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何事も鵜呑みにしてはいけない。もっともらしい心地よさそうな言葉こそ吟味されるべきなのだ。

この論争にも終止符が打たれているのかもしれないし、
或いは引き続き論争は続いているのかもしれないが、
大問題である。

『用を足したあとに、便器の蓋を閉めるか否か。』

ちらっとググってみたところ「菌やウイルスの飛散防止のため、トイレの蓋は閉めて流すのが正解」だと断言されていた。

「閉めない」は論外で、「閉める」という行為も、流す前にやれ、と言っている。そしてそれが「正解」だと断言している。

「正解」とまで高飛車に出られると「何を~っ」と思ってしまう(天邪鬼な性格なのでこれはもう仕方がない)。

そして「閉める」理由として以下のような補足もあった。
1、ウイルスや菌の飛散を防ぐ
2、小さな子どもの安全管理
3、落下物が便器の中へ落ちることの防止
4、節電や騒音防止

もっともらしいことが並べられているがどうだろう?

「小さな子供の安全管理」は保護者がきちんとすればいい。
蓋の上に乗って遊んでいた小さな子供が、誤って落ちて怪我をした場合、その「安全管理」の立場でどう説明を付けるのだ。蓋が開いてさえいればその子も蓋の上には上らなかったろう。「安全管理」など取ってつけたような理由は相手を丸め込もうとする思惑がちらついて気持ち悪い。

「落下物が便器の中へ落ちることの防止」というが、これは落とす側からの視点なのか、「落とされる側」つまり管理側からの視点なのか?

私物を落とさないよう気を付けるのは当然のことだ。これは便器の中だけに限ったことではない。携帯電話をアスファルトの道路で落とせばガラスが割れる。だからといってアスファルトに柔らかいゴムだか何だかの素材のカバーをしろと言う者はいないだろう。だからそんなことをトイレの蓋を閉めなければならない理由にしないで欲しい。

「水中に落とせば濡れるじゃないか」などと恐ろしくくだらないことを言う人が出てこないとも限らないが、では雨が降ったあとの水溜まりに一々蓋を被せていくのか?

「落とされる側」つまり管理側からの視点で言っているのであれば、自分が面倒くさい処理をやりたくないだけではないか。自分が面倒を背負いたくないから口八丁で胡麻化そうとするのであれば厚かましすぎやしないか?

「節電や騒音防止」に至ってはわがままが過ぎる。節電に関してはウォシュレット以外の便器は当てはまらない。また騒音とは何をもってそう呼ぶのか?水が流れる音が騒音だと言うなら、屁の音だってダメじゃないか。そうだろう?蓋が開いてるか閉まっているかで「騒音」などと大袈裟なことを言い立てるのなんて、形振り構わずに蓋を閉めることにしたいだけだ。狂っているとしか思えない。

こんな理由を読んで、「ああ、なるほど」なんて思う人間がいたら、その人はただただ「思考停止」しているのだ。「目の疲れには醤油が効果的」なんて出鱈目な記事を読んでもすぐに醤油を目に点滴してしまうかもしれない。気を付けた方がいい。

俺は絶対に「開けておく」派である。

個室に入って便器の蓋が閉まっているとイラっとしかしない。
前の人間の排泄物のニオイが外に出られずにその空間に閉じ込められているのである。蓋を開ける不快感と言ったらないだろう。そう思わないのだろうか。臭い分かっている物の蓋をどうして自ら開けねばならぬのだ。

蓋が開いていればニオイは解放された状況で、換気扇の作用によって消えていく。そうすれば不快感はかなり軽減される。何ゆえに、蓋を閉めてニオイを閉じ込め、せっかくの換気扇の効果を低めようとするのか、まったくもって理解に苦しむ。

次に用を足す人間が受ける籠ったニオイによる不快感の観点からすれば、蓋を閉めるは断固として「不正解」である。

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