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蝶のように鳥のように(断片集)

 今回の記事では、アスタリスク(*)ではじまる各文章を連想だけでつないでありますので――言葉やイメージを「掛ける」ことでつないでいくという意味です――、テーマに統一感がなく結びつきが緩く感じられると思います。

 それぞれを独立した断片としてお読みください。

     *

 ない。ないから、そのないところに何かを掛ける――。

 何かに、それとは別の何かを見る――。これが「何か」との出会い。遭遇。遭う、遇う。「何か」は不明。「それとは別の何か」は、すでに見分けたもの。

 そうやって、見分けたものが増えていく。分けたものが増えていく。分けてとりあえず分かったことにする。分かった振りをする。

 そうやって、とりあえず分かったものが増えていく。分かった振りが増えていく。

     *

「ない」は恐怖。「何か」が「ない」と想定する。それが「欠ける」。欠けているのであれば、補えばいい、埋めればいい。

 とりあえず、「何か」と名付けて手なずけようとする。名づけてなついてくれるわけではない。

 大切なことは「恐怖」を「ない」ものにすること。「ない」と名付けること。

 森羅万象を相手に、人は名付けたうえで分ける。これは一方的な呼びかけであり話しかけ。呼びかけは通じない。話しかけても通じない。

 名付けによる手なずけは孤独で愚かなゲーム。
 
Trying to tame creatures by giving names is such a lonely and foolish game to play.
 Taming creatures by naming them is such a foolish game to play when it's time to pray for them.

     *

 人は言の場。言の葉が集い、そこで舞い惑う場。うつす、うつる。移、写、映。言の葉は言の場をつうじて、移り、写り、映る。

 蝶のように鳥のように、人は移り渡りながら、花粉を付け種子を落とす。

 送粉、受粉。交配、異種交配。種子散布。

     *

 うつる、写る、映る、移る、遷る、伝染る、流行る、孫引る、引用る、模倣る、写本る、写経る、印刷る、翻訳る、映画る、写真る、複製る、放送る、網路る、偽造る、剽窃る、盗作る、広告る、宣伝る、布教る、革命る――。こうしたものは、ぜんぶ、うつる。

