見出し画像

新社会人になって思い出す広島の海と旅の思い出

都会に生きて行くことになんの疑いもなかったはずなのに、
社会人になってからあの日の海が恋しくて仕方ない。

 地下鉄の景色もない、人の背中が並んでいるだけの場所。それに乗って毎日、目先の絶望と少し先の希望にくらくらしながら、憂鬱な職場に向かっている。僕は社会人になった。就職活動をしてる間、あんなに望んでいた「社会人」という肩書きが、今はずっと重くのしかかっている。電車が止まって、またぞろぞろ人が乗り込んでくる。灰色の箱には、人のぬるい空気と整髪料の匂いが立ち込めていた。そんな中、僕の中にはさざ波が流れている。フェリーの汽笛が聞こえている。22年間生きていて、このまま都会で生きていくことに疑いなんてなかったはずなのに、この地下鉄に毎日乗ることになってから、僕の体にはずっとあの日の海が流れている。

ひとつめ。

 はじめてあの海に行ったのは、大学3年の夏だった。新幹線で尾道駅を降りた先。すぐそこに広がる海と、自然を象徴するような島の数々に圧倒される。その瞬間、私の身体の輪郭は潮風に攫われた。海と島と町に私が埋まるようだった。観光客として尾道に降り立った私が、ここの一部になったような感覚は他の観光地とは少し違うように感じた。住んでいるように観光をしている。日常のように非日常がある。お店もそのような店が多かったように思う。深夜にだけ空いている本屋さん、商店街のなじみのような安心感のあるプリンやさん。観光客も多いが、地元の人たちからも長く愛されているようなお店たち。ここに住めたらいいなって何度も思った。家族と来ていたこともあり、僕のことを傍から見た人は「観光地にいる観光客」にしか見えていなかっただろう。けれども、たった1日そこにいただけの僕には明確にそこに住んでいるような感覚があった。そこで生きていけるような気がした。

ふたつめ。

 思い出していた海の中には、宮島の海もある。これははじめて尾道に行った一年後、大学4年生の時に訪れた。宮島までは、広島駅から電車で乗り継いで行く。人の向かう先についていき、宮島行のフェリー乗り場に向かうと、その先に小さく宮島が見える。フェリーに乗るために多くの人が乗り場に押し寄せていて、観光地って感じだなと思った。正直、そこまでは人の多さに疲れていた部分がある。フェリーに乗り込んでも、座席に座ろうとする人、人、人。僕は少し離れた海側の柵によりかかりながら、視界に人間を入れないようにぼうっと外を眺める。フェリーが宮島に向けて動き出す。すると、島が動き出した。島がこちらに動き出した、気がした。と同時に、潮風が強く私の輪郭を揺らした。宮島の行進が、地響きが、強い風を産み出しているようだった。フェリーの柵を強く握りしめていないと、自分の輪郭が削られて巨大な島の一部になってしまう、と思った。私も宮島の一部に。 フェリーを降り立った宮島は、行進して動いていたとは思えないほど平穏そのもので、広く、フェリー乗り場がとても遠く思えた。鹿が日陰で観光客と並んで休憩するほど、青空の広い快晴の日だった。個人的には、奈良の鹿の方がなじみがあるのだが、宮島の鹿の方が温和なイメージがある。どの鹿も日陰で休憩中だった(暑かっただけかもしれないけれど)。 宮島で驚いたのは、観光地を少し外れれば住宅が密集していることだ。古き良き街並みがそのまま残っていて、実際に人が生活している。もっと、宮島全体が観光地としてそこにあるものだと思っていたのだ。その時は「意外だな」ぐらいにしか思っていなかったのだが、今となっては「もし、あそこに住めたなら……。」という妄想のタネになっている。

 同じ旅行で尾道にも行った。はじめて行った時からずっと忘れられず、旅程に無理やり組み込んだ。広島駅から尾道駅は意外と遠い。電車で一時間ちょっとかかるのだ。けれど僕は、向かっている道中の広島という土地の知らない一面をつまみ食いしている感覚がとても楽しかった。新幹線で向かっていたら、早すぎて見逃してしまうような一面たちだ。訪れたその日は平日で、はじめて尾道に降り立った時の観光地としても顔よりも、日常としての顔を見たのではないかと思っている。人もまばらで、観光客よりかは地元の人と思われる人が多かった。地元の人の買い物のようすや、いつもそこにある特別じゃない海たち、カフェにも常連さんが多かったように感じた。そんな日に行ったからか、その日はずっと「もし、尾道に住めたらなにをしよう」と考えていた。町中を歩き回りながら、ここにお店を持てたらとか、ここの建物に住めたらとか考えながら歩いていた。そんな考えの中にも、この尾道の海を毎日見れたらいいのに、見ながら生活できたらいいなと、僕はどうにもあの海に惹かれていた。

憧れ

 僕は今まで日本の中でもまあまあ人の多い場所で生活してきて、過ごしていて、なんとなくこれから先もそうやって生きていくんだろうと思っていた。今までその点において疑ったことなど、ただの一度もなかった。今の暮らしの便利さを実感してしまっている以上、これより物の量としての利便性が失われる場所では生きていけないだろうと思っている。 けれど、社会人になって、毎日地下鉄に乗るようになってから、あの海に自身の輪郭を揺さぶられる感覚をずっと思い返している。私は地下鉄で海を見ている。あの海に会いたい、あの海のそばにいたい、もっと欲を言えば、あの海と生活を共にしたい。そんな今まで全く考えもしなかった考えが思い浮かんでいる。仕事に慣れていないからか、はたまた社会人が嫌なのか、それとも本当にあの場所で暮らしたいと思っているのか。理由ははっきりしていない。はっきりしたとしても、それを実行に移すだけの実感を得られるのは、きっとずっと先の話だろう。けれど、今ここに確かにあの日の海への憧れがあることを記しておきたかった。いつか目標を見失った時のために。


文章に関するお仕事はX(旧Twitter)のDMでお待ちしております。また、問題などありましたらご連絡ください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

525,778件

#この街がすき

43,524件