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美兎委員長の「1000年生きてる」を聴いた随想 ーーひとりのイラストレーターが絵にこめた魂(焦茶先生のこと)



千載具眼の徒を竢つ                         (千年経てば、私の絵を理解する者が現れるだろう)                                       ーー  伊藤若冲                          



こんなノートのはしっこに書き付けた思い付き書きなんて、委員長が見ているはずはない。そう考えてこのnoteを書いている。

『1000年生きてる』といういよわさんの曲を、美兎委員長のカバーではじめて知った時に、人生へのネタバレを喰らった気持ちになって、うまく言葉にできないものを感じている。曲が苦手というわけではないが、何かが詰まっている感触がした。ぼんやりと何故か考えてみる。

夏目漱石は、自分の日記を大体全部漁られて読まれている。学問上は間違いなく大事なことで、実際に彼の文学理論(f+F)についてのメモもそこに残っている。

一方で、人の日記が100年経つと読まれてしまうことは、よくよく考えると大変なことだ。場合によっては未発表だったり、刊行してほしくないと亡くなった人が考えていたものまで含まれる。ましてやインターネットの時代になった。そこまで堅牢なものではないとはいえ、まるでボルヘスが考えた「バベルの図書館」のように、どんな記録でも収集されてしまっているような幻想を、人は持っている。

『1000年生きている』という曲に感じた違和感は、多分このあたりに原因があるんだろう。わたしたちが書き残した記録は、火事などで焼失することはあるとはいえ、ある程度の確率で残るとすれば、今見ている現在も、恥ずかしい痴話げんかも、みんなで集まった時の喜びも、悲しい事件も、どこかの誰かにとっての歴史になる。それは、ある意味で決まり切ったことだ。

どんな思いもひとつの絵になりえる。その絵がどう読まれるかは、作家の手にはもうすでに存在していない。その人の「気持ち」が残ったとして、それを読みとくことができるのは――それがたとえ勘違いだったとしても――読者しかいない。


キズナアイさんが去年の年末、「アップデートのため」に活動を休止を発表した。その後に委員長が「なぜか」「リニューアルのため」といいながら放送を始めたのは、数日後のこと。アップデートされたのは謎ノだった。

委員長はやさしいから、にじさんじの子たちやバーチャルユーチューバーの友達たちを見守って死んでいくつもりなのだろうか。それが「結末」なのだろうか。そんなことをふと、この曲から感じてしまったのかもしれない。そこにある、どこか「予定調和」な感じに、一抹の寂しさがあった。なぜか、諦めを感じてしまったのだ。


しばらくnoteを書いていない間に、月ノさんのファンやその他色んなVtuberのファンの方と話す機会があった。

死ぬほど礼儀正しくて、思いついたら爆速でキャラクターが跳ね回るようなにじさんじのファンアートを書ける子。アニソンバーで、近所の歌で生計を立てようとする女子シンガーに、テレビで流れてきたにじさんじに入るよう薦めようとするリーマン。コロナで居場所を失ったコスプレイヤーの方。2018年あたりからずっと、バーチャルユーチューバーのことを痛切な気持ちを込めて書き続けたが、いつの間にかいなくなった人。

どんな人間だって、どんな時代に生まれるか、どんな人と出会えるかはわからない。自分が何十万人ものフォロワーを得る時代の風雲児になったらどうなるかなんて、いくら自信満々の人であっても予測ができないだろう。色々な人の(もちろん美兎さん含めて)色んなライバーに対する、多分本人には言えない想いまで色々聞いてきた。時代が時代だから、人によっては暗い気持ちを吐露する人も、ライバーに対する嫉妬を持っているような人もいた。

その形にならない気持ちの多くは、形にならずファンの心の中にしまわれている。その、いつかは消えてしまう気持ちの言葉を聴いて、言葉を失っていた。


ところで、最近、あるイラストレーターの方について考えている。委員長よりもむしろ樋口楓さんに関わりがあるけれども、彼もにじさんじが大好きだった人のひとりだ。

お名前を焦茶さんという。

そのあと、かなりありがたい御縁があって、イラストレーションについて調べる機会を頂いた。そこでわかってきたのはこういうことだ。

日本の歴史において、漫画にくらべて、イラストレーションという言葉はある種無色透明な言葉として使われてきた。マンガの場合は、手塚治虫さんが『手塚治虫のマンガの描き方』という本を出して以来、書き方や読み方、ストーリーの見せ方について、いろんなすごい人たち(大友克洋さん、鳥山明さん、萩尾望都さん etc)が考え方を残してきた。