 ぜんぶ「うつる」と読める。人類の歴史そのものだ。

 太古から人類は多動してきた。過剰に異常に、つまり常軌を逸して移動してきただけではない。

 うつり、わたり、うごくことで、抽象のレベルでも具体的にもさまざまな物同士や事同士を掛け合わせてきた。つまり「異種交配」させてきた。

 身の回りにある物や事の出所を考えると眩暈を覚えずにはいられない。異種交配のために、もはや出所をたどれない物や事も数知れなくあるにちがいない。

 ハイブリッド。「解剖台の上でのミシンと傘の偶発的な出会い」(「マルドロールの歌」ロートレアモン伯爵)どころではない。

 人は駆けまわって掛け合わせる生き物。言葉で掛けるだけはない。現実に働き掛けて掛け合わせる。それが賭けであることを忘れている。ばくちなのに。

 他の生き物たちを巻きこんでの大ばくちなのに。

     *

 お星さま、お星さまーー。

 遥か彼方にある星に願をかけるのなら、まだいい。みんなで住んでいるこの星を、ひとりでかけている。

 狭い星 ひたすらかける サルのむれ 

     *

「掛ける」とは線と線を交わらせること。線×線。交わり。

 マルクスの言う交通。交通、交渉、交接、交配、交流、交際、交情、情交、交尾、交戦。

 まぐわい・目合。目と目を合わせる。目線と目線が絡む。目くばせしあう。

 あう、あわせる。あう、会う、合う、逢う、遭う、遇う。

「あう」という、かかわり合いにいたるまでの切っ掛けが「かける」。肩に手を掛ける、唾を掛ける、息を吹きかける、呼び掛ける。

 マーキング。しるす、しるし、しる。知る、領る。知れる、痴れる。する・される、支配する・支配される。マウンティング。交尾。

 かけることで、何かが生まれる。生じる。起きる。起こる・興る。起こす・興す。

     *

「ない」を「欠けている」と思うことで「掛ける」が生まれる。「ない」ところに「掛ける」「架ける」。

「掛けたもの」「架けたもの」は宙ぶらりん。宙吊りである以上、「懸ける」「賭ける」しかない。

 枝から垂れる糸にしがみつく。ぶらぶら揺れる。ふらふら振れる。振り子、蓑虫、蜘蛛の糸。

     *

「一」――。「彼」が杳子にはじめて話し掛ける場面。

 そんな事を何度もくり返して、かなりきつい上り下りを一時間あまり続けたのち、二人はようやく、頂上の社にたいして下の宮にあたる神社へ入る吊橋つりばしのところまで降りてきた。橋のたもとで、杳子はまた地面にかがみこんでしまった。そこで、彼は杳子にむかってはじめて口をきいた。
「こんな橋を一人で渡れないようじゃ、もう二度と山に来れないよ」
「もう来ません」と杳子は地面を見つめてつぶやいた。
(古井由吉『杳子』(『杳子・妻隠』新潮文庫)所収・p.25・以下同じ)

「二」――。階段でありながら橋でもある連絡階段

 二度目に杳子に会ったのも偶然だった。
 O沢のことからもう三ヵ月あまりって、一月も末に近いる日、杳子は駅の連絡階段を彼のほうにむかって、人ごみをき分けてまっしぐらに駆け降りてきた。
(pp.27-28)

 駆ける杳子(「駆ける女」(『夜の香り』所収)を連想しないではいられない)。ホームから階段を駆け上がり、橋の部分を渡って、反対側のホームへと階段を駆け降りる「杳子」。このあと、杳子のほうから「彼」に話し掛けることになる。連絡橋――連なり絡まる橋

 その寸前、そのホームの階段を子供のような人影が勢いよく駆け上がっていくのを、彼は見た。やがてその人影は夕暮れに近い陽に赤く染まった連絡橋の窓をひとつひとつ黒く横切って、こちらのホームにむかって走ってきた。
(p.28)

「七」――。夜中に杳子の家に電話を掛け、「彼」は通話音を聞きながら、二階にいる杳子の様子に思いをめぐらす。「踊り場」、「階段」、「白い肌」、「臭い」に注目。

 わざと四時間もおいて、夜中の十二時過ぎに、彼はまた電話をかけた。通話音を聞きながら、彼は杳子の家の暗闇くらやみの中に単調なベルの音が響きわたるさまを思いうかべた。音は踊り場から階段を下って家族たちの眠りの中に響き、階段を昇って、机にうっぷしている杳子の暗い存在感の中で輪をひろげる。白い肌に汚れをためて、自分自身のにおいの中にうずくまりこんで、杳子は遠い無表情な信号の繰返しを訝っている。彼の顔をぼんやり浮かべてはかしながら、それでも耳を傾けている。それからゆっくり立ち上がって、階段をうようにして降りてくる……。
(p.141)

「八」(最終章)――。上の翌日、杳子の家を訪ねる「彼」。「踊り場」、「階段」、「明ける」、「薄明かり」、「におい」、「白いレース」、「薄明かり」、「白っぽい寝間着姿」、「赤いカーディガン」、「白い顔」に注目。「赤」と「白」は杳子を形容するさいに用いられる特別な色。

 上の「七」からの引用箇所との対称と対照。「八」では「赤」と「白」と「明」が反復され変奏される(つぎつぎと別の物へと掛かっていく)ことになる。

「彼はふと場所の意識をくらまされ、まるで初めて来た家ではなくて勝手を知った家の、幾度となく通いなれた階段をたどっているような気がした。」という部分に、「彼」の染まりやすさが感じられる。「場所の意識」(上下左右という方向感覚をふくめて)はこの作品全体のテーマでもある。

 片隅に電話の置いてある真四角の踊り場から向きを変えて階段を昇っていくと、杳子の姉の一家の住まう階下の雰囲気ふんいきからいきなり隔てられて、彼はふと場所の意識をくらまされ、まるで初めて来た家ではなくて勝手を知った家の、幾度となく通いなれた階段をたどっているような気がした。階段を昇りきったところで左手の扉をゆっくり明けると、薄明かりの中から、廊下よりも濃密なにおいが彼の顔を柔らかくなぜた。かなり広い広い洋間の、両側の窓が厚地のカーテンにおおわれ、その一方のカーテンが三分の一ほど引かれて白いレースを透して曇り日の光を暗がりに流していた。その薄明かりのひろがりの縁で、杳子はこちらに横顔を向けてテーブルに頬杖ほおづえをついていた。白っぽい寝間着姿だった。その上から赤いカーディガンを肩に羽織っている。戸口に立つ彼の気配を感じると、杳子は頭をてのひらの中に埋めたまま、彼のほうを向いて笑った。湯から上がりたてのような、ふっくらと白い顔だった。
(pp.153-154)

