複雑なのは「私」だけ
コロナ禍と謳われるようになってから早1年が過ぎた。
この1年以上で本当にいろいろなことが変わったと思う。
「当たり前のことが当たり前じゃなくなった」
いろんな人が言っているし、私もそう思う。
多くの「変化」があったのではないか。
「人間関係の変化」と「自分自身の変化」
もともと感情の整理に時間がかかる私にとって、この二つが本当に難しくなったことは言うまでもない。
大好きな人たちがいた。友達なんてちっぽけな定義付けをしたくないって思うくらいには仲が良かった。毎日のようにオンラインで会話して、電話して、いろんな話をする仲。
幸いにも、コロナ禍当初は、それほど苦痛に思っていなかったし、むしろいろんな人と仲良くなることのできる機会が多かった。上手にオンラインを利用して、普段なかなか話さないような人たちと気軽に話せるようになった。
いつからだろうか。この心地良い関係性が一転してしまったのは。
対面で人と会わないことの弊害は、直接的に何かを引き起こした、というよりは、オンラインの、日頃のすれ違いの積み重ねによって引き起こされたものなのだろう。
「あなたのことをこれ以上嫌いになりたくなかった」
大好きだった人に言われた言葉。
深く傷ついた。
とても考えた。
今でもその言葉は忘れない。あの時の気持ちも、考えも、二度と忘れない。
「知らないうちに誰かを傷つけていた」
その事実を目の当たりにしたときに、私は今までの全ての自分の行動や言葉、表情、雰囲気などを分析した。
自分の、周りの言葉に、態度に、全てに過敏になった。
そしたら今までは気付いていなかったところで、いろんなことが起こっていて、自分も傷つくことになった。
知らないうちにたくさん傷つけて、たくさん傷ついていた。
大好きだった人たちが、一度に、一気に、自分の中から消え去った。
1ヶ月は誰とも連絡を取らなくなっていた。
幸いにも、全てはオンラインで行われるため、自然とひとりの時間が長くなって、誰かに会う必要も、誰かと必要以上に話す必要もなかった。
もうこれ以上誰も傷つけたくなかったし、自分自身も傷つきたくなかった。
毎日が同じことのくりかえし。
変化は望んでいない。
ただ、同じ時間に朝起きて、ご飯を食べて、用意をして、パソコンをつけて、作業をして、いつの間にか夜になっている。
そんなことのくりかえし。
死にたいとは思わないが、生きたいとも思わない。
この瞬間、もしも強盗が家に入ってきて、私にナイフを突き刺したとしても、きっと何も思わないだろう。このまま死んでもいいやってなって、救急車を呼ばないかもしれない。
そうも思った。
煌びやかなSNSに嫌気がさして、シャットアウト。
周りとの関わりも全てシャットアウト。
そんなことをしているうちに、身体に異常が出てき始めた。
1時間に1回はお腹が痛くなって、トイレに籠る。呼吸器が急に痛くなる。
本能的な危機を感じた私は、無理にでも1日1回は外に出るようにした。一部の人となんでもない会話をするように心がけた。
それでも自分を含めた「人間」を受け入れられなくなっていた。
きっと変化に対するストレスが一番大きかったのだと思う。
これに対するたくさんの分析を自分なりにやった。
一番の原因が人に対する「信仰」や「期待」ってやつなのかもしれない、とか。利己的な自分を美化しようと足掻いている自分がキモい、って思ったりもした。
失った何かを取り戻すために、色々とやったのに、変わらない。
同じ日々のくりかえし。
もう限界が近かったと思う。
「単純な脳、複雑な「私」」
この本との出会いは奇跡だったと思う。
たまたま寄ったドラッグストアに、本のコーナーがあった。
本屋に本があるのはわかるが、どうしてドラッグストアに本が置いてあるのか。
そんな興味から、ふと棚を見ていると、惹かれるタイトルの本がそこにはあった。
単純な脳、複雑な「私」
まるで自分のことを言われているみたいだった。
きっかけはそれだけ。
買った。
読んだ。
涙が溢れた。
自分を含めた「人間」を受け入れられた気がした。
自分の中には無意識と意識がある。
無意識はわかりやすいもので言ったら、例えば、心臓を動かしたり、歩いたり。筋肉や神経を意識して使っているのではなく、全て無意識のうちに、勝手にやっといてくれる。それは行動のみならず、自分の感情であったり、全てのことにおいて無意識というものが存在する。
意識と無意識で言ったら、圧倒的に、比べものにならないくらい「無意識の私」の方が多い。
感情のコントロールも自分の脳の神経回路がもうすでに出来上がっていて、その事象に対して、無意識のうちに判断を下している。
しょうがない。
こんな自分がいてもしょうがない。
こういう人がいてもしょうがない。
全部が全部、意識してやっているわけではなくて、むしろ、今までの経験とか、その人自身の性格、環境とかによって形作られた「無意識」が多くのことをやってしまっている。
嫌いな自分も好きな自分も。
傷ついた言葉も、傷つけた言葉も。
全部は意識だけの問題じゃなく、無意識もあって導いたもの。
そっか。
自分でも驚くくらいすんなりといろんな言葉が自分の中に入っていった。
単純なのかもしれない。
ううん、今までの私が複雑すぎただけ。
脳の無意識に魅了されるのには、時間は掛からなかった。
暗闇のどん底の中で、私はやりたいことを見つけた。
心が軽くなった。
自分を受け入れられた気がした。
人を受け入れられた気がした。
脳はずっと単純なのに、私だけがずっと複雑だった。
その日を境に、いろんな人ともう一度関わるようになった。
人は思っているよりも、悪いものではないのかもしれない。
みんな、無意識と意識の間で、不器用に生きている。
そう思えば、何事も深く複雑に考えることはなくなっていった。
生きたい。もっといろんな世界を見てみたい。
脳科学の研究に貢献したい。
脳科学は私の心を軽くしてくれた。
あの日から、私は脳科学の研究を行うべく、初心から研究と向き合っている。
コロナ禍がなければ、きっとこんなにも大きな悩みを抱えることもなかっただろうし、この本にも出会えていなかっただろう。
自分の目指すべき道を教えてくれた、この本を片手に今日も科学に時間を捧げる。
単純な脳、複雑な「私」
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