なのは勇気だ。「この伝統は合理的じゃないし、いずれ自然に淘汰されるだろう」なんて静観していたらいつまでたっても終わらないその自然とやらの中に、誰かが勇気を奮い立たせることも含まれているからだ。私はこの勇者、波に逆らう存在でありたい。現実では「おー良いですねー」とか「まだ開いてる店探してきますよ」とか言っちゃうんだけどね。

 もうさー、遅いんだしいい加減お開きにしようぜ。

……

「まぁそれもそうだな、でも最後にみんなあれ食いたくねーか?」

「細くてツルツルしてさぁ、しょっぱくてうまいやつ!!」

「お、良いっすねーー!!」
(誰が行くかボケ!!)

「〇〇(本名)、この辺でウマい店知ってるか?」

「そうですねえ、僕の好きな店はあそこですがやってるかどうかわからないので調べてみますよ。」
(頼む!閉まっててくれ!!!)

(電話の声)「今から5名ですね、どうぞ〜😄」

 ちーん😇

 ……

 ガラガラガラ。安っぽいショートコントでも始まるかのような、ありきたりな音を立てて開く戸。げんなりした心に反して活気付く店内。

「予約した〇〇です。」

 一体なんのために予約をしたのか。理解不能。後ろに続く人々の顔をみても、とてもじゃないがラーメンが食べたそうな表情をしていない。発言者までもがだ。

 おそらく先ほどの茶番の初球を投げた者もラーメンが食べたくて発言したわけじゃない。「締めのラーメンに行きたいけど言い出せない人がいるかも知れない」から気遣いとして発言しただけだ。ノリノリで提案したがいざ店の前に立つと辛そうな顔をしているのがその証拠だ。決して悪い人間ではない、むしろこれは優しさだ。

 そしてその茶番に乗った私もラーメンは食いたくない。何も食べないか白湯で良い。水だけが欲しい。しかしせっかくの提案を無碍にできないからつい乗ってしまう。

 気遣いに対しての気遣い。お節介が二重に作用することで、我々の意志は捻転し全員が不幸へ向かう。

 そもそもどうして皆が着いてくるのか。行きたい人だけ来れば良いじゃん。

 我らの部署は上への忠誠心が高いことで知られる。よく言えば付き合いが良い、悪く言えば自分の意志が無い。ピクミンでもドラクエでも、比喩はなんでも良いがとにかくリーダーの後に着いてくる。行く時も帰る時も、食べる時も休む時も連れション感覚だ。もちろんトイレもね。

 上がゴルフを始めればゴルフをするし、山登りを始めればそれに倣う。それがプライベート、自分のやりたい事らしい。果たして本心なのか。

 こういう人は自分の気持ちの偽装がうまい。上の意志が自分意志であるかのように自らの精神を鋳造する。もともとの感情はどこへ行ってしまったのか、このまま私も今の気持ちを鋳潰して生き抜いてゆくのだろうか。

 とはいえ彼らにだってもちろん感情はある。家族や自分の生活のため、出世のために割り切って自死させているだけだろう。成長のために肉体の不要な部分を切り離す。オタマジャクシのしっぽと同じ、魂のアポトーシス。人生のどの時点で割り切り始めたのか。このレールの分岐器はどこにある?

 で、メニューだ。見事に食べたいものがない。とりあえず一番軽そうなラーメンを頼む。つもりだったが「みんなで分けるため」のチャーハンと餃子が足される。お店の人が気を利かせて大盛りを無料にしてくれる。「じゃあ、、、大盛り行っちゃう〜??」の声。「良いっすね〜〜🤗」何がいいのか。

 運ばれてくる。ビールが。

 さて、席についたことだし、まずはビールから始めるか、乾杯。

 "まず"の語義を見失う。

 なにが"まず"なのか、なにが始まったのか、さっき終わったじゃん。2回も。居酒屋でも始まったし、スナックでも始まったじゃん。最初の一杯目は生中、その後は瓶ビールで、そして頃合いをみて日本酒や焼酎へ。3度目のループ。円環の切れ目はどこにある。

 ってキリがないなあ、また飲み会の愚痴になってしまった。ついこの前の記事でも書いたじゃん。ああめんどくせえ。

 でも、良いことだってあったんだよ。

 ……と続けるのには無理があるな。この流れも3ループ目だもん、同じ記事で。


 長引いたわりに、もやっと終わる。

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