     *

 橋と階段と梯子は宙に浮いている。地に足を着けないための道具。左右にかける。上下にかける。斜めにかける。渡しかける。

 動きだけを見ていると、かつて尻尾のないサルが、木の幹から枝へと枝から枝へと、上下左右斜めに、這ったり跳んだり駆けたりしながら、うつっていたさまに似ている。

 地を足に着けない。身体は宙に浮いている。宙吊り。

 かつてと今との決定的な違いは、今では道具や器具や器械や機械や仕組み(システム)を用いていること。そして、足と身体が長方形の板に付いていること。

 そうした姿が板に付いてきた。

 橋を架ける。かけはし、架け橋、掛け橋、懸け橋、梯、桟。

 階段、はしご段、梯子。吊り橋。歩道橋。連絡橋。渡り廊下。ペデストリアンデッキ・歩行者専用橋。連絡階段。陸橋。跨線橋。高架橋。高架道路。立体交差。ガード。浮き橋。桟橋。船橋。仮橋。ベタ踏み橋。反り橋。太鼓橋。アーチ。はね橋。跳開橋。眼鏡橋。

     *

 人は「かける」生き物。

 かける、掛ける、懸ける、架ける、賭ける、欠ける、駆ける、翔る、駈ける、掻ける、書ける、描ける、画ける。

     *

 蝶のように鳥のように、人は移り渡りながら、花粉を付け種子を落とす。

 書くまでのあいだ、人の心は宙に浮く。言葉は宙吊り、宙を舞い、宙に懸かり、着地を待つ。

 書くとき、人の指は宙に浮く。垂れた蜘蛛の糸のように、振り子のように揺れながら、指が文字を描いていく、文字を尖った先で引っ掻いていく、文字を墨で浸した筆で塗っていく、キーボードの上を指が泳ぐ、画面の模様に軽く触れる。

 花粉が付く、種子が地に落ちる。何かが生まれる。何が生まれたか、何が育つかは分からない。運んだものには、おそらく分からないし、分かる必要もない。

 付かないこともある、落ちないこともある。そのほうが圧倒的に多い。それでも運ぶ。せっせと運ぶ。

     *

 点が線状に駆けめぐる。

 視線、目線。始まりと途中と終わりのある直線。線からなる模様を目と指が追う。

 直線上で迷う。どんな線も拡大すると直線に見える。人は刹那に生きる。

 文字が空(くう)を翔る、地を駆ける。

 無い、足りない、欠けている。無いところに端を見つけて、端と端とに橋を架ける。欠けていると思ったところを埋めることで書ける。

 空をなぞる、思い描く、思い浮かべる、思いだす。思うことで掛ける。思い掛けないものが生まれることもある。

 掛けて描いて書いてみないことにはわからない。描く、書く。直線上で迷う。

 掛けは賭け。

     *

 韻、掛詞、比喩――。懸け離れたもの同士を、音の一致と類似や、イメージの類似でつなぐ。掛ける。

 あらゆるものは多面的で多層的。音やイメージでつなげば、どこかでつながる。

 音やイメージではなく、言葉の身振りで掛ける人もいる。

 こんなふうにして「掛ける」文章を「書ける」のは、蓮實重彥しかいない気がします。
(拙文「「かける」と「かける」(かける、かかる・03)」より)

     *

 掛け合わせる。増える、殖える、増やす、殖やす。同時に、減らし滅ぼし絶やす。

 掛け算をしているつもりが割り算をしてしまう。足し算をしている振りをしながら引き算をしている。

 移動し、写し、映して、掛ける。蝶のように鳥のように、人は移り渡りながら、花粉を付け種子を落とす。

 花に結びつかず、実を結ばないことのほうが圧倒的に多い。生まれる、生きる、死ぬは、賭け。

     *

 鏡、時計、文字。

 かける。見せる。見せるためにかける。かけることで見せる。

 見せかける。振りをする。振りを装う。振りを演じる。振り。

 鏡、時計、文字。

 生きていないものが生きている振りをする。生きている振りをしているから死んだ振りもできる。

 振りをする装置たち。人は自分のつくった装置たちの振りに振りまわされる。

     *

 人は「掛ける」生き物。人は「板に付く」生き物。人は「板を掛ける」生き物。

 鏡を掛ける。鏡を掛けて中に見入る。見入られ、魅入られる。同一視と混同のはじまり。化身、権化。

 時計を掛ける。時計を掛けて、その顔を見つめる。見つめられる。見張る。番をする。watch。監視される。見張られる。時計に監視される。時計ににらまれる。同一視と混同の見張り役。

 文字を掛ける。文字を読む、文字を詠む。書を掛け、書を観る。手書きの文字を見る。文字は絵。自筆、他筆。書写、筆写、写本、写経。書見、読書。かく、えがく、うつす、うつる、かける、かかる。活字、複製。似ている、同じ。同一視と混同の完成形。

     *

 スマホは鏡であり、時計であり、文字でもある。スマホがパソコンよりも手強いのは、watch が clock よりも手強いのに似ている。

 パソコンと clock は場所に付くが、スマホと watch は個人に付く点が手強い。スマホと watch を携帯する人間は watch するだけでなく watch される点が恐ろしい。

 スマホがなによりも手強いのは、接続されていること。何に接続されているのかが不明な点がなによりも怖い。強いは恐いし怖い。

     *

 はかる。はかりにかける。はかりにかけるのはかけ。はかりをはかる物差しはない。

 はかりの目盛りを、さらにはかる。その目盛りをさらにはかる。えんえんとはかる。人にはメモリーが足りない。

 はかりの目盛りを見るのは人。人は言うまでもなく、はかりもあやまることがある。はかりは、あやまってもあやまらない。

 あやまってもあやまらない人がいる。あやまってもあやまらない人が崇め奉られ人びとを導いている。

     *

 はかりの目盛りを、さらにはかる……。人にはメモリーが足りない。

 memory という文字列に memento mori を見る人もいる。

 人には枠がある。始めと途中と終わり。ふち、はしっこ、はし、へり、さかい、はて。意識、識閾(しきいき)・閾(いき)。視野、視界、視覚、死角。行き止まり、袋小路。dead end

     *

 いま、ここ。むこう、かなた。いつか、どこか。

 人にとって見えるのは部分。全体は見えない。全体はでっちあげるしかない。

 全体は言葉でありイメージでしかない。部分も言葉でありイメージでしかない。

 果てが無い、限りが無い、無限というのも、言葉でありイメージ。「ない」という言葉でありイメージ(思い)でしか「ない」。

 そうなると、掛けるしかない、空(くう)に架ける、架空、ぶっちゃけた話が賭ける。

 空(くう)をかく、掛く、懸く、掻く、繋く、構く、架く。

 架空。吊されて宙を掻く。

     *

 十字架にかける。つるす、吊す。つるし上げる。

 かかげる。見世物。ショー。ショー・タイム。

「かける」は見せる魅せる。人は見入り魅せられる。

     *

 かかる、かかわる、関わる、係わる、拘わる。

 関係、関係性。関与。かかわる、こだわる、なずむ、泥む。拘泥。

 なずむ。なずむになじむ。

     *

 かけると言うよりも、かかる。当てると言うよりも、当たる。合わせると言うよりも、合う。つなげると言うよりも、つなぐ。決めると言うよりも、決める。

 かかる、当たる、合う、つなぐ、決まる。どれも、人の領域をこえている。

 はかろうとして、はからずもはかられる。たくらもうとして、たくみにたくまれる。

 はかる、たくらむ。おそらく人の領域をこえたいとなみ。

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 空を駆ける馬(車)。空に架かる橋。

 虹。天空を貫く大蛇(「漢字源」(学研)より)。arc-en-ciel。 空にかかるアーチ。rainbow。雨あがりの弓。

 虹と arc-en-ciel と rainbow は「似ていない」

 虹と虻と蛇は「似ている」

 虹と arc-en-ciel と rainbow は「同じ」

 似ていないものどうしを同一視する、つまり混同する仕組みであり装置、それが文字。

 目の前にある文字を文字として見ないことから、すべての学問は始まる。
 目の前にある文字を文字(letter)として見ることから、おそらく文学と文芸(letters)が始まる。

     *

 蝶のように鳥のように、人は何かを運ぶ。何を運んでいるのかは、蝶や鳥とおなじく、人には分からない。

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