一方でイラストレーションは、1960年代に一度広告の世界で発生した後は、次に1990年代以降にファイナルファンタジーの天野喜孝さん(ゲーム)、アジカンのジャケットで有名な中村佑介さん(音楽)、『涼宮ハルヒの憂鬱』のいとうのいぢさんや、『ソードアートオンライン』のBUNBUNさん(ライトノベル)、アニメーションの世界の技法を一枚絵の世界に持ってきた米山舞さん(アニメーション)のように、色んな文脈で使われていた技法や絵をとりあえずまとめるために使われている、ゆるい概念だった。

その「ゆるさ」は、ジャンルにとらわれない自由さだった反面、絵師さんが何が絵の本質で、何のために絵を描いているのかという問いがなかなかアーティストにも、鑑賞者にも浸透せず、言語化されないという問題を発生させた。(これは、別の文脈で、中村佑介さんも問題にしていた。中村さんは絵が必ずうまい必要はないとも言い切る)

「かわいい」「綺麗」「かっこいい」という気持ちが悪いわけではない。その先に何があるのか、何故それを(鑑賞者にとって、作り手が)大事にするのかの深堀がされなかった。

イラストレーションを「大切にする」やり方を考えるにしても、どう「大切」にすればいいのか。何がその絵描きさんにとって大切なのか。そのことが言葉になってなければ、大切にしようがない。だけどポップカルチャーであり、商品である絵自体はどんどん増えていく。Pixivの登場や、wacomの躍進、そして何より、日本における2000年代のポップカルチャーの一般化がそれを後押しをした。そして、イラストレーションの歴史を全部書いた本があったとして、その最後の章は「バーチャルユーチューバー/Vtuber」だろう。


今、イラストレーターさんが抱えている悩みのひとつはこういうことらしかった。そして、その問題は実は、バーチャルユーチューバーの世界に影を落としているのではないか。そう感じたことがあった。

イラストレーションのこと自体は一年前、Vtuberのことを書いている時から気にしていた。それは「絵畜生」というほとんど呪いみたいな言葉をめぐって、Vtuberの世界でなんやかんや争いが起こっていたせいだ。委員長もそれにコメントをしたことがある。でもその話のなかで、明らかに絵を描いているイラストレーターの人の話がそこにないのが不可解だったのだ。バーチャルユーチューバーの世界にイラストレーターさんが貢献しているのは確かだが、そこに言葉が発生していないと、個人的に感じていたのだ。

エイミー・E・ハーマン『名画読解 観察力を磨く』によれば、ハーバード大学で一枚の絵にかけるよう教える時間は「三時間」だという(「第一章 レオナルドダウィンチの力の秘密」)。これは、学生たちに、いかに自分が一枚の絵からも情報を読み取り切れないかを実感させるためだという。

イラストレーションから意図を読み解くがされなかったのは、仕方ない側面もある。専門書が多く指摘しているように、1枚の絵から、気持ちを読みとくのは困難なことだからだ。抽象画ならなおさらだが、一人の女の子の絵が描いてあるものを見ても、そこから何かを読み解くには、ある程度絵や手触り、実際の自然、系譜や素材を考えた上で、じっくり観察する必要がある。漫画やアニメがわかりやすいのは、言葉によるキャプション(説明書き)、複数の絵による状況の説明、そして人間同士の物語があるからだ。

でも、絵を描く人は多分、どこかで言葉にならないものを形にしたくて、絵を描いている。

バーチャルユーチューバーの絵を描くことは、ポップカルチャーでは高い確率で、自分の描く絵が、その描いた相手に届くことが前提になる、不思議な場所だ。そんな新しい文化の中に僕らは生きている。




焦茶さんについて私の目から見えたことを書いてみよう。下に書くのはまだあくまで「事実」ベースのことである。

ーーVtuberのことが初期から大好きで、パッと見て輝夜月さん、美兎委員長エルフのえるさん、名取さなさんとDeepWebUnderground師匠、クレアさんもこ田めめめさん、久遠千歳さん、AZKiさん(衣装とビジュアルも担当)、御伽原江良さん、笹木咲さんアンジュリゼ・ヘルエスタさん、花譜さんと、女の子のVtuberのことを書き続けていたこと。そしてその絵には、カッコいいタイポロジーと、本当にそのライバーのことを知らないと書けない英語でのキャプションがついていたこと。そのほかには特にFGOやアイカツの絵を多く描いていたこと。

ーーKAMITSUBAKI STUDIOに所属している幸祜さんのキャラデザインのある部分には、焦茶さんが関わっていること。

ーー元々は若冲をはじめとした日本画を勉強していたこと。滅茶苦茶本を読まれる方だったこと。そして、80年代のイラストレーターである鈴木英人さんやわたせせいぞうさんの絵柄を、当時のネットで使う人がいなかったために絵柄に選んでいったこと(ワコムのインタビューより)。これだけではなく、人をどう良く描くかにかんしては、研究を欠かさなかったこと

ーー音楽が大好きで、スピッツやAvicii、Stevie WonderやA-haなど、邦洋楽様々な曲のタイトルをモチーフにつかっていたこと

ーー絵を描く時の背景には、自分が行って気にいった場所の写真を使っていたこと。

ーー2020年6月に仕事場で不慮の事故で亡くなられたこと。ワコムのインタビューにあるように、彼はファッションや音楽、そして何よりアニメのキャラクターデザインをやりたがっていたこと

ーー亡くなる前、最後の画集の名前が『DIE A LONELY(死して屍拾う者なし)』だった。そして、亡くなる前一年の個人製作のモチーフは、必ずしも明るいものだけではなかったこと。

ーー遺族の方は、焦茶さんの絵を唯物論的に見るのではなく、絵が魂であった焦茶さんの作品を純粋に鑑賞することを望んでいたこと


彼の絵について、私がその同人誌を全て手に入れられていない(これから再販される予定らしい)こともあって、あまり大げさなことは言えない。ここに書いてある情報もまだ断片にすぎない。ただし1点だけ、重要な洞察を知り合いとの議論の中で焦茶さんの絵やインタビューから掴んでいる。

インターネット上で、唯一焦茶さんの声が聴ける動画が、米山舞先生とPALOW.先生という二人のイラストレーターさんをゲストにした回で残っている。それを聴いてた時に、焦茶さんは谷川俊太郎の「黄金の魚」という作品のことを感慨深げに語り、強くおススメしているシーンがある(3:15:50) 。元々焦茶さんはある時期に詩人になろうとした時があったらしい。

おおきなさかなはおおきなくちで                               ちゅうくらいのさかなをたべ                                            ちゅうくらいのさかなは                                                                    ちいさなさかなをたべ                               ちいさなさかなは                                    もっとちいさな                                     さかなをたべ                                         いのちはいのちをいけにえとして                              ひかりかがやく                                        しあわせはふしあわせをやしないとして                              はなひらく                                        どんなよろこびのふかいうみにも                               ひとつぶのなみだが                               とけていないということはない                                 谷川俊太郎「黄金の魚」『クレーの絵本』講談社              

静かな洞察をたたえた、悲しい詩である。さかなも人も、動物である以上何かを殺さずにはいられない。この作品は、20世紀にスイスで活動した、抽象画家パウルクレーの絵画をモチーフにして描かれている。

興味があって、この美しい詩を読んだ時、どこかで既視感があった。それは焦茶さんの最初で最後の個展になった、「HELLO HELLO HELLO」の、檄文の部分だった。

はたして良い絵はかけたかな
ぼくはいきていけるかな                                                暇があればでいい
少しでいいので
確かめてみて
ください。
では。                                      (こんにちは
こんにちは、こんにちは。
おわったあとにすこしでもいい
ああ かいててよかったとおもえることをいのろう。)             岡本 直大『初個展 焦茶さんインタビュー「HELLO HELLO HELLO」~pixiv WAEN GALLARY』 個展に寄せたメッセージより

すごく有名な絵描きさんと話していて、あまりの謙虚さに衝撃を受けたことがある。もうすでに、この個展の時点では有名になり始めていた焦茶さんもそうだったのだろうか。

私はこの個展のことを完全に後から知ったから、当時の空気感まではわからない。わからないが、少なくともこの文章が書かれている文字の階段状の部分やひらがなたちが、まるで谷川俊太郎の詩に捧げられているように見えた。この発見をした後に、焦茶さんの絵をずっと見ていた時にさらに気づいて愕然とした。

焦茶さんの個展「HELLO HELLO HELLO」に捧げられたビジュアルには、古めかしい電話を使っている天使の絵が描かれている。当時の個展の際は実は文字につぶされて見えにくくなっているが、そこに、確かに1匹だけ黄金の魚が描かれているのだ。彼は人の作品や自然のリファレンスに多くの新しいものを作る人だった。

彼の原点に初めての個展に際して立ち返っていた。そしてそれをPALOW.さんや米山舞さんの前ではっきり「見て欲しい」と言っていたということになる。


(※補足 谷川俊太郎には、もう一冊『クレーの天使』と呼ばれる絵本が存在している。焦茶さんの、岩倉文也さんとの共著『あの夏ぼくは天使を見た』のあとがきで、装丁を担当した有馬トモユキさんは彼らが「天使の本についてよく語らい」(p111)をしていたと書いている。『クレーの天使』の絵に対して詩を描いていく方法論は、焦茶さんと岩倉さんの本にも通底しているように感じる。天使は、キリスト教的な世界観では「神様」の言葉をそのまま伝え、実行する存在である。そして、ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンは、クレーから『新しい天使』という絵をもらった時に、大きなインスピレーションを得て『歴史の概念について』という文章を書いたと言われている。)


バーチャルユーチューバーの話から大きく外れてしまった。

ここから先は、絵に関しては素人でしかない私の、しかもまだ絵画技法的な観察が不十分な人間が考えた考えでしかない。焦茶さんの絵を見ていると、言葉にならないものを強く感じる。でも、唯物論的に見ないとすれば、自分の感じたことを言葉にするのが、たとえ不器用であっても大事だろう。

焦茶さんの絵を見ていると、いわゆる「図と地」の関係が何回もひっくりかえるような、目の中にきらめきを感じるような気持ちになることがある。人と背景を描く輪郭線の太さに差がない。それは、存在しているものと存在していないものの間を揺らめくような、あと少しで壊れそうな危うさを効果として発することになる。一方で、その揺らぎ(おそらく視差や東洋的な遠近法の効果が関わってくる)は、キャラクターがまるでその場で動いているような触感を伝えてくる。しかも、その揺らぎは色の光線となって、輪郭線すら打ち消していることがある。

究極的なところ雑に言えば、焦茶さんは自分の描いたキャラクターたちが――過去のもの、それは文学、音楽、ファッション、自然……自分が見てきたあらゆるもの――に祝福されて絵の中に生きていてほしかったんじゃないのか、と言いたくなる。それが、彼にとって根源的な問題であって、アニメーション(この言葉の語源は「魂(Anima)」である)のキャラクターデザインをやりたがっていたのじゃないか。

大抵のものは、何かの悲しみで出来ている。そして目の前で見ている子の景色はいつか崩れ去ってしまう。にもかかわらず、人は存在しないものに祈りをささげる。現実とは違うことを祈るとき、それは強い願いとなる。

私の中で一番頭に残っているのは、元にじさんじの久遠千歳さんが引退された時の一枚である。実は、彼がにじさんじの子を描いている時の絵は、全部笑っている。彼が描いていたライバーには、卒業して、アーカイブも何も残っていない人も多い。でも、彼の絵はそのある時間をずっと、ずっと示し続けている。

絵が生きているとして、その『気持ち』が1000年生きるならば、それが生きるのは、恐らくそれを鑑賞した人の心の中に、それほど残さなければいけない痛切さを備えていたからだろう。私は、Vtuberの子たちがどうか、彼の作品をよく鑑賞してみることを願う。

これから少しずつ、再販される画集を見ながら、絵の鑑賞の仕方を勉強しながらもっと色々彼が追っていた景色を見てみる。

それが、絵を通して応答を願い続けた、彼への報いである。


御生前の面影をしのび、あらためて焦茶さんのご冥福をお祈りします。